第2話「魔王城決戦で勇者パーティー完全崩壊」
ランバルトの腰痛薬は二日目の朝に底をついたが、街道沿いの薬師に事前に手配していた分で補充できた。フリージアの詠唱メモ用紙は三枚消費して残り九枚。メリノは一度だけ道端の野良猫を追いかけたが、猫だったので問題はなかった。蝋燭は五本すべて使い切っている。
三日後の朝、魔王城の正門に着いた。門扉が片方外れて地面に倒れている。蝶番が赤く錆びていた。私が事前に調べた罠配置図と照らし合わせ、正門付近の圧力板式トラップは左側通行で回避できることを確認した。ランバルトに左寄りで進むよう指示した。
「さあ、いよいよだな」
ルークスが聖剣の柄に手をかけた。刃が陽の光を受けて白く輝く。
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城内に入ってすぐ、石造りの回廊が続いていた。壁に燭台が等間隔で並んでいる。私は罠配置図を確認し、三番目の石畳を踏まないよう全員に伝えた。ルークスが三番目を踏んだ。何も起きない。手帳に「罠配置図・精度要修正」と書いた。
最初の敵は、回廊の奥の広間にいた。
石の守護像が二体。台座から降りて、こちらに向かってくる。高さは私の背丈の倍ほどで、腕が丸太のように太い。
ルークスが聖剣を抜いた。刃が燭台の炎を受けて輝き、柄の装飾が光の筋を壁に散らした。
「任せろ」
ルークスが踏み込み、聖剣を守護像の胴に振り下ろした。
甲高い音。刃先が跳ね返された。石の表面に傷一つない。聖剣の刃先が親指の幅ほど曲がっていた。
ルークスがもう一度振った。横薙ぎ。刃が守護像の腕に当たり、表面の金色の塗装が剥がれた。塗装の下から鉛色の地金が覗いている。刃の中ほどに亀裂が走る。
ルークスが聖剣を顔の前に持ち上げた。亀裂から金色の塗料が粉になって落ちる。柄の宝石が一つ、接着が外れて床に転がった。
ランバルトが盾で守護像を押し返した。フリージアの魔法が守護像を砕く。二体目はランバルトが盾ごと体当たりして壁に押しつけ、フリージアが追撃した。
戦闘が終わった後、ルークスは聖剣を見ていた。刃に走った亀裂。剥がれた塗装。床に転がったままの宝石。
私は手帳に「聖剣・品質不良(偽造品の疑い)」と書いた。購入価格の欄は空白にした。
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次の回廊の入り口に銘板があった。石壁に深く彫り込まれた文字で、「ぽよぽよ回廊」と書いてある。
フリージアの足が止まった。
私は銘板に気づいた時点で前を歩いていたので、振り返った。フリージアは杖を握ったまま肩を震わせている。唇を強く引き結んでいた。
「先に進む。フリージア、前を見て」
フリージアはうなずいた。うなずきながら銘板を見ていた。
回廊を抜けた先の広間には「もちもちの間」と刻まれている。フリージアの呼吸が乱れた。
その奥の通路。「ぷにぷに回廊」。
フリージアが詠唱を始めた。偵察用の探知魔法。七節目で声が裏返り、八節目は出なかった。不発。
フリージアは杖を床に突いた。目に涙が浮かんでいる。笑いをこらえている涙だった。
手帳に「詠唱障害・環境要因(命名規則)」と記入した。
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ぷにぷに回廊を半分ほど進んだところで、通路の横穴から魔獣が現れた。
体長は犬ほどだが、全身が白い巻き毛に覆われている。丸い目が二つ、毛の隙間からこちらを見ていた。尻尾が床を叩いている。
メリノの足が止まった。
魔獣はもう一頭出てきた。二頭目は灰色で、一頭目より少し小さい。二頭が並んで首を傾げた。
メリノが一歩前に出た。手が伸びかける。
「メリノ」
私の声に、メリノは手を引っ込めた。視線は戻らない。
ランバルトが盾で魔獣を追い払おうと一歩踏み出した瞬間、腰から短い音がした。膝が折れかけ、盾の端が床に擦れた。
歯を食いしばって立ち直ったが、背筋が先ほどより浅く曲がっている。
手帳に「ランバルト・腰痛再発(戦闘継続に支障あり)」と書いた。
魔獣二頭は、メリノを一度振り返ってから横穴に戻っていった。
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玉座の間への最後の通路で、天井が崩れた。
ルークスが偽物の聖剣で壁を叩いた直後だった。頭上の石組みの隙間から砂がこぼれ、次の瞬間には石の塊が三つ落ちてきた。
二つは通路の前方に落ちた。退路側ではない。一つが、私の頭上に来た。
影が広がる。見上げる暇はなかった。
横から飛び込んできたのはランバルトだった。盾を頭上に掲げている。腰が曲がったまま、片膝をついた姿勢。石の塊が盾に当たり、ランバルトの腕が震えた。膝が床に押し込まれる。歯の間から息が漏れた。
フリージアが杖を振った。詠唱は三節。途中で噛んだ。防御魔法の半分だけが発動し、青い膜がランバルトと私を覆う。膜は薄く、端が揺れていた。それでも、二発目の落石を弾いた。
メリノが駆け寄った。ランバルトの腰に手をかざし、回復の光が灯る。三秒前までもふもふの魔獣を目で追っていた手が、迷いなくランバルトの負傷を探っていた。
ルークスは折れかけた聖剣で三つ目の落石を横に叩いた。刃が半ばから折れた。残った柄と刃の破片を握ったまま、通路の先を睨んでいる。
瓦礫の粉が収まった。
全員を見た。ランバルトは膝をついたまま盾を下ろせずにいる。フリージアは半端な防御魔法を維持しようと杖を握り続けている。メリノはランバルトの腰に手を当てたまま動かない。ルークスは柄だけになった聖剣を持って立っている。
鞄から帰還アイテムを取り出した。事前に動作確認は済ませてある。起動すれば、全員を最後に宿泊した町まで転送できる。
「撤退する」
誰も異論を言わなかった。帰還アイテムを握った。
手帳を閉じた。
*
玉座の肘掛けに頬杖をついて、見ていた。
あの通路の崩落は、年に何度か起きる。天井の石組みに隙間が増えている。
勇者の剣は偽物だった。盾役は腰を壊していた。魔法使いは部屋の名前を見ただけで声が裏返り、治療師は毛玉に手を伸ばしかけていた。
話にならない。
だが崩落の瞬間、あの一行は動いた。盾役は腰が折れかけた体で飛び込み、魔法使いは噛みながら杖を振り、治療師は毛玉から目を切った。勇者は柄だけの剣で石を叩いた。
四人の体が向いていた先は、同じだった。
あの女が道具を握って「撤退する」と言ったとき、四人は黙って立ち位置を変えた。あの女を中心に、円を描くように。
帰還の光が通路を満たし、五人の輪郭が薄れていく。
通路の奥から粉塵がゆっくり流れ込んでくる。崩落で散った石片が、床の上に白く積もっていく。
肘掛けを見た。頬杖をついていた方に、爪の跡がついている。
立ち上がりかけて、やめた。玉座の間に足音はない。
座り直した。背もたれが冷たい。




