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第4話「偽システィナ、即バレ寸前」

 光が収まった時、地面が柔らかかった。


 土の匂い。草。風に混じって、どこかの炊事場から煙が流れてくる。石と粉塵しかなかった玉座の間とは、空気の密度が違う。


 立ち上がった。足元に帰還アイテムの殻が転がっている。使い切った魔道具は光を失い、ただの金属片に戻っていた。


 手を見た。細い指。短い爪。掌の豆が硬い。ペンでできた豆。この体の持ち主が、毎日何をしていたかが掌に刻まれている。


「システィナ!」


 声。前方から駆けてくる足音が四つ。


 勇者が先頭で走ってきた。マントの裾が千切れたままなびいている。その後ろに盾役、魔法使い、治療師が続く。四人の顔には汗と石の粉が残っていて、鎧のあちこちに擦り傷がある。


 四人がわらわの前で止まった。勇者が膝に手をついて息を整えている。


「無事か。転送で逸れたかと——」


「……無事、じゃ」


 語尾が滑った。四人の視線がこちらに集まる。


「——です」


 勇者は息を吐いた。笑っている。「よかった。全員揃ったな」


 盾役が腰を押さえながら頷いた。治療師が一行の傷を順に確認し始めた。魔法使いだけが、一拍遅れてこちらを見ていた。


  *


 街道に出た。最寄りの宿場町まで半日の距離だと、勇者が言った。


 歩き始めて最初の問題が起きた。


「システィナ、今夜の宿は?」


 勇者が振り返った。全員の視線がこちらに来る。


 宿。この体の持ち主は宿を手配していた。予算、空き状況、町の治安、寝具の質、乾燥室の有無、荷物の保管場所、朝食の有無。この体の掌にはその全てを書き留めた豆があるが、わらわの頭にはどの町に宿があるかすら入っていない。


「……今日は、野営で」


「え、いつも宿取ってくれてたじゃん」


「今日は……そういう気分です」


 勇者は首を傾げたが、「魔王城から戻ったばかりだしな」と自分で納得した。盾役が無言で荷物から天幕布を引き出し始めた。腰を押さえている。


 二番目の問題。


「システィナ、俺の腰痛薬ってあと何回分ある?」


 盾役がこちらを見た。腰痛薬。鞄の中にあるはず。鞄を開けた。瓶が五本、包みが三つ、紐で束ねた書類が一束、革の手帳が一冊——どの瓶がどの薬なのか、ラベルの達筆な文字が読めても、中身と結びつかない。


 瓶を一本取り出した。蓋を開けて嗅いだ。花の匂い。


「それ、私の傷薬です」


 治療師が横から手を伸ばして瓶を戻した。次の瓶。酸っぱい匂い。


「それは虫除けですね」


 三本目。無臭。


「蒸留水」


 盾役が黙ってこちらを見ていた。そして、「いや、いい。大丈夫だ」と言って、腰を押さえたまま歩き始めた。


 三番目の問題は地図だった。


 分岐路に出た。勇者が「どっち?」と聞いた。手帳を開いた。地図が詳細に描かれている。等高線、水場の印、魔獣の出没パターン、季節ごとの安全度が色分けされていた。色分けの凡例は手帳の表紙裏に貼ってある。文字が細かすぎて読む前に目が痛くなった。


