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第9話「勇者一行、臨時の出納係を雇う」

 三日で四件の依頼をこなした。


 街道沿いの薬草採取で、報告書の書式が先月から変わっていたらしい。ギルドの窓口で突き返され、書き直す間、摘んだ薬草を布袋のまま日向に置いていた。書き直しを終えて窓口に戻ると、納品先が隣町だと告げられ、もう一度歩いた。届け先の薬師は布袋を開けて中を覗き、何も言わずに閉じた。萎れていた。


 次の依頼は橋の修繕補助だった。ルークスが支柱を固定する際に隣の支柱を外し、橋は以前より揺れるようになった。修繕費の領収書は帰り道でルークスが風に飛ばした。


 迷い犬は見つけた。だが依頼主の名前を控えていなかったため、引き渡し先が分からない。犬は宿についてきた。


 荷物の護衛は、荷物だけなら無事だった。護衛完了の署名を荷主からもらい忘れ、報酬は保留になった。


 四件で得た金は、銅貨が数枚だった。ランバルトの腰痛薬を買う余裕はなかった。薬がどこで売っているのかも、わらわは知らなかった。


  *


 マルタ女将が帳場の向こうに立っていた。帳場の上で宿帳が開かれ、わらわたちの名前の横に赤い線。四本。


「あんたたち、英雄だろうが冒険者だろうが、食べた飯の代金は変わらないんだよ」


 ルークスが口を開きかけた。マルタ女将の手が帳場を叩いた。乾いた音が廊下の奥まで通った。


「聞きなさい。未払いってのはね、払わなかった側は忘れるの。でもね、待ってる側は忘れないんだよ。あたしはあんたたちの飯を作って、布団を干して、湯を沸かしてるの。その分の麦と薪と水は、あたしが自分の金で買ってるの」


 ルークスの手が下がった。


「あんたたちが払わないと、あたしが仕入先に払えなくなるんだよ。仕入先の人にも家族がいるんだよ。英雄譚じゃ、そこは出てこないだろうけどね」


 宿帳の赤い線が四本並んでいるのを、わらわは見ていた。一本目はいつ引かれたものか分からない。二本目と三本目は、あの村の倉庫の依頼の前後だろう。四本目は今日だ。


 ランバルトが頭を下げた。「必ず払います」と言った。身を起こすとき、右手が腰骨のあたりを押さえた。


 マルタ女将は腕を組んだまま、ランバルトの右手を見ていた。


「あんたの腰、前より曲がってるよ」


 ランバルトは何も言わなかった。


  *


 宿の二階の廊下を歩きながら、ルークスが言った。


「やっぱり、事務をやる人を一人雇おう」


 フリージアの足が一歩分だけ遅れた。


「システィナがやっていたことを、別の人に任せるということ?」


「いや、全部じゃなくて、帳簿とか報告書とか。そういう書類の部分を」


 ルークスは自分の部屋の扉に手をかけた。扉の取っ手に、先週買った装飾紐が巻かれている。銀貨一枚の買い物だった。紐が取っ手で揺れている。


「後遺症で事務ができなくなっただけだろ。だったら、事務だけやってくれる人を雇えばいい。戦闘は覚醒したシスティナがいるし」


 フリージアは廊下の壁に背をつけた。鞄の中を探っている。手が底まで届いて、止まった。


「詠唱メモの紙、もうない」


「メモ? 買えばいいじゃないか」


「買うのはいいけど、前はシスティナが——」


 フリージアは言いかけて、口を閉じた。前を歩くルークスは気づいていない。わらわも歩き続けた。


 部屋に戻ると、メリノが床に座っていた。膝の上に銅貨が並んでいる。


「今日、迷い犬を探してるときに、野良の猫がいて、お腹空いてたから、干し肉をあげた」


「それは依頼と関係あるのか」


「ない。あと、犬を見つけた場所の近くに、毛の長い山羊がいて、首のあたりがすごくもふもふで——」


「メリノ」


「——飼い主に聞いたら、最近ごはんが足りないって言ってたから、飼料代を少し立て替えた」


 膝の上の銅貨は、依頼で得た報酬の半分だった。


  *


 翌日、ギルドの窓口で紹介されたのは、線の細い男だった。


 名前を名乗り、書類の束を卓上に広げると、こちらの事情を十分ほど聞いた。聞きながら手元の紙に何かを書き込んでいく。字は細かく、行が真っ直ぐだった。ルークスの話を聞く間、男の視線は手元と書類の間だけを往復していて、ルークスの剣——柄だけの剣には一度も向かない。ランバルトの腰にも。


