第1話「ポンコツ勇者パーティーと、徹夜の裏方実務担当」
魔王城まであと三日の距離に、橋が四つある。うち二つは去年の洪水で欄干が流されており、一つは荷馬車の重量制限を超えると床板が抜ける。残りの一つは安全だが、渡った先の街道沿いにもふもふ系の野良魔獣が巣を作っている。
蝋燭が二本目に変わった頃、私はようやく五番目のルート候補を地図に引き終えた。
魔獣の出没時間帯を避け、腰に負担のかかる急坂を迂回し、フリージアの詠唱を乱しかねない地名——「ぷりけつ峠」と「おなら渓谷」——を通らず、メリノの視界にもふもふが入らない経路。それら全てを満たすルートは、直線距離の二・七倍になった。
宿の机に広げた地図の余白が足りなくなったので、裏面にも注釈を書いた。「橋Cの三本目の杭は浮いている」「二日目の昼食ポイントは南側の岩陰、北側は風が巻くためランバルトの腰に悪い」「おなら渓谷方面から風が吹いた場合、フリージアに耳栓を渡すこと(予備は私の鞄の左ポケット)」。
隣の部屋からランバルトの寝息が聞こえた。規則正しいが、三回に一回、わずかに詰まる。腰をかばって寝返りを打てていない。明日の出発前に腰痛薬の残量を確認する必要がある。手帳の端にメモを足した。
蝋燭の三本目に火を移す頃には、出発用の荷物チェックリスト、魔王城周辺の推定罠配置図、帰還アイテムの動作確認手順書、そしてルークスが前回の村で壊した柵の謝罪文の下書きが机の上に並んでいた。
窓の外が白み始めた。寝ていない。
*
翌朝、ルークスが食堂に降りてきたとき、私はすでに荷物の最終確認を終えていた。
「今日はこっちの道から行こう」
ルークスが地図を手に取った。私が昨夜引いた五番目のルートを指でなぞりながら、窓の外を見た。
「なんとなく、こっちの方がいい気がするんだ。勇者の勘ってやつかな」
地図の余白に書いた注釈は、ルークスの親指の下に隠れていた。私は手帳に「蝋燭代・三本」と書き足した。
ランバルトが食堂に来て、黙って席についた。腰をかばう動きが昨日より大きい。私が椅子の座面に畳んで置いておいた薄い座布団に、何も言わず座った。
「今日のルート、坂が少なくていいな」
ランバルトがパンをちぎりながら言った。私はうなずいて、手帳に「座布団・貸出中」と書いた。
フリージアが降りてきた。今日の経路上の地名一覧を確認し、危険な語感のものがないことを黙って確かめた。問題ない。昨夜のうちに全て避けてある。
メリノが最後に降りてきた。窓から外を覗き、街道の方角を確認するような目つきをした。もふもふがいないか見ている。いない。いないように道を選んである。
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街を出る前に、広場を通った。
昨日、ルークスが街外れの魔獣を追い払ったことが広まっていた。果物売りのおばさんがルークスにリンゴを渡した。肉屋の主人が手を振った。子どもたちが「勇者様」と叫びながら走ってきた。
「いやあ、照れるな」
ルークスが手を振り返した。リンゴを齧りながら歩く姿は、確かに絵になった。
私の鞄の中で、三ページ分の書き込みで黒く潰れた手帳が揺れていた。魔獣の出没時刻、移動経路、風向きごとの接近パターン。待ち伏せ地点を割り出すのに三日かかった記録だった。広場で手を振る人間の中に、その手帳の存在を知っている者はいなかった。
手帳に「リンゴ・一個(寄贈)」と記録した。
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問題は、昼過ぎに起きた。
街を出て最初の宿場町で昼食を取ったとき、ルークスが路地の奥の露店から戻ってこなかった。
五分後、ルークスは真紅のマントを肩にかけて現れた。金糸の刺繍が陽光に光っていた。襟元に王室御用達の紋章が打たれ、裏地には一着ごとの製造番号が手縫いで入っている。
「これだよ、これ。やっと見つけた」
ルークスが裏地を見せるように肩を回した。露店の主人が店の奥に引っ込むところだった。売れたことが信じられないという顔をしていた。マントの値段を聞いた。宿代の四泊分だった。
今夜の宿代は、今朝の時点で五泊分の余裕があった。四泊分が消えたので、余裕は一泊分になった。明日以降の宿代が足りない。手帳の数字を書き直した。
ランバルトが盾の紐を締め直した。フリージアが杖を持ち替えた。メリノが空を見上げた。誰も何も言わなかった。
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宿場町を出て半刻ほど歩いたとき、街道脇の茂みから魔獣が飛び出した。
小型の牙獣が二頭。街道沿いで遊んでいた子どもの方へ走った。
ルークスが先に動いた。剣を抜くより先に、肩にかけていた真紅の英雄マントを外して子どもの前に広げた。牙獣の爪がマントを裂いた。金糸の刺繍が千切れて地面に散った。
ルークスが子どもを抱えたまま転がった。二頭目の突進をランバルトの盾が受け止め、フリージアの魔法が茂みごと牙獣を吹き飛ばした。メリノが子どもの擦り傷に手をかざした。
子どもの母親が駆けつけて、泣きながらルークスに礼を言った。ルークスは泥だらけの顔で笑って、ボロボロのマントを拾い上げた。王室御用達の紋章が半分に裂けていた。製造番号の縫い取りは、もう読めなかった。
「まあ、しょうがないだろ」
ルークスがマントの泥を払った。払っても金糸はもう光らなかった。宿代四泊分のマントは、使用時間にして半刻だった。
私は手帳に「英雄マント・損耗(児童救助)」と書いた。備考欄に「減価償却:即時」と添えた。
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その夜、宿に着いた。一泊分の宿代しかない。
仲間が部屋に入った後、私は自分の荷物を開けた。防寒具が一着ある。冬山用の裏起毛の上着で、去年の冬に自分の報酬で買ったものだった。
宿の主人に声をかけた。この辺りで古着を買い取る店はあるかと聞いた。通りの二軒先にあると教えてもらった。
防寒具を畳んだ。裏地に自分で縫いつけた名前の刺繍が指に当たった。手帳を開いて、購入価格と売却予想価格の差額を計算した。
古着屋で防寒具を売った。予想より少し安かったが、宿代二泊分と蝋燭五本分にはなった。蝋燭は今夜の作業用に必要だった。明日のルート修正と、ルークスが子どもを助けた件の事後報告書を書かなければならない。
部屋に戻って、蝋燭に火をつけた。
手帳を開いた。腰痛薬の瓶は残り四分の一。フリージアの詠唱メモ用紙は、あと十二枚。メリノの回復薬は在庫三本、うち一本は消費期限が今月末。ルークスの応急外套は中古で探す必要がある。明日の出発前に、宿場町の古道具屋の開店時間を確認しなければならない。
隣の部屋からランバルトの寝息が聞こえた。三回に一回、詰まる。
手帳の末尾に、今日使った蝋燭の本数を記録した。
四本目の蝋燭に火を移した。




