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第6話「魔獣の餌代未払い事件〜会議室、占拠される〜」

 魔王城に来て四日目の朝、第二会議室の前に幹部が五人立っていた。


 中に入れないのだという。


 理由は扉の隙間から漏れる音で分かった。低い唸り声、爪が石を引っ掻く音、そして乾いた木が裂ける音——椅子の脚を齧っている。


「三日前に一頭入り込みまして」幹部の一人が壁に背をつけたまま言った。「昨日の朝には、なぜか七頭に増えておりました」


「追い出さなかったの?」


「追い出したのですが、戻ってきまして……」


 別の幹部が腕を組み直した。「いっそ殺処分にという声もあったんですが、軍用魔獣なもので、戦力報告書の改訂が——」


「『誰がその面倒な書類を書くんだ?』と、揉めに揉めまして」


 五人が五人とも、視線を床に落とした。


 扉の隙間から、魔獣の尾がゆっくりと覗いて、また引っ込んだ。


  *


「あの」


 声がした。幹部たちは振り返らない。五人の大柄な背中と角の列は、廊下の半分を壁にしていた。


「あの、餌……餌です」


 幹部の肩の隙間から、廊下の壁際にしゃがみ込む影が見えた。角が小さく、耳の先だけ赤い。胸に書類の束を抱えている。束の角が何度も折り直されて、紙の繊維が毛羽立っていた。


「ん?」幹部の一人が肩越しに顔だけ向けた。


「餌を、あげてください。申請書は出しました」


「飼育係か。予算は上が決める。自分の仕事をしろ」


「上が決めないから餌が来ないんです」


 声は震えていた。だが書類の束を握る指の関節は白かった。


「何回出したの?」


 私の声に、幹部たちの壁が左右に割れた。その奥で、飼育係が顔を上げる。


「ま、魔王様——」


「申請書は、何回出したの」


「……十四回です」


 束を受け取った。十四枚。全て同じ書式で、日付だけが違う。最も古いものは二ヶ月前。最も新しいものは昨日の日付が入っていた。


 余白の補足欄を順に読んだ。一枚目は「魔獣用飼料の予算執行をお願いいたします」と丁寧に書いてある。五枚目は「前回と同内容です。ご確認ください」。十枚目は「餌が届きません」。筆圧が上がって、紙の裏まで字の跡が凹んでいた。


 十四枚目の補足欄には、一言だけ書いてあった。


 ——お願いします。


 杖を壁に立てかけた。


「名前は?」


「ピ、ピピルカです。魔獣飼育係の——」


「ピピルカ。承認印はどこにある?」


「三枚目の——ここです」


 三枚目を開いた。承認印が押されていた。日付も担当者印もある。


「承認されている」


「はい」


「されているのに、支払いが執行されていない」


「……はい」


 承認印の横に、決裁の転送先が記されていた。飼育部門から管理部門へ。管理部門から経理部門へ。経理部門から補給部門へ。補給部門から防衛部門へ。防衛部門から——転送先はまだ続いている。


「なぜ魔獣の餌代に、防衛部門の承認が要るの」


 幹部の一人が首を傾げた。「昔からそうなっておりまして」


 転送先を指で追った。七部門。餌を一袋買うのに、七つの印が要る。


 四枚目をめくった。三枚目と同じ書式、同じ承認欄。だが承認印の隣に、見慣れない印が押されていた。


 赤い朱肉ではない。黒い墨。角ばった枠の中に「第零」の二文字。帳簿で見た文字列が頭をよぎった。第零系統保守費。旧戦時区画維持費。封印魔力供給費——あの不自然に正確な数字の群れと、同じ記号体系だった。


「この印は」


 幹部たちの視線が一斉に泳いだ。


「第零区画の……優先印、です」


 他の幹部が目を逸らした。


「それが押された案件は、他の全ての支払いに優先されます。ですので、それ以外の——」


「それ以外が止まる」


 誰も返事をしなかった。


「その書類を置け」


 声は背後から来た。振り返ると、廊下の角を曲がったところに大柄な魔族が立っている。他の幹部より二回りは太い角。目が細く、こちらを見据えたまま近づこうとしない。


「グロムバルト殿」幹部の一人が名前だけ呼び、それきり黙った。


「魔王様。第零の印がついた書類は、わしの管轄だ」


「これは魔獣の餌代の申請書だけど」


「印がついている以上、わしの管轄だ。他部署が首を突っ込む問題ではない」


 間があった。廊下を風が通り、会議室の中の魔獣が一頭だけ低く鳴いた。


「……分かった」


 四枚目だけを棚の上に戻した。グロムバルトの肩が僅かに下がる。


 残りの十三枚を手元に残し、ピピルカに向き直った。


「ピピルカ。今日から、魔獣の餌に関する緊急購入権限をあなたに与える」


「え——」


「購入先は第三倉庫の備蓄から。上限額は月次で私が確認する。決裁は飼育部門から補給部門への直通にする」


 ピピルカの唇が動いたが、声が出るまでに数秒かかった。


「申請書は……」


「一枚でいい。書式は私が今日中に作る。餌代は毎月の固定費として組み込んでおくから」


「十四枚、出さなくてよくなるんですか」


「一枚でいい」


 ピピルカが十四枚の申請書を胸に抱き直した。紙がくしゃりと鳴った。角の小さな影が揺れて、飼育係は二度頷き、書類の束を抱えたまま廊下の向こうへ走っていった。


  *


 昼過ぎに、第三倉庫から乾燥肉と穀物の袋が四つ運ばれてきた。ピピルカが袋の口を開き、会議室の扉を細く開けて中に押し入れた。手が震えている。袋は引っ込めなかった。


 齧る音。飲み込む音。低い唸りが次第に途切れ、穏やかな息遣いに変わる。


 一頭、二頭と会議室から出てきた魔獣は、膨れた腹を引きずるように歩いた。七頭目——最後の一頭が、齧りかけの椅子の脚を咥えたまま廊下を去っていく。ピピルカが追いかけ、椅子の脚に手を伸ばし、魔獣に軽く鼻を鳴らされて足が止まった。


 会議室の扉が完全に開いた。床に爪の跡。壁の戦略図が半分剥がれている。椅子は三脚が無事で、残りは脚が足りない。


 幹部の一人が、私が棚に広げたままの書類——決裁ルートの整理図と、餌代の月次予算配分表——を覗き込んでいた。


「……魔王様。これは、何の術式でしょうか」


「予算表よ」


「よ——さん」


「数字を並べたものよ。足し引きすれば、何にいくら使えるか分かる」


 幹部は予算表をもう一度見下ろし、隣の幹部と目を合わせた。二人とも何か言いかけて、やめた。


 私は棚の上に残しておいた四枚目——第零の黒い印が押された申請書を手に取り、自室に持ち帰る書類の束に重ねた。


 束の上に、ペンで一行書き加える。


「要監査」


 廊下に足音はなかった。だが背中に視線だけが残っていた。

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