黒い悪魔Ⅺ
「……っ、」
まだ瞼を閉じたままで、どこか心地よい浮遊感を感じながら、俺はゆっくりと覚醒した。
頭の奥がじんわりと温かく、体は水に沈んでいるように重い。けれど、胸の奥で確かに鼓動が打っているのを感じて、ようやく「生きている」と実感できた。
「……うーん、ん?」
かすれた声が自分の喉から漏れ、意識が少しずつ現実に引き戻されていく。
寝返りでも打とうかと、ぼんやりと思考が動いたその瞬間、違和感に気づく。
――腕が、動かない。
体の横で、何かに固定されている。
いや、腕だけじゃない。肩から足先まで、まるで石膏像にでもなったかのように微動だにできない。
(な、何だ……?)
恐る恐る瞼を開けると、視界いっぱいに白い天井が広がった。病院特有の、少し黄ばんだ蛍光灯の光が目に刺さる。
視線を少し動かすと、すぐそばに人影があった。
そこに立っていたのは、見慣れた顔――世里奈だった。
「……あっ、目が覚めたのか進道君。体の調子はどうかな?」
穏やかな声が耳に届き、彼女の顔が視界に近づく。
長い黒髪がさらりと肩から垂れ、シャンプーのほのかな匂いが鼻をくすぐった。
覗き込む世里奈の瞳は、いつもより少し優しい気がした。
「……まぁまぁ、です。」
と答えると、世里奈は一瞬きょとんとした後、思い切り眉をひそめた。
「まぁまあじゃないでしょ! 君の両手、特に右手の指は骨折だし、手の甲には大きな穴まで開いてるし、全身の痣と打撲は見事なものよ。極めつけは心臓の横をギリギリかすめた弾痕。今の君は、面白いくらい典型的な重傷者だよ。」
まくし立てるように言う世里奈の声は、どこか呆れているようで、それでいて心配の色も混じっている。
口では厳しいことを言いながらも、目元は少し赤く、心底心配してくれているのが分かった。
(……まあ、とりあえず俺のことを気にかけてくれてるみたいだな。)
俺は深く息を吐いた。
ここが病院であることにようやく納得がいく。
視線を少し下に動かすと、自分の体が分厚い包帯で指先から足先までぐるぐる巻きにされているのが分かった。
ギプスもがっちりと固定されており、まるでミイラだ。
(……動かねぇわけだ。)
それでも試しに首を動かしてみると、なんとか可動することが分かった。
俺はゆっくりと、きしむように首を世里奈の方へ向け――
「……!!??」
視界いっぱいに、巨大な果実……いや、世里奈のG級クラスの胸が現れた。
(こ、これは――!!)
目覚めたばかりでまだ意識が朦朧としていた俺の脳が、一瞬で完全覚醒した。
血流が一気に加速する。
世界の全てがスローモーションになるほどの衝撃だ。
(じ、G級……いや、それ以上……GOD級……! これはもはや人智を超えた果実ッ!!)
俺は全力で腕に、手に、指に力を込めた。
だが――無駄だった。
包帯とギプスにがっちりと拘束され、ピクリとも動かない。
(む……無力だ。完全に、無力だ……!)
俺は心の中で、天を仰いで涙を流した。
涙腺は枯れているのに、魂だけが号泣しているようだった。
そんな俺の苦悩など知る由もなく、世里奈が声を上げる。
「おっと、まず君に任務成功のおめでとうを言うよ。」
さらりと言うが、その言葉に俺は一瞬、遠い記憶を呼び覚まされた。
(あの総理大臣の娘は無事に逃げたか……? ん? あと……誰かいたような気が……)
まだ完全には戻り切らない記憶を探っていると、世里奈がにやりと笑った。
「そこで早速デートと言う約束だが……」
彼女の目が意地悪く光る。
「……その体だと無理だな。」
この時、俺は心の中ではなく本当に泣いた。もちろん号泣だ。




