81話 3つの歯車_4
決行は文化祭二日目、ステージが終わってみんな油断した時だと、茜ちゃんは言った。
そんなこともあって翠は、文化祭を楽しむことなんてさっぱりできなかった。相変わらず友達はいなかったけど、少しは楽しめると思ったのに。一日目はただ無心で焼きそばを焼き続けるだけだった。
そして決行日の早朝、翠はまだ誰もいない体育準備室を訪れた。
ステージ用のパネルや小道具が乱雑に並ぶ中、準備室の一番端を見てみる。そこには確かに小さな突起があって、それを引っ張りながら押すと、キィィと音を鳴らしながら小さな隙間が現れた。
その中には見覚えがある毛布が一枚転がっていて……それは碧ちゃんが使っていた毛布だと気づいた。
はぁ、とため息が出る。
「この部屋のことを先生に報告すれば……茜ちゃんも諦めてくれるかな」
そう言いながら、そのくらいで諦める茜ちゃんじゃないことも翠は知っていた。じゃあどうすればいいかと考えるけど、翠にはなにもいい考えが浮かんでこない。
茜ちゃんは朝からどっか行っちゃうし、本当に今日男の子を誘拐する現実味もないし、翠を仲間外れにしたまま時間だけが進む。
翠、もしかしてもう死んじゃってたりするのかな、それで誰からも見えなくて、一人で未練たらしくいるだけなのかもしれない。もういっそその方がいいのに……そんなことを考えながら、部屋の隅で立ち尽くしていた。
「あれ、もう人いる?」
がら、と準備室のドアが開く。
こんな早い時間に人が来るとは思ってもなくて、翠は部屋の隅から離れてなにか作業しているふりをした。
「お、おはよう、ございます」
「おはよー、早いねぇ」
入ってきたのは、思わず目が吸い寄せられるほどの美人さんだった。
あ、この人知ってる……。
「奏……先輩?」
「あれ、私のこと知ってるんだ?」
思わず声に出してしまった翠に、奏先輩が嬉しそうに近寄ってくる。
「でもごめんね。私はあなたのこと知らなくて……」
「い、いえ、翠もクラスの人が自慢していたのをたまたま見ただけなのでっ」
「自慢? それってもしかしてくるみって子?」
「は、はい。恋塚さんが、よくスマホの画像見せながら神木さんに自慢していて」
恋塚さんは翠の隣の席の女の子。だからスマホの画面も自然と視界に入ってくることがあった。時々隠し撮りみたいな画像も出てくるから、なんとなく気になっていた。
「そっか、くるみと同じクラスの子ね。名前、翠ちゃんって言うの?」
「え? はい……彩野翠です。なんで私の名前を?」
「なんでって自分で翠って言ってたから……ふふっ、普段学校では私って言ってるんでしょう。油断したね~」
……なんかこの先輩、ぐいぐい来る。こんなに美人なのに、親しみやすい雰囲気が強くてつい翠も笑ってしまいそうになる。
「今日はこんな早くにどうしたの? くるみのクラスは焼きそば屋さんだったはずだけど」
そう言われて翠はちょっと焦る。なにか言い訳を……。
「わ、忘れ物をして……!」
「忘れ物?」
奏先輩はぐるりと教室を見回した後、翠の手を見る。……荷物は教室に置いて来ちゃったし、特になにも持っていない。
汗が噴き出る感覚がした。でも茜ちゃんの計画は翠と二人しか知らないし、と自分を説得させる。大丈夫、バレるはずない。まさか男の子を陥れようとしているなんて。
「……そっか。私は昨日壊れちゃった小道具があってね、それを持ってきたんだ。早朝来ないとお客さん詰めかけて入るの大変そうだし」
「わ、わかります。昨日凄い人だったみたいですよね」
よかった、なんとかスルーしてくれた。
奏先輩はバッグから出した小物を確認していた。その場所は隠し部屋の近くでなんだか落ち着かない。
さっさと出よう、翠の用事はもう終わってるし。
「じゃ、じゃあ私はこの辺で――」
「ところで翠ちゃんは、今日の文化祭誰かと回る予定ある?」
体育準備室の扉に手をかけたところで、奏先輩がそんなことを言いだした。
「い、いえ……特には……」
「じゃあ私と一緒に回らない? 私も今日一人なんだよね、よかったらくるみの様子とか聞かせてよ」
え? なんで翠? さっき初めて会ったばかりなのに?