「……右、で」


 右に曲がった。二刻後、同じ分岐路に戻ってきた。


 勇者は何も言わなかった。黙って左に曲がった。


  *


 四番目の問題は、問題が起きる前に起きた。


 林道を抜ける手前で、茂みの向こうから毛皮のかたまりが転がり出てきた。丸い。耳が垂れている。鼻先が濡れていて、小さな目がこちらを見上げた。


 治療師の足が止まった。


「もふ……」


 治療師の目の焦点が変わった。鞄から手が離れ、両手が前方に伸びかけた。


 わらわは何もしなかった。何をすればいいか知らない。


 勇者が治療師の肩を掴んだ。「メリノ、駄目だ。それ魔獣」


 治療師は勇者の手を払いのけず、しかし毛玉を見つめたまま三歩進んだ。毛玉が鳴いた。高い声。治療師がさらに一歩進んだ。


 魔法使いが杖を構えて茂みに火球を撃ち込んだ。毛玉が飛び上がり、林の奥に消えた。治療師が、火球が飛んでいった方向を五秒ほど見つめてから、ゆっくり振り返った。


「……もう少し見たかったです」


「いつもシスティナが迂回ルート取ってたんだよな」


 勇者がこちらを見た。わらわは黙って歩き続けた。


  *


 五番目の問題は、追い剥ぎだった。


 街道の狭まりで五人の男が木の陰から出てきた。剣が三本、斧が一本、棍棒が一本。先頭の男が顎で一行を指した。


「荷物を置いて——」


 体が動いた。


 考えるより先に足が出た。先頭の男の剣を持つ手首の内側に掌底を打ち込んだ。骨を通して衝撃が掌に返る——この体の手は薄く、打った側もじんと痺れた。剣が落ちる前に柄を蹴り上げ、回転した剣の柄頭を二番目の男の鳩尾に押し込んだ。三番目が斧を振り上げる間に、その軸足を払った。足の甲に脛骨の硬さが当たる。斧が地面に刺さった。四番目が棍棒を横に振った。下に潜って風圧が髪を撫で、立ち上がりざまに肘で胸を突いた。肘から肩まで反動が走り、この体の細い腕が軋むのが分かった。五番目は武器を構えたまま三歩後退し、仲間を見て、武器を捨てて走った。


 四人が地面に転がっている。起き上がる者はいない。


 掌底を打った手を開いた。痺れが指先まで残っている。息は切れていない。


 振り返った。


 四人が立ち尽くしていた。


 勇者の口が開いていた。盾役は剣に手をかけたまま抜いていない。治療師は鞄を抱えた姿勢のまま固まっている。


 魔法使いが杖を下ろした。その目がこちらにあった。他の三人が驚きで目を開いているのとは違い、魔法使いの目は細く、まばたきの間隔が長かった。


「……システィナ、いつからそんなに動けたの?」


「……魔王城で」


「魔王城で?」


「覚醒……みたいな」


 勇者が両手を叩いた。「覚醒か! そういうの聞いたことある。極限状態で眠ってた力が——」


「ルークス」


 魔法使いが勇者の言葉を止めた。視線はまだわらわにある。


「あの動き、剣術でも格闘術でもない。型がない。見たことない動き方」


「だから覚醒だろ? 型を超えた的な——」


「型を超えたんじゃない。型そのものがないの。習った動きじゃなくて……身体が勝手に覚えているみたいな動き」


 沈黙が落ちた。わらわは魔法使いの目から視線を外せなかった。


 盾役が咳払いをした。「魔王城で何かあったんだろう。無理に聞くことじゃない」


 勇者も頷いた。「そうだな。すまん、システィナ」


 治療師が一歩前に出た。「診察させてもらえますか」


 手を取られた。脈を測られ、額に手を当てられ、目を覗き込まれた。治療師の手つきは丁寧で迷いがない。


「魔力の乱れもない。呪いの痕跡もなし。ただ……疲労が強いのか、反応が少し荒いです」


「後遺症だろう」勇者が言った。


「魔王城の影響が残ってるんだと思います」治療師が頷いた。「今日は休ませたほうがいいです」


 勇者が水袋を差し出してきた。「飲め。今日はもう歩かなくていい。野営の準備は俺たちでやる」


 水袋を受け取った。手が止まった。


 革の表面がまだ勇者の掌の温度を残していた。水袋を両手で持ったまま、四人の顔を順に見た。勇者は笑っている。盾役は腰を押さえている。治療師は鞄を整理し始めた。四つの顔がこちらを向いていて、そのどれにも敵意がなかった。


 魔法使いだけが、まだこちらを見ていた。


「ありがとう……ございます」


 声が掠れた。語尾だけ、かろうじて形になった。


 勇者が天幕を広げ始めた。盾役が石を集めて竈を組んだ。治療師が薪を折ろうとした。三人とも手際が悪い。天幕の紐が絡まり、竈の石が崩れ、薪が太すぎて折れない。


 魔法使いが最後にもう一度だけ、こちらの足元を見た。それから何も言わずに火起こしを手伝いに行った。


 水袋の水を一口飲んだ。温い水が喉を通った。


 勇者が天幕の紐と格闘しながら言った。「明日にはいつものシスティナに戻るさ」


 わらわは天幕に背を向けて、手帳を開いた。凡例の文字が細かい。色分けの意味がまだ分からない。ページをめくるたびに、あの女の字で書かれた観察が途切れなく続いていた。ランバルトの腰痛薬の補充スケジュール、フリージアの詠唱メモ用紙の在庫数、メリノのもふもふ回避ルートの候補一覧、ルークスの月間支出上限——一人ずつ、道具と数字と季節ごとの注意事項が書き分けられている。


 手帳を閉じた。

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