93話 私の手を引いてくれるなら
年が明け、宿題もすっかり片付けて、冬休みが終わる少し前のこと。
「うわー……」
久しぶりに白ちゃんの部屋を訪れた私は、開口一番にそんな声が漏れた。
「ご、ごめんなさい……」
「白ちゃんは大掃除とかしない人なんだね」
「しないわけじゃないんだけどね……」
私の非難する視線に、気まずそうに白ちゃんはそっぽを向く。
白ちゃんには前々から会いたいって連絡していたけど、ようやく時間が合ったと思えばこの惨状。明らかに元気のない声で「家に来てほしい」と言われた時から、なんとなく予想はしていたけれど……。
三月来なかっただけで床の踏み場も無くなるとは思わなかった。
「えっとね……今年度入った新卒の子たちが、一斉に辞めちゃって……というかちょっとしたボイコットみたいになって……それがインターネットで炎上して……」
「あー……なんかニュースで見たかも」
ニュースの中では軽い炎上、みたいな感じだったけど、渦中である白ちゃんはもっと大変なことになっていたらしい。現に今だってその表情は疲れ切っていて、優しいお姉さんって感じの可愛さはすっかり消えてしまっている。
ところでこの世界は、私がいた前の世界よりもハラスメントとか、業務時間が問題になることはほとんどない気がする。働く時間も寛容だし、残業何時間までと定めるルール……(前の世界で言う三六協定?)もほとんど聞いたことがない。
だからこそニュースになってしまった白ちゃんの会社が、常軌を逸していたということでもあるんだけど。
アルバイトくらいしかしていない私にとって、白ちゃんのその忙しさにはあんまり共感できなかった。どっちかというと仕事ばっかりで全然連絡くれなかった方が私にとっては気になってしまう。
私はずっと白ちゃんからの連絡を待っていたのに。
「誕生日もクリスマスもお正月も、私はずーっと白ちゃんに会いたかったんだけどなぁ」
「ぅぐ、本当にごめんなさい」
「呼ばれたと思ったらコレ。酷くないかなぁ。私白ちゃんの家政婦とかだったの?」
「うぅ~~~、本当にゴメン! 連絡しなかったのは謝るから! 私に出来ることならなんでもするからぁ!」
実際私が訪ねてきた時点で、白ちゃんは正座状態だった。そして今はみっともなく土下座をしている。
意地悪なことを言ってみたけれど、白ちゃんが限界なのもその見た目で分かっていた。髪はぼさぼさだし目のクマは凄いし、電話してきた時の声なんて半分泣いてるかと思ったくらいだった。
でも掃除から始めることになるんだろうなぁと思いながらここへ来たのは、白ちゃんのことが好きだからで……頼られるのもやっぱりどこか嬉しいから。
はぁ、と大げさにため息をつくと、白ちゃんの肩がビクリと震えた。
まだ玄関先にいた私は、その場でしゃがんで白ちゃんと視線を合わせる。
「あいかぎ」
「……へ?」
「合鍵、ちょうだい。今度から白ちゃんの部屋の掃除は、定期的に私がするから」
「いや、それは……」
「じゃかーえろ」
「あげる! あげるから! 帰らないでぇ……」
白ちゃんが私の足に縋りついてくる。その様子にちょっとぞくぞくとした気持ちになりながら、仕方ないなぁとその部屋に上がった。
それから三日後、冬休み最終日の夜。綺麗になった白ちゃんの部屋で、私は大きな寿司桶を前にしていた。
白ちゃんが温かいお茶を用意してくれている間に、私はもう一度ちゃんと床が見えるようになった部屋を見渡す。なんとか冬休みが終わる前に間に合ってほっとした。
今回は本当に大変だった。生ゴミとかお弁当のパックとかは辛うじてゴミ袋にまとめられていたけど、なにより服や下着とかの衣類が山積みになっていた。何枚も何枚もどこからでもタイツや下着が出てくるし、そのほとんどが新品みたいでたぶん2、3回しか足を通していない。洗濯機の中も服で埋まっていて、洗うどころの話じゃなかった。
多すぎるインナー類は少しもったいないけどゴミ袋に詰め込んで、現実的な枚数だけまとめてコインランドリーに持って行って。
ひたすらそれを繰り返しているうちに、少しずつ床が見えてきた。
ゴミ袋は何個まとめたか分からないし、途中で虫が出るハプニングもありつつ、床のスペースが広くなっていくのを励みにして手を動かして、掃除が終わったのは本当についさっきのこと。
細かいところをあげればもう少し綺麗にしたい場所はあったけど、時間もないし普通に生活するには問題なさそうだったから一区切りということにした。
念願の合鍵も貰えたし、自由に出入りする許可ももらったから、今度からは一週間に一回は掃除しにこよう、と私は密かに決意する。
