第10話「倉庫係バルガと、帳簿と現場の致命的なズレ」
第三倉庫の在庫台帳と前線からの要請書を並べたのは、補給帳簿の突き合わせを始めて五日目の朝だった。
台帳には槍が二十本と記されている。前線からは「槍が足りない」という報告が三件届いている。二十本あって足りないというのは、使い方の問題か、数え方の問題か、あるいはまた消えているのか。
定例会議でこの件を出した。幹部たちの反応は二つに分かれた。
「現場の怠慢だろう。あるものを使わないだけだ」
「帳簿に二十とあるなら足りているはずだ。倉庫係に聞け」
グロムバルトは壁際に立ったまま、鼻を一度鳴らした。視線は寄こさなかった。
会議を閉じた後、廊下で書類を抱え直した。帳簿の数字は合っている。前線の報告も嘘ではない。どちらも正しいなら、間に何かがある。
自分で見に行くしかなかった。
*
第三倉庫は城の東棟の突き当たりにあった。ピピルカの魔獣餌の購入先に指定した倉庫だが、足を運ぶのは初めてだった。石壁に囲まれた細長い部屋で、天井が低い。入口の扉は鉄製で、片方の蝶番が錆びていた。
中に入ると、槍が壁沿いの木製の立て架けに並んでいた。数えた。二十本。台帳の通りだった。
立て架けの手前に、一人の魔族が木箱に腰を下ろしていた。角は短く、横に張り出している。手には布と油の入った小瓶。槍の一本を膝に乗せ、柄を拭いていた。
「第三倉庫係か」
魔族が顔を上げた。私の姿——魔王の身体を見ても、立ち上がらなかった。木箱に座ったまま、手の中の槍を少し持ち上げた。
「バルガ・ロジスです。魔王様が倉庫まで来るのは初めてだ」
「槍の在庫を確認したい。帳簿では二十本ある」
「あります」
「前線は足りないと言っている」
バルガは膝の上の槍を立て架けに戻した。立ち上がり、立て架けの端から槍を一本抜いた。両手で柄の中央を持ち、穂先を私の方に向けた。
「これを見てください」
穂先が曲がっていた。右に、指一本分ほど。
バルガは次の槍を抜いた。これも穂先の付け根が僅かに歪んでいた。三本目は柄の中程にひびが入っていた。四本目は穂先の刃が欠けていた。
「二十本あります。帳簿の通りです」
バルガは四本の槍を床に並べた。
「このうち、前線に出してまっすぐ突けるのは十二本です。残りの八本は、立て架けに並べてあるだけだ」
私は並べられた四本の槍を見下ろした。確かに槍の形をしている。穂先もある。柄もある。だが、そのどれも、振り下ろしたら折れるか、突いたら逸れるかする代物だった。
「帳簿には『槍』としか書かれていない」
「ええ。槍は槍です。ただ、戦場で使える槍と、倉庫にある槍は同じではない」
台帳を開いた。品名の欄には「槍」、数量の欄には「二十」。状態を記す欄はなかった。
「状態を記録する仕組みがない」
「ありません。数が合っていれば、誰も困らないことになっている。帳簿の上では」
*
立て架けの二十本を全部確認する必要があった。一本ずつ抜いて、穂先の歪み、柄のひび、刃の欠けを調べる。修理可能なものと廃棄すべきものを分け、前線に出せる本数を確定させる。
手を伸ばしかけた。バルガが先に立て架けから一本を抜いた。
「やりましょうか」
止まった。帳簿の端を握っていた指が、少し強くなった。
バルガは槍の柄を両手で回し、穂先の付け根を指で押した。
「歪みなし。刃の欠けなし。柄は問題ない。これは出せる」
一本目を右側に立てかけた。次の槍を抜いた。
「穂先が左に二指分曲がっている。柄は問題ない。修理すれば使える。ただし今日は出せない」
二本目を左側に立てかけた。
正確だった。私が見ようとしていたのと同じ箇所を、同じ順番で見ていた。
「……続けて」
バルガは頷いて、三本目を抜いた。
私は台帳を膝に置いて、バルガが読み上げる状態を書き込んでいった。出せる槍が右に並び、出せない槍が左に並ぶ。バルガの手は迷わなかった。穂先の歪みを確認するとき、柄を回す角度が毎回同じだった。
全二十本の確認が終わった。右側——前線に出せる槍が十二本。左側——修理か廃棄が必要な槍が八本。最初にバルガが言った通りだった。
「前からこうだったの」
「おおむね。修理されないまま戻ってくる槍が増えて、数年でこうなりました。数を報告する仕組みはあっても、状態を報告する仕組みがないので」
台帳に新しい列を書き足した。「使用可」「修理要」「廃棄」。二十本の横に、それぞれの状態を記入した。
「バルガ。この確認作業を、今後も続けてもらえる?」
バルガが私を見た。一拍の間があった。
「任せてもらえるなら」
「週に一度、状態を記録して報告してほしい。台帳の書式はこれで」
書き足した台帳を見せた。バルガは頷いた。
*
帰り際に、倉庫の奥にもう一つ扉があるのが目に入った。鉄の扉で、表面に黒い封印章が押されている。
「あれは」
「第零倉庫です」
「棚卸しの対象は」
「あそこだけは別です。誰も入らない。入れない」
バルガの声は平坦だった。
「他の倉庫も同じ状態だと思う?」
「おそらく」
「なら他の倉庫も同じ要領で整理できるはずよ。台帳に状態を足して、管理責任を明確にすれば——」
バルガは布で手を拭いていた。拭き終えてから、布を畳んで木箱の上に置いた。
「槍の状態を見るだけなら、それで足ります」
「だけなら?」
バルガは答えなかった。立て架けの槍を一本だけ指先で直し、並びを揃えた。手は止まらなかったが、口は開かなかった。
「……台帳を作るのは、いいことだと思います」
それだけ言って、バルガは次の槍の手入れに戻った。
台帳を閉じた。聞き返さなかった。
倉庫を出た。廊下を歩きながら、台帳を開いた。「使用可」「修理要」「廃棄」。書き足した三つの列は、どれも埋まっていた。
台帳の端に、余白が一行だけ残っていた。何も書けなかった。