「まず、未処理の報告書が三件ありますね。書式が違うものが二件、署名漏れが一件。これは今日中に修正して再提出します」


 ルークスが頷いた。


「それから、保留中の報酬が二件。納品確認書の未提出と、護衛完了の署名漏れ。これもこちらで手続きします」


 男は紙を一枚ずつめくりながら話した。事実を読み上げるような調子だった。


「報酬の入金が確認でき次第、未払い分の優先順位を整理します。宿代と次の依頼の支度金、どちらを先にするかは後日相談させてください」


 ルークスの肩が下がった。隣でランバルトが壁から背を離した。


「助かる」


「いえ。これが仕事ですから」


 男の笑い方は穏やかだった。歯が見えた。


 男は古い帳簿を閉じ、鞄から新しい帳簿を出して開いた。表紙に日付。数字が列になって並び、見出しは正しい位置に収まり、合計欄まで埋まっている。


 わらわはその帳簿を見ていた。


 数字は揃っている。書式は正しい。合計は間違いなく見える。だが——わらわは実務を知らない。この数字が正しいかどうかを確かめる方法を、わらわは持っていない。


 鞄の中で、システィナの手帳の角が指に当たった。手帳を出した。開いた。やはり読めなかった。略称の羅列、矢印、欄外の走り書き。出納係の帳簿とは、頁の使い方が全く違っていた。


 手帳を閉じた。


 男が帰った後、ルークスは椅子に深く座った。


「これでいける。書類さえちゃんとすれば、依頼もちゃんと回る」


 ランバルトが頷いた。腰を押さえたまま。


 フリージアは窓辺に立って外を見ていた。手に何も持っていなかった。詠唱メモの紙は、まだない。


 メリノは宿の裏口から戻ってきた。服の裾に猫の毛がついている。


 出納係は帳簿を見た。報告書を見た。数字を見た。それだけだった。


  *


 三日後、出納係が二度目の帳簿を持ってきた。


 保留されていた報酬が入金され、未払いの宿代の一部が支払われた。マルタ女将の宿帳から赤い線が一本消える。数字の上では、一行の収支は改善していた。


 出納係は次の依頼の報告書の書式も用意していた。「これに合わせて記入すれば、窓口で突き返されることはありません」と言い、見本を一枚渡した。ルークスが受け取り、畳んで胸ポケットに入れた。


 わらわは帳簿の合計欄を見た。銀貨の枚数が並んでいる。入金と支出と残高。端数が丸められている箇所が一つあった。銅貨二枚分。小さな数字だった。合計の端に「雑費」と書かれている。


 意味は分からなかった。


 帳簿を閉じた。出納係は帰り、部屋にはルークスの鼻歌だけが残った。窓辺のフリージアは外を向いたまま黙っている。壁際でランバルトが腰骨のあたりに右手を当てて立ち、メリノは床に座り込んで、服から摘んだ猫の毛と山羊の毛を膝の上で分けている。


 鞄の底で、システィナの手帳が動かずにある。


 手帳を開いた。矢印で結ばれた名前の群れ。ランバルトの名前の横に「腰・薬・残量」と書いてある頁を、以前めくったことがある。フリージアの名前の横には「メモ紙・予備・補充時期」。メリノの横には「もふもふ回避ルート」。ルークスの横には長い線が引かれ、その先に何かが書き連ねてあったが、読めなかった。


 手帳を閉じた。

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