「ラブリー・エンジェル」Ⅱ
街の西側にある小さな通り。
空気は湿っていて、アスファルトにこびりついた昼間の熱気がじわじわっと立ち上っている。
この辺りは下町の繁華街から外れた場所で、酔っ払いと呼び込みの声が入り混じる独特の雰囲気を醸し出していた。
俺はゆっくりと歩みを進める。
人通りが多い大通りから一本外れると、急に空気が変わる。
どこか背徳感のあるピンク色のネオンが路地の両脇に並び、甘ったるい香水とタバコの煙が混ざった匂いが鼻をつく。
ここは通称『ピンク通り』。
夜になれば酔客と水商売の嬢、そしてそれを狙うスカウトやチンピラでごった返す、街でも有名な歓楽街だ。
(昼間に来ると、逆に寂れて見えるな……)
看板の明かりはまだついておらず、通りの端に座っている酔っ払いが一人、ペットボトルを握ったまま寝ている。
そんな光景を横目に、俺はさらに奥へと足を進める。
この通りの最西端に、目当ての店がある。
『ラブリー・エンジェル』
それがこの店の名前だ。
外観は一見すればただの場末のバーに見えるが、ここは知る人ぞ知る情報屋の巣窟である。
そして、ここのマスター――通称「ノブ子」は、情報屋の中でも最高峰と噂される存在だった。
重いドアを押し開けると、からん、と乾いたベルの音が鳴った。
薄暗い店内に、カラフルなミラーボールと派手なカウンターが目に飛び込んでくる。
壁には昭和アイドルのポスターや場末感満載のネオンサインが飾られ、店の奥からは香水の匂いとアルコールの香りが混ざった独特の空気が漂ってきた。
「スミマセェ~ン。開店時間はまだ……てっ、アラアラア~? 進道ちゃんじゃないのぉ!」
カウンターの奥から響いてきたのは、野太い声。
だが、その声色にはどこか嬉しそうな響きがある。
カーテンをかき分けて出てきたのは、ド派手なドレスに身を包んだ巨体だった。
分厚い化粧、金色の付けまつ毛、そして異様に鍛え上げられた二の腕。
俺の姿を認めた瞬間、その巨体が音を立てて近づいてくる。
「退院してアタシに会いに来てくれたのねぇ!」
言うが早いか、太い腕が俺の体をがっしりと抱き寄せる。
ゴリゴリとした胸筋に押しつぶされ、息が詰まる。
「ぐっ……!」
「何がほしいのぉ? お酒? 手料理? それともア・タ・シ?」
バチバチとウィンクを飛ばしながら迫ってくるその様は、慣れていても迫力満点だ。
俺は苦笑しながら、なんとか腕の中から抜け出す。
「悪いなノブ子、俺には綺麗な『女』の恋人がいるんだよ。」
と、わざと強調するように言ってやると、ノブ子は一瞬だけ目を細め、すぐに大げさに肩をすくめてみせた。
「失礼しちゃうわぁ。アタシだって『女』よぉ。……コ・コ・ロは♥️」
最後の「♥️」に合わせて、彼(彼女?)は派手にウィンクをかます。
そのウィンクがやたらキラキラと光った気がして、俺は思わず額に手を当てた。
(なんか、もう疲れた。)
この空気感、嫌いじゃないが……体力を持っていかれる。
オカマバー『ラブリー・エンジェル』。
これがこの店の正式な名前だ。
そして、目の前にいるムキムキなオカマ――略してオカマッスルが、情報屋の最高峰として知られるノブ子である。




