黒い悪魔Ⅳ
「……。」
白髪の男は少女を抱えて無言で俺を見つめる。
目と目が合った瞬間、何も言わずとも互いに次にやるべきことを理解していた。
「……おじ様。」
少女が小さな声でつぶやく。
「頼むわ。」
俺は短く言葉を返した。それだけで十分だった。余計な言葉はいらない。今は一秒でも早く、こいつを安全な場所へ連れて行かなければならないのだから。
俺の一言で、少女は何か言いかけた口をつぐむ。白髪の男が彼女を抱え、迷いなくその場を離れた。重たい靴音がコツコツと遠ざかっていき、やがて路上には俺と黒い悪魔、二人だけが残された。
「ハァ……ったくよぉ、いつから俺の人生にSFってやつが介入してきやがったんだ。」
ため息混じりにぼやき、口元に皮肉げな笑みを浮かべる。
「もう少しラブとかコメとか、そういうイベントを体験したかったんだけどなぁ。」
わざとらしいほど大げさに言ってみせるが、もちろん返事はない。
「……。」
黒い悪魔は沈黙したまま、赤い目だけをじっとこちらに向けている。無表情のはずなのに、妙に圧迫感があった。
改めて向かい合って分かったが、コイツは思った以上にデカい。二メートルは下らないだろう。表面は光沢のある漆黒で、鉄かゴムか分からない質感をしており、わずかな光を反射して鈍く光っている。SP八人が全滅した理由が、今ようやく腑に落ちた。マシンガンで蜂の巣にされても倒れなかった、というのも頷ける。
(そうなると、俺のコルト・ガバメント.45で倒そうなんて、やっぱり無茶だよな……)
心の奥で冷たい声が響く。だが、足は止まらない。俺は銃を握り直し、わずかに重心を落とす。
「さて……どうする。」
独り言のようにつぶやいた瞬間、空気が一変した。
ヒュッ――と風を切る音。
無機質な黒い腕が、真横から視界に飛び込んできた。
「うおっ!?」
反射的に身をかがめる。髪が一房、宙を舞った。あと数センチ遅ければ、首ごと持っていかれていたかもしれない。
「このっ!」
勢いのまま銃を構え、丸くツルツルとした顔面に向かって引き金を引く。
パンッ!
発砲音が路地裏に反響し、硝煙の匂いが鼻を刺す。しかし、手応えはまるでない。弾丸がゴムに吸い込まれたかのように、黒い表面には穴ひとつ開いていなかった。
――シャコン。
耳のすぐ横で、乾いた小さな音がした。嫌な予感が全身を走り抜ける。
「っ!」
とっさに後ろへ飛ぶ。頬に鋭い痛みが走った。指で触れると、血が一筋垂れていた。
「おいおい、マジかよ。」
かわした悪魔の腕を見て、思わず声が漏れる。肘のあたりから鎌のような刃が飛び出していた。曲線を描くその刃は、わずかな光を反射して冷たく輝いている。大振りではないが、人の首を落とすには十分な大きさだ。
(……昔の人は言いました。)
脳裏に浮かんだ言葉をそのまま口にする。
「逃げるが勝ちってなあっ!!」
叫びながら再び銃口を悪魔に向ける。引き金を引く瞬間、悪魔はやはり避ける気配を見せない。
(狙いはお前じゃねぇ!)
俺の狙いは黒い巨体ではなかった。弾丸は悪魔の頭上――大型電光掲示板の固定金具に次々と撃ち込まれる。
ガンッ! ガンッ!
金属が砕ける乾いた音とともに、支えを失った掲示板が傾き、きしむ音を立てる。
「いったんお別れだ、化け物!!」
俺は叫んでコルト・ガバメント.45の引き金を引き、一発を撃ち込んだ。
バキベキバキッ!
鉄骨がねじ切れる音が響く。掲示板が大きく傾き、赤や青のライトが点滅しながら宙を回転する。次の瞬間、重力に引かれるように真下へ落下した。
悪魔が下敷きになったと同時に、俺は少女と白髪の男が逃げた方向とは違う方へと走り出した。
後ろから、掲示板をどかす金属音が響いてくる。それを耳にしながら、俺はがむしゃらに遊園地内を走り続けた。




