黒い悪魔Ⅷ
後ろを振り返ると、二人の男が路地に立っていた。
「なかなか貴重なデータが手に入ったね♪」
場違いなほど明るい声が狭い路地に響き、鼓膜を不快に震わせた。青色の白衣を着た若い男が、楽しげに指先で自分の頬をつつきながら笑っている。その笑みは軽薄だが、どこか作り物めいていて、心の底から愉快に思っているのかは分からない。白衣の袖口はどこか黒ずみ、何かの液体で濡れているようにも見えた。嫌な予感が全身を這い上がり、思わず拳を握る。
その隣には、長髪で黒色のバンダナを被った男が腕を組んで立っていた。鋭い目つきは、まるで刃物で切り裂くような視線を俺に向けてくる。二人とも、俺をただの路傍の石のように扱っているかのような態度だった。
「……。」
沈黙。バンダナの男は一切動かず、瞼の奥から氷のような視線を突き刺してくる。狭い路地の奥、夕暮れの光がレンガの壁に赤黒い影を落としている。遠くで観覧車のゆっくり回る音がかすかに聞こえるのに、この場だけ別の世界のように音が途絶えているようだった。静かすぎて、自分の心臓の音が嫌に大きく耳に響く。
「……誰だよ、お前ら。」
かすれた声が口から漏れる。自分でも驚くほど弱々しい声だったが、喉が渇ききって言葉がまともに出ない。痛む足首に力を入れ、なんとか立ち上がって二人と向き合う。
「ん?僕かい。僕は――」
「……Доктор。」
バンダナの男が初めて口を開いた。低く、乾いた声。しかも日本語じゃない。聞き慣れない響きが耳に残り、意味が分からないのに心臓がひとつ強く跳ねた。背筋に氷水を流し込まれたような寒気が走る。
「えぇ~、いいじゃないか番犬君。今の君の主人は僕だぞ。勝手にさせてもらうよ。」
白衣の男――ドークタルと呼ばれた若い男が、不満そうにバンダナの男を睨みつける。だがその表情はどこか楽しげで、状況を完全に掌握している者の余裕すら漂わせていた。その笑みの奥に、どこか人間らしい感情のかけらが一切ない、冷たさと残酷さが見え隠れする。
「……チッ!」
バンダナ男は舌打ちし、再び黙り込む。顔には露骨に不服そうな影が浮かんでいるが、どうやら逆らえないらしい。立ち位置やわずかな肩の動きで、彼が相当な緊張を強いられていることが分かる。
「悪いね~、ちょぉっと待たせたかな?」
若い男がゆっくりと俺の方に向き直る。足音がレンガの路面に乾いた音を響かせ、狭い路地の空気がさらに重くなる。心臓が胸を叩く音が早まり、嫌なリズムで全身に広がる。
「この駄犬がさぁ~、文句言うから、ね。」
そう言って肩をすくめ、後ろの男を親指で指した。その軽薄な仕草が、この異様な空気の中ではかえって不気味に見える。まるで状況全体を弄んで楽しんでいるかのようだ。
「……。」
正直、バンダナ男が可哀想というより、俺はこの状況自体を理解できなかった。誰だこいつら。何者なんだ。どうしてここに現れた? 疑問が次々と頭に浮かんでは消え、しかし言葉にならない。舌が上手く動かず、呼吸が少しずつ浅くなる。
「あっ、そうそう。」
若い男が思い出したように片手を打ち、再び歩み寄る。夕方の光が彼の横顔を照らし、影だけがこちらに長く伸びてくる。影がまるで生き物のように路地を這い、俺の足元に絡みつこうとしている錯覚に襲われる。
「君はなかなか面白い分子だけど……後々の僕が行う研究と、あの人の障壁になるかもしれないと思うんだよねぇ。」
にやりと笑ったその瞳には、狂気が宿っていた。表情は笑っているのに、目だけが異様に冷たく、獲物を観察する捕食者の目をしている。ぞわりと背筋を冷たいものが這い上がり、全身の毛穴が総立ちになる。あれは人間の目じゃない。もっと得体の知れない、理屈の通じない何か。
「……っ!」
その瞳を見た瞬間、理屈抜きでヤバイやつだと判断した。生存本能が警鐘を鳴らし、俺はコルト・ガバメント.45を構えようとした。だが――
腕が上がらない。肩に力が入らず、ただグリップを握りしめることしかできなかった。
(くそっ、体が動かねぇ!)




