94話 指輪とチョコレートと引きこもり_1
冬休みが終わって、登校初日。
気温は低いけどすっきりした青空で、通学路には私と同じようにコートやマフラーを着た百合ヶ原生が溢れていた。
冬休みが終わればあっという間に春が来る。残りの期間を惜しむように、みんな久しぶりに会う友達と挨拶を交わしている。
そんな晴れやかな日和の中、それに対して私の気持ちはひたすらにどんよりと重かった。
「あ、奏さん。おはよう」
「おっはよー!」
「おはよ……」
足を引きずる様に歩いていると、学校の近くで仲良く登校してきた詩帆ちゃんと莉々ちゃんと合流する。
「だ、大丈夫? 奏さん、なんか元気ないけど」
「奏、宿題でも忘れたー?」
あははーと笑いながら莉々ちゃんがそんなことを聞いてくる。
「全部チェックしたから大丈夫ー、莉々ちゃんこそ大丈夫なの?」
「私は忘れた!」
莉々ちゃんはなぜか自信たっぷりにそう言った。まさか堂々と言われると思ってなくてぽかんとしてしまう。
「え! ちょっと莉々! 私ちゃんと確認してって……」
「バッグ変えたの忘れてたー」
莉々ちゃんは自分のバッグの中を見せてくれた。中にはフリスビーや犬の缶詰やら、スーパーボールとかも入っている。
「ほ、本当だ、遊び道具しか入ってない……じゃ、じゃなくて、まだ間に合うから取ってきなよ! 先生に怒られるよ!」
「わかった! 間に合わなさそうなら詩帆が誤魔化しておいてね!」
そう言うのが早いか、莉々ちゃんは来た道をぴゅーっと走っていく。まだ時間に余裕はあるし、あのスピードなら十分間に合いそう。
「ま、まったく莉々は……」
「相変わらずだよねー、でもちょっと元気出たかも」
「そお? なら良かったのかなぁ」
詩帆ちゃんはそう言いながらちらちらと私を気にしてくれていたけど、気を使ってその理由までは聞いてこなかった。
私が朝から落ち込んでいる理由は、私が未だこの世界の常識に慣れていないから。というかただ我儘なだけだから、どっちにしても上手くは説明できないけれど。
「おはよー……」
「お、おはよう」
私と詩帆ちゃんが教室に入ると、久しぶりに会うクラスメイトが挨拶を返してくれる。それに返事をしながら自分の席に荷物を置くと、教室の端に何やら人だかりができていた。
そして私に気が付いたのか、人だかりの中心から一人抜け出してくる。
「奏、詩帆ちゃん、おはよぉ」
にこやかに朝の挨拶をしてくれるエマの声はどこか弾んでいるようで、その理由は明確だった。
エマの左手、そこにはきらりと光る指輪が……。
「ぐ、ぐふっ……」
「か、奏さん!? 大丈夫!?」
そのあまりにショックに、私は膝をつく。
「奏、どうしたの!?」
「い、いや何でもない……ゆ、指輪、似合ってるね」
すっごく言いたくなかったけど、私はめちゃくちゃ取り繕って、なんとかその言葉を言う。エマはその私の言葉に、恥ずかしそうにはにかんでくれた。
「えへへ……ありがとう。みんなにも沢山祝ってもらえて、幸せ」
エマがお役目に付き合った話は、実は冬休み中に報告されていた。
それは私が白ちゃんの部屋を掃除する前で、私達のグループに書かれたエマからの報告は、いずれそうなることが分かっていたのに私を一日寝込ませた。
エマが幸太郎君のお役目に付き合ったという事実を信じることができないまま、丁度良く白ちゃんからのSOSの連絡がきたものだから、現実逃避するように掃除を手伝った面もある。