「お茶お待たせー。冬休み最終日にこんなことさせて本当にゴメンね……せめてたくさん食べていってね」
「ありがとー」
白ちゃんもテーブルをはさんで座る。その姿は二日前とは見違えていた。
夜はしっかり寝てもらうようにしたから、目のクマもだいぶ薄くなった。表情も柔らかくなって、その笑顔を見るだけで手伝ってよかったなと思う。
「結局白ちゃんって冬休みあったの?」
「うん。元旦の一日と、この三日だよ。元旦は寝てたら終わっちゃってた」
「この三日? もう一月も半分くらいだけど」
「炎上がなかったらもう少し早かったんだけどねぇ。ズレにズレてやっと私が休める番になったんだ」
聞けば会社の中ではまだまだ後処理が山積みで休日も関係なく会社は動いているらしい。新入社員も結局全員辞めてしまって、その影響で限界ギリギリだった他の人達も辞めていって、今のオフィスは半分くらい席が空いてしまっているのが現状。
といっても大企業ではあるから潰れるなんてことはなく、他の支店から応援を呼んでなんとか仕事を回している、と白ちゃんはお寿司を食べながら説明してくれた。
「ふーん……なんか白ちゃん見てると、働こうなんて思えないね」
「かなちゃんは私のようにならないでね」
「そう思ってるんなら白ちゃんも辞めればいいのに」
と言いながら普段なら絶対食べられない高級お寿司を口にできるのは、白ちゃんが稼いだお金があるからなんだけど。
「まぁ、10年も働けば普通の人の生涯年収稼げるから。それまでは続けようかな……」
「その後は?」
「んー……まだわかんない」
そう言う白ちゃんの声には、少しだけ、私に対する遠慮がある気がした。
もともとの白ちゃんの計画は、働いたお給料でランクの高い種を買う事だったはず。
ランク……若くて新鮮な種なら、男の子を妊娠しやすいという噂を信じて子供を作って、子育てをしてから会社に復帰する、という計画を以前聞いたような気がするけれど。
白ちゃんはその計画を、私の前でもう一度語らなかった。
私と白ちゃんは何度か身体を重ねてはいるけれど、未だにどんな関係なのかはわからない。お酒の勢いや、お願いすればえっちなこともしてくれるけど、それ以外で見れば世話焼きの妹みたいに白ちゃんは思っている気がする。
本当は白ちゃんをレズの道に引っ張り込もうと色々と画策していたのに、そもそも白ちゃんとの予定が合わな過ぎて、ノートにまとめていた計画もほとんど実行できないままだった。
……ふと思ってしまう。私は白ちゃんに迷惑を掛けているんじゃないかと。
私がまだ子供だから、嫌々ながら付き合ってくれているんじゃないかと。
もちろん白ちゃんがそう思っている可能性は低いと思う。今回のことだって白ちゃんから連絡があって家に入れてもらったし。でも一度気づいてしまうと、そんなような気がしてしまってなんとなく気分が落ち込んできてしまった。
「ね、かなちゃんは将来……ってどうしたの? なんか暗いね」
「……なんでもない」
「そんな沈んだ顔しておいて、なんでもないはないでしょう?」
テーブルの下にあった私の左手を、白ちゃんがぎゅっと握る。
「……どうして?」
「なんか前もこんなことあったなって思って。あの時もせっかくお寿司用意したのに、かなちゃん逃げ出すみたいに帰っちゃったから、捕まえておけば安心かなって」
言われてみればそんなこともあった気がする。もう一年も前のことだ。
「あの後残ったお寿司食べるの、結構大変だったんだから」
「……ごめん」
そうだった。この世界の白ちゃんがBL好きになっていることが判明して、そのショックに耐えきれなくて逃げてしまったんだっけ。
そのBL本は、白ちゃんの小さな本棚に当たり前のように並んでいて……未だに違和感はあるけれど、それも今の白ちゃんの一部としてなんとか受け入れることができるようになっていた。
「大丈夫。今回は沢山動いたから、ちゃんと食べる」
「うん、たくさん食べてね」
私の言葉に、白ちゃんの手が離れる。その温度をもっと感じていたかったなと思いながら、私はごまかすようにお寿司を口の中に入れた。
すっかりお腹いっぱいになって、外はすっかり暗くなってしまった。お母さんには連絡しているけれど、明日は始業式もあるしそろそろ帰らないといけない時間。
「かなちゃん、そろそろ帰らないと」
本当は帰りたくなくていろいろ話を振っていたけれど、白ちゃんからそう言われてしまう。だけど私はまだ白ちゃんと一緒にいたくて。
「……家まで送ってほしい」
私は甘えるようにそうお願いした。
