第7話「契約書を読まない勇者たち〜戦闘に勝っても赤字です〜」
ギルドの掲示板に貼られた依頼書は、端が黄ばんでいた。
「倉庫の魔獣退治。報酬は銀貨十二枚」
ルークスが依頼書を剥がしながら読み上げた。銀貨十二枚。宿代の未払いと次の遠征の支度金を考えれば、足りない。だが選べる依頼は他になかった。
「場所は?」
「街道沿いの村だ。馬車で半日——いや、歩きだと丸一日か」
馬車代が出せないことを、ルークスは言わなかった。わらわも聞かなかった。
*
村の倉庫は、石壁と木の屋根でできた平屋だった。入口の扉が内側から押し破られ、蝶番が片方外れている。壁際に積まれていた穀物袋が三つ裂けて、中身が床に散らばっていた。
魔獣は四頭。体長は犬二匹分ほどで、背中に短い棘が並んでいる。穀物に鼻面を突っ込んでいた一頭が、こちらに気づいて首を上げた。
「よし、行くぞ!」
ルークスが聖剣——柄だけの剣を抜いた。刃がないことを一行の誰も指摘しない。勢いだけは本物で、ルークスは倉庫の入口から真っ直ぐに踏み込んだ。
遅い。
ルークスの足が石畳を蹴る前に、わらわの身体は動いていた。システィナの身体は軽い。重心が高く、足の裏が地面を捉える感覚が薄い。だが関係なかった。魔獣の動きは読める。一頭目が棘を立てて飛びかかる軌道、二頭目が横に逃げようとする体重移動、三頭目が穀物袋の陰に潜ろうとする視線の向き——全部見える。
一頭目の突進を半歩で避け、首の横を手刀で叩いた。脚が折れるように崩れ、床に転がる。二頭目は壁伝いに走ったが、走路の先にわらわがいた。脚を払って転がし、三頭目が逃げ込もうとした穀物袋の山を蹴り崩して退路を塞いだ。四頭目が棘を総立ちにして威嚇していたが、わらわが一歩踏み出すと尾を巻いて倉庫の奥へ後退した。
四頭とも、殺していない。二頭は床に転がったまま動かず、残りの二頭は壁際で棘を伏せている。
「——は?」
ルークスが剣を構えたまま、入口に立っていた。後ろでランバルトが盾を構え、フリージアが詠唱の最初の一節で口を止めている。メリノは倉庫の外で、柵の向こうにいる羊を見ていた。
「システィナ……お前、やっぱり覚醒してたのか」
覚醒。この言い方は四度目になる。
「早く残りを追い出そう」
「お、おう」
ルークスが壁際に追い込まれた二頭を追い立てようとして、聖剣の柄を振り上げた。
柄が壁に当たった。
音がした。乾いた、嫌な音だった。
石壁に亀裂が走り、積み上げられていた棚が傾き、壁の一部が外側に崩れた。日光が差し込み、倉庫の中に影がもう一つ増えた。
ルークスは崩れた壁を見下ろし、柄を鞘に戻し、崩れた壁をもう一度見下ろした。
「……風通しがよくなったな」
返事をする者はいなかった。
*
残りの二頭を追い出すために、フリージアが軽い風の魔法を詠唱し始めた。
そのとき、柵の向こうにいた羊が一頭、崩れた壁の穴から倉庫の中を覗き込んだ。
「めぇ」
メリノの足が止まった。
「だめ。今は仕事中」
メリノは自分に言い聞かせるように呟いたが、羊がもう一頭、穴から顔を出した。二頭目は耳が垂れていた。
メリノの手が伸びた。
「一回だけ。一回、触るだけ」
メリノは柵を越えた。
背後で、フリージアの詠唱が倉庫の中に響いていた。振り返ると、低く一定の声に乗って、緩い風が奥から入口へ流れ始めている。魔獣の体毛が出口の方へなびいた。
魔獣の一頭が、追い立てられながら棘を震わせた。棘が穀物袋に引っかかり、袋が裂け、中から粉が舞い上がった。粉の中から荷札が一枚、風に乗ってフリージアの方へ飛んでいった。
フリージアの詠唱が一音だけ途切れた。そして、詠唱ではない声が混じった。
「——赤毛の餡」
風が変わった。フリージアの杖の先で空気が渦を巻き、穏やかに出口へ向かっていた気流が突然真上に吹き抜ける。頭上で梁が軋み、木が裂ける音がして、視界が一気に明るくなった。
見上げると、屋根がなかった。青空の中に、屋根板が数枚、ゆっくり回転しながら落ちていくところだった。