でもこうして実際に指輪をしたエマを前にすると、エマが幸太郎君のお役目を手伝ったという事実が生々しく感じられてしまって、私の心は酷くかき乱された。
今日は幸太郎君がお休みで本当に助かった。二人で幸せオーラを振りまかれたら、それこそ私の心は耐えきれなかったかもしれない。
と思いながらもついエマの指を視界に入れてしまう私は、始業式が終わり宿題を提出した後、一度保健室に行く事にした。
「うぅ、心のダメージが凄いよぉ……」
まるで心臓を鷲掴みにされて、真っ黒い墨汁の中にじゃぶじゃぶされているようなイメージだ。
私が保健室の先生に気分が悪いと伝えると、熱を測った後、特に問題なしとしながらも普通にベッドを貸してくれた。
さすがに初日の早い時間から来る人はいないみたいで、微かな消毒液の匂いの中、私はシーツを頭まで被って目を瞑った。
「奏ー? 大丈夫?」
その声に気づいて目を開くと、カーテンの隙間から菜月が顔を覗かせていた。
「あ、起こしちゃった?」
「いや、大丈夫……今何時?」
「今お昼入ったとこ」
どうやら半日も寝てしまっていたらしい。エマのこともそうだし、昨日まで白ちゃんの部屋と格闘していたし、その後もいろいろあったし……最近心に負担がかかること多かったせいか、疲れていたのかもしれない。
それでも寝たおかげで、心は少しだけ軽くなったような気もする。
嫌だけど、エマの指輪とも向き合わないと……エマと会う度に毎回気を滅入らせるわけにもいかないし。
そんなことを考えていると、菜月はベッドの隣に座って黙々と焼きそばパンを食べていた。
「? 奏も食べる?」
私が見ているのに気づいて、持っていたビニール袋からもう1つパンを取り出した。
「いや、教室にお弁当あるから大丈夫。それより菜月だけ?」
私が気になったのはそこだった。菜月が一人で来るのが何か意外な気がしていたのだ。菜月なら詩帆ちゃんとか莉々ちゃんも誘って賑やかに来るような気もしたんだけど。
「うん。詩帆も来たがってたけど、私だけで行くって言った」
「どうして?」
「んー、奏に相談したいことあって」
あっと言う間に焼きそばパンを食べ終わって、菜月はハンカチで手を拭いている。なんか言い辛そうにしているっぽい?
「なんか菜月がちゃんと相談したいって言うのも珍しいね、なに?」
「あー、えーっと……私の、婚約者のことなんだけどね?」
「あ、うっ、うん、婚約者ね」
エマに続いて菜月もかぁ、と思わなかったと言えば嘘になる。もうすぐ二年も終わりだしそういう話は進み始めるよね……。
心にずっしりと重りを乗せられるような気分で、けれどもその感情を表に出さないように話の続きを促す。
「バレンタインにチョコレート渡したいから、奏に手伝ってほしいんだよね」
「バレンタイン?」
何が来るかと身構えていたけれど、それはずいぶんと可愛いお願いだった。
確かにバレンタインまでは一ヵ月切っているし、菜月のお願いも分からなくもない……けど。
「お菓子作りなら詩帆ちゃんの方が上手だよ?」
「詩帆がプロ級なのはもちろん知ってるって。私がお願いしたいのは教えてもらうのもあるんだけど……チョコレート渡すときも、付いてきてくれないかなーって」
そう言いながら菜月は私に視線を合わせづらそうにしていた。
それって菜月の婚約者と会うってこと?