でも奏先輩の笑顔はきらきらと輝いていて、こんな素敵な先輩に誘ってもらえるなんて、後にも先にも二度とないことのような気がした。
「へぇ、じゃあ翠ちゃんにはお姉さんが二人いるんだ」
「はい、翠……じゃなくて私は……」
「いいじゃん、名前呼びでも。私はその方が可愛くて好きだなー」
そんなことで翠が認められたような気分になりながら、手に持ったチョコバナナを口にする。
文化祭二日目、翠の隣には同じくチョコバナナを手にした奏先輩が歩いていた。
結局奏先輩の誘いを断りきれなくて、一緒に文化祭を回ることになった。翠は午後の演劇が終わるまでにあの部屋にいればいいから、午前中は何もなかったし、普通の学生生活も今日で終わりかもしれない、だから少しくらい遊んでも神様だって見逃してくれるはず。
「奏先輩は本当に予定ないんですか?」
「うん、ステージ始まる時は袖にいようと思ってるけど、自分の役割はもう終わってるんだよね。昨日も結局裏方は何もなかったし」
「でも昨日のステージ、凄かったらしいですね。えぇと、幸太郎先輩でしたっけ……?」
「うん。ステージの上に出るだけで歓声が凄くって、マイク越しのセリフも負けちゃうくらいだった。劇を見に来てるっていうより、幸太郎君を見に来てる人が9割くらいだったね」
翠のクラスでもほとんどの人がステージを見に行ったみたいで、終わった後はみんな幸太郎先輩の話をしていた。
「翠ちゃんは行かなかったんだ?」
「翠は……男の子のこと、よくわからないので」
奏先輩に聞かれて、翠は素直な気持ちを言う。
「私もそこまで男の子に入れ込む気持ちは分からないなー」
だけど、奏先輩から返ってきたのは翠と同じ言葉だった。
「それは幸太郎さんと同じクラスで、いつも一緒にいるからですか?」
「違う違う、一緒って別に同じ教室にいるだけだよ。私2年生になって数えるほどしか話してないし」
「……こんなに綺麗なのに?」
そんな言葉がこぼれる。きっと奏先輩くらい綺麗な人なら、もう枠に入ってるんだろうなと思ってた。
「ん? ストレートに褒められるのは悪い気がしないな~。嬉しいからそこのクッキー奢ってあげる」
「そ、そういうつもりじゃ……」
「いいからいいから! 私、部活とかもやってないし後輩少ないんだよね。少しくらい先輩っぽいことしてみたかったんだ~」
そんなことを言って、奏先輩はクッキーを買ってくれた。
話してても不思議だったけど、奏先輩には自分の容姿に対する驕りが全くなかった。自身の容姿が目を引くことを理解しているけれど、それを誇示しない。
それはこの共学の中で異色に見えるけど、その容姿から出る人懐っこい笑顔に惑わされる。
「不思議な先輩」
翠は小さく呟いて、貰ったクッキーを抱きしめた。
その後も文化祭を回る。奏先輩といるのは凄く楽しくて、これから男の子を誘拐しようとしていることを、一瞬忘れてしまうほどだった。
この時間がずっと続いて、午後なんか来なければいいのにと翠は願うけれど、時間の針は容赦なく進んでいく。
本当は正午にはあの部屋で待機していようと思っていたのに、ぎりぎりまで奏先輩と一緒にいたい気持ちを抑えきれず、正午を過ぎても奏先輩の隣にいた。
奏先輩にも予定はある。この楽しい時間だって、もうすぐ終わってしまう。
その前に、なんとかしなきゃいけない。
「……奏先輩は、姉妹はいますか?」
「いないよ、一人っ子。私もお姉ちゃんとか、妹とか欲しかったな~」
それは3年生のクラス、化け猫カフェでカフェラテを飲んでいた時のこと。
もう行かないとという想いと、この平穏な時間から離れたくないという想いの板挟みの中、困り果てて口にしてしまった話題。
「もし、もしですよ? 奏先輩にお姉ちゃんがいて……お姉ちゃんが決してしてはいけないことをしようとしていたら、奏先輩はどうやって止めますか?」
「突然だね。んーと、時と場合にもよるけど……」
それは奏先輩へ無言のSOS。もちろんそう思っているのは翠だけで、奏先輩が知る由もない。
でも奏先輩なら、きっとなにかヒントをくれるはず……そんな期待を込めて、奏先輩を見つめる。
「私はお姉ちゃんに協力するかも」
「……へ?」
だけど奏先輩が言ったのは、思いもよらない答えだった。
「お姉ちゃんの言う通りにするってわけじゃないよ。例えば……極論だけど、人を殺めてしまうとかだったら、もちろん手伝えない。私の言う協力っていうのは、なんでその人を殺めようと思ったか、その原因を一緒に探すって意味だよ」
「……どういうことですか?」
「ここで言った人を殺めるっていうのは、あくまで結果でしかないの。それまでにきっといろいろなことを考えて、そうするしかないって結論になったんでしょ? だからまずはその『いろいろなこと』を聞いてあげるの。それで、なんでその結論になったかが分かるでしょう?」
奏先輩は、小さなオムライスを食べながら話を続ける。
「その理由が分かれば、もしかしたら違う道だって見えてくるかもしれない。つまり……お姉ちゃんに寄り添うんだよ。出した結果を全部否定するんじゃなくて、一度受け入れてから、それがいけないことなら一緒に探してあげるの」
目からうろこが落ちる、というのはまさにこのことなんじゃないかと、翠は思った。
翠はそんなの、考えたことなかった。茜ちゃんが言う事は正しくて、その通りにしなきゃいけないと思っていた。
翠は一度でも奏先輩の言うように、茜ちゃんの考えを理解しようとしたことあった? 茜ちゃんが本当に困っている原因を聞こうとしたこと、あった?
よく考えれば今回だって、なんで男の子を誘拐しようと言い出したのか翠は分からなかった。本当はなんでそんなことになったのか、最初に聞いておかなきゃいけなかったのに。
「まだ、間に合うかな……」
「そう思ってるってことは、まだ間に合うってことだよ」
奏先輩の言葉は翠の背中を優しく押してくれるみたいだった。
もしもの話だったはずなのに、翠は奏先輩の目の前で、茜ちゃんに電話を掛けた。
何回かコールが鳴って、通話がつながる。
「お、お姉ちゃん……?」
『彩野茜の妹、彩野翠で間違いありませんか?』
だけど電話の先から聞こえたのはお姉ちゃんの声じゃなく、知らない女性の声だった。