フリージアは杖を下ろしたまま、天井のあった場所を見上げていた。
倉庫の奥で重いものが落ちる音がした。ランバルトが何か言おうとして、腰を押さえた。破れていない穀物袋を積み直している。袋を持ち上げるたびに腕が震え、置くたびに膝が深く曲がる。背中はもうまっすぐに伸びなくなっていた。
*
村の倉庫番に引き渡すとき、わらわは読んでいなかった。
依頼書の裏面を。
「討伐証明:対象魔獣の棘甲殻片を採取し提出のこと」——裏面の最初の行が、そう書いてあった。追い払っただけでは足りない。倒して、部位を切り取る必要があった。気絶していた二頭は、もういなかった。
倉庫番が納品確認書を差し出した。破損した穀物の袋数、残存数、倉庫内の備品の状態——欄が並んでいる。メリノがその場にいなかった。柵の向こうで、垂れ耳の羊の腹に顔を埋めている。
納品確認書は空欄のまま、倉庫番の手に返された。
*
ギルドの窓口は狭かった。
職員は眼鏡をかけた痩せた男で、依頼書と報告書を並べて一行ずつ照合していた。わらわたちは窓口の前に五人並んで立っていた。ランバルトだけが壁に背をつけ、右手で腰骨のあたりを押さえている。
「まず、討伐証明の提出がありません」
職員の指が依頼書の第三項を指した。
「討伐証明——棘甲殻片の提出がない場合、基本報酬から四割を減額します」
銀貨十二枚の四割。銀貨は約五枚消えた。
「次に、倉庫の破損について」
職員の指が第五項に移った。
「依頼対象施設に対する受託者の過失による破損は、修理費相当額を報酬から差し引きます。壁の修理費が銀貨三枚、屋根の修理費が銀貨四枚。計七枚」
残りの銀貨は約七枚から七枚を引く。ゼロ。
ルークスが口を開きかけた。職員の指はすでに次の項目に移っていた。
「納品確認書が未記入です。依頼完了の最終確認が取れないため、残余報酬の支払いを保留します」
保留。
「保留というのは」
「納品確認書が提出され次第、残余報酬をお支払いします。現時点では、お渡しできる金額はありません」
窓口の向こうで、職員が依頼書を閉じた。
銀貨十二枚の依頼を受け、魔獣を四頭追い払い、壁と屋根を壊し、証明部位を取り忘れ、確認書を出し忘れた。手元に残ったのは、ルークスの空の財布。ランバルトの曲がった腰。フリージアの静かな顔。メリノの服についた羊の毛。
わらわはシスティナの手帳を鞄から出した。手帳を開いた。中身は読めなかった。略称と記号の羅列は、どの頁も暗号にしか見えない。
手帳を閉じた。
「なぜだ」
システィナの喉が鳴った。わらわの声ではない。借り物の声帯が、勝手に震えている。
「勝ったのに、なぜ金がない」
職員は眼鏡の位置を直した。
「契約書に記載された条件が満たされていないためです。戦闘の勝敗と、依頼の完了は別の事項になります」
依頼書が閉じられたまま、窓口の向こうに置かれている。
戦場では、敵を倒せば、その足元に転がったものを拾えばよかった。金貨の袋は片手で掴める重さで、腰の帯に括りつければもう自分のものだった。
窓口の上に、硬貨は一枚も出てこない。魔獣は追い払った。倉庫の床に爪痕と穀物粉が残っているだけだ。それでも職員の手は金庫に伸びず、依頼書だけが閉じている。
*
宿への帰り道は黙っていた。ルークスだけが口を開いた。
「なあ、要するに、戦闘以外の細かいことを全部やってくれる奴がいればいいんだよな」
フリージアが足を止めた。何か言いかけて、前を歩くルークスの背中を見て、また歩き出した。
「帳簿とか、証明書の回収とか、確認書の記入とか。そういうのを全部やる人を、一人雇えばいい」
ランバルトが腰を押さえたまま頷いた。メリノは服についた羊の毛を一本ずつ取っていた。
「ギルドで紹介してもらおう。事務ができる奴を」
誰も反対しなかった。
鞄の中で、システィナの手帳の角が腰に当たっていた。歩くたびに、同じ場所を叩く。