「詳しく説明してくれる?」
「まぁ、そうだよね……うん、ちゃんと話す。うん」
菜月はなぜか姿勢を正していた。少し恥ずかしそうにしているのは、今しているのが男の子の話題だからだろうか。菜月は婚約者がいるから、今まで男の子の話とかちゃんとしたことがない。
もしかしてその恥ずかしがる表情も婚約者がさせているのか? と勝手に心にダメージを受けながらも、菜月の言葉を待つ。
「私の婚約者の話は、ある程度してたよね」
「うん。菜月のお母さんが経営している化粧品会社の、取引先の中にいる人の子供だよね?」
その取引先との間に不祥事があって、その賠償のために社長の娘である菜月が男の子の枠を1つ貰ったとか聞いた気がする。
「でも学校に行ってないんだっけ?」
「そう。今も不登校のままみたい」
菜月の婚約者は年下で、今はまだ中学生。入学したのはいいけれど、女の子にトラウマがあるせいで中学に入ってから一度も登校していないらしい。
「正直このまま枠が決まらないのって結構マズくてさー。ほら、一応会社同士の契約みたいになってるし、このまま高校卒業まで不登校だと、政府の方に枠取られちゃうじゃん?」
男の子の枠は、仮で決まっているだけでは認められない。子供を作るのが一番分かりやすい方法だけれど、最低限お役目に付き合わせて、指輪を渡すくらいはしないと枠に確定したとは言えない。
もし高校卒業までに一枠でも足りないと、その男の子の身分は政府預かりとなって、ほぼほぼ無理やり子供を作らされる。
「もしそうなっちゃうと、男の子の親が働く会社が賠償できなくなって潰れちゃうし、うちの会社も結局損することになるんだよねー。それで一度でもいいから顔合わせしようって私のお母さんも相手のお母さんも頑張ってくれてるんだけど」
「今だに会えてないと」
「そういうこと」
その男の子の状況はある程度分かった。前に教えてもらった状況とほとんど変わりないらしい。それは分かったのだけれど。
「なんで私も一緒に会いに行かないといけないの?」
一番の疑問にまだ答えてくれていないからそうと聞くと、途端に菜月は視線を逸らした。
「えーっと……奏、可愛いじゃん?」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど」
「私と違うタイプだし、女の子らしいし、成績も良いし、スタイルもいいし……」
「菜月、ちゃんと私の目を見て言ってくれる?」
「うぅ……ハイ」
泳ぐ菜月の瞳をまっすぐ見つめる。けれどすぐに気まずそうにしてふい、と視線を逸らした。
その反応で菜月が考えていることがなんとなく分かる。
「菜月、まさか……まさかと思うけど、私を餌に使おうとしてない?」
「ハイ、その通りですぅ……」
その返事に、私は思わずため息をつく。
菜月の考えている作戦では、その男の子が出てくると思えない。女の子が怖いなら、いくら菜月と私のタイプが違ったって、女の子という枠では同じだし。
それでも菜月がこうして私を頼ってきたということは、実際それほど困っているってことでもある。菜月って周りの人の変化はよく気が付くけど、自分のことになると結構溜め込むほうだしなぁ。
「でもさ、もしかしたら奏も枠に入れるかもしれないし。もし一緒の枠に入れたら、私も嬉しいなって思うし……エマも私も枠入りしちゃったら、奏だけ残っちゃうじゃん?」
後から取ってつけたような言い訳、けれどそれは、菜月がずっと気にしていた事のようにも思えた。
菜月の言っていることはその通りで、男の子の枠に入っていないのは三人の中で私だけになる。私が枠に入ることがないのは私自身十分に分かっているけれど、菜月にはまだ私が女の子が好きってこと言ってないし。
その菜月の心配は、まだカミングアウトしていない私のせいでもあるし。でも、う~~~~~ん……。
「私を使おうとしたことは少し納得いってないけど……いいよ。菜月の案に乗ってあげる」
「ほんと!?」
「菜月も困ってたんでしょ? 枠はまぁ別として、何か力になれることあるかもしれないし」
「うんうん! ありがとう奏! めっちゃ助かるよー!」
寝ていた私に、がばっと菜月が抱き着いてくる。
正直私の心情は複雑だけれど、菜月のお相手を知っておくのも大切か。と自分を無理やり納得させて、菜月の背中をぽんぽんと叩いた。