この世界で夜の危険なんてそんなにない。男の子なら車での送迎が当たり前だし、女の人ばかりのこの世界で、変質者なんてほとんどいない。
さすがに酔って倒れていたら、財布を取られたーとかはあるかもしれないけれど、こんな住宅街じゃ起こりえない。
だから送る理由なんてほとんどない。私のお願いはもう少し一緒にいたいと言っているのと同じだった。
「うん、良いよ。ちょっと待っててね」
けれど白ちゃんはすぐに上着を取ってくれる。送ってくれるのが嬉しいような、帰るのが寂しいような、そんな複雑な想いのまま、私は準備をする白ちゃんを見ていた。
「まだまだ寒いね」
「うん」
「今回はまだ雪降ってなかったっけ」
「そうだっけ」
白ちゃんの後をついていくように、暗い道を進んでいく。
せっかく白ちゃんが話しかけてくれているのに、私は気のない返事しか出来なかった。
帰りたくないな、白ちゃんともっといたいなと思いながら、前を歩く白ちゃんの背中を見つめる。私の家までなんて30分もかからなくて、その短い距離をゆっくり進んだ。
他の女の子の前ならもっと積極的になれるのに。白ちゃんの前ではいつも一歩引いてしまうのは、きっと嫌われたくないから。
白ちゃんに限ってそんなこと思わないのも分かっているけれど、どうしてもそんなことを考えてしまう。
「かなちゃん?」
「わぶっ」
ぼーっと雲のかかった空を見上げて歩いていると、いつの間にか止まっていた白ちゃんにぶつかってしまった。
「やっぱり今日はなんだか大人しいね、いつものかなちゃんっぽくない」
「……白ちゃんは私のこと、どんな風に思ってるの?」
「どんな風にかー」
白ちゃんはむむむ……と難しい顔をして、立ち止まっていた私の手を取って歩き出す。
「しっかりしてて、綺麗好きで、年下だと思えないくらい頼りになって……いっつも私に会うときはお洒落してくれて可愛くて、なんだか私、こんな格好でゴメンって感じで」
「そこはもう少しなんとかしてよ」
私がそう突っ込むと、白ちゃんはごまかすように笑っていた。
「でもこんな私でも見捨てないでいてくれて、こうやって会って話したらやっぱり楽しくて……歳は少し離れているけど、そんなこと全然気にならないくらい、これからもずっと付き合っていたいと思える、そんな大事な友達」
友達、か。
友達と言ってくれるだけでも全然嬉しいことなのに、私はやっぱりそれだけでは足りないと思ってしまう。
「でもね、友達だからこそかなちゃんが寂しそうに笑っていると、気が付いちゃうし、気になっちゃうんだよね」
手を引く白ちゃんが、私に振り向く。
「……そんな顔をさせているのが私のせいだっていうのも、分かってるつもりだよ」
その言葉に、私は歩みを止めた。
「知ってたの? 私の気持ち」
「そのくらい分かるよ、私、一応かなちゃんより大人だからね。それにかなちゃん、結構積極的だから……それに流されちゃった私も悪いんだけど! でも大人だからこそ、私はかなちゃんにもう少し考えてほしいと思ってるの」
私にとっては考えることなんてなかった。私は昔から白ちゃんが好きなのに。ただただ、それだけなのに。
でも白ちゃんはそんな私の気持ちをせき止めるように、私がその言葉を口にしてしまわないように、先に話を進める。
「かなちゃんの気持ちは分かってるつもりなの。でもせめてかなちゃんが高校を卒業するまで、普通の友達でいさせてくれないかな。きっと卒業までの一年の間にも、かなちゃんの周りでいろいろなことが起きると思う。それでかなちゃんの気持ちが変わったりすることもあるかもしれないでしょう? でももし高校を卒業してもかなちゃんの気持ちが変わらなかったら、私もちゃんとかなちゃんと向き合うから」
ずるい。
白ちゃんは私の気持ちに感づいてながらも、最後までやっぱり言わせてくれなかった。
ずっとずっとずっと、この気持ちを抱えていたというのに。
白ちゃんは日々重くなるその気持ちを、まだ抱えていてと言う。
私にとって、その気持ちはもう、私自身みたいなものなのに。
白ちゃんと再会してから今日まではあっと言う間だった。だから高校を卒業するまでもきっとあっと言う間のはずなのに、白ちゃんが言うその道のりはものすごく遠く感じた。
「……手、繋いで」
「うん」
でも白ちゃんの言う通り、私はその気持ちを口にはしなかった。その代わりに冷たくなった手をぎゅっと握りしめる。
途中で道に迷っても、この道の先に、白ちゃんが隣にいなくても。
白ちゃんが手を繋いでくれるなら、私はどこまでも歩いていけるから。




