77話 莉々ちゃん大慌て!
最後のリレーだけ参加した体育祭も無事に終わって、次の月曜日は振り替え休日。
世間的には平日だから朝お母さんを見送って、私は家で一人雑誌を見ながらごろごろしていた。
天気は残念ながら丸一日雨予報、だから外に出る気はさらさらない。
ぼーっと雑誌をめくり、雨の音を聞きながら、私はなんとなく去年のことを思い出していた。
去年の振り替え休日は、お昼を買いに行ったら詩帆ちゃんと莉々ちゃんと会ったんだっけ。莉々ちゃんとしっかり話したのもあの日が最初だったなぁと思い返していると、ピンポーンとインターフォンの音が聞こえた。
配達かなんかかなとインターフォンの画面を見てみると、そこには傘も差さないまま、ずぶ濡れの女の子が一人立っていた。
「……って莉々ちゃんじゃん! ちょっと待ってて!」
ばん! とすぐに扉を開くと、そこには今にも泣きそうな莉々ちゃんがいた。トレードマークのサイドテールも解いていて、長い髪が顔に張り付いている。
「かなでぇ! 大変だよぉ! 大変なの! どうにかしてっ!」
「うわっ! ちょっと莉々ちゃん濡れてるんだから!」
わーん! とダムが決壊したみたいに泣き出して、ずぶ濡れのまま私に抱き着いてきた。びしょびしょだからすぐに私の服も濡れてしまう。
「と、とりあえず離れて! バスタオル持ってくるから!」
と言っても莉々ちゃんはなかなか離れてくれない。
私の服もしっとりと濡れてしまって、諦めて莉々ちゃんに抱き着かれたままお風呂まで連れていく。肌に張り付いた服をなんとか脱がせて洗濯機に放り込み、私も濡れた服を全部脱いで一緒にお風呂に入った。
莉々ちゃんはわーん、と元気に? 泣いていて、それはまるで子供のよう。
こんな風に一緒にお風呂入ると思わなかったな、と髪を洗って冷えている身体を温めてあげる。一緒に入っていてももちろんいい雰囲気になんてならなくて、さっさと洗い終わって、適当な私の服を着せて、髪を乾かしているとだんだんお母さんのような気分になってきた。
温かいココアを入れると、ようやく莉々ちゃんの気持ちも落ち着いてきたようだった。
「あれ、ここ、奏の家だ……なんで?」
「なんでって莉々ちゃんが来たんでしょ。それよりなにがあったの?」
「なにが……そうだっ、詩帆がっ!」
ガタッ、と椅子から立ち上がって私に縋りつくように倒れかかる。
「お、落ち着いて! 詩帆ちゃんがどうかしたの?」
「詩帆が、詩帆が……海外に転校しちゃうよぉ!!!」
「……え?」
莉々ちゃんの悲痛な叫びは、私も初めて聞く内容で。
それから莉々ちゃんはまた机に突っ伏して泣きだしてしまった。
詩帆ちゃんが海外に? いやでもそんな話聞いてないし……疑うつもりじゃないけれど、一度自分の部屋に戻って詩帆ちゃんに電話してみる。
少し焦る気持ちのまま呼び出し音を聞いていると、4回目のコールで繋がった。
「詩帆ちゃん?」
『奏さん、どうしたの?』
その向こうにはいつも通りの詩帆ちゃんがいて、莉々ちゃんの話とはずいぶん違うテンションだった。
そこからいくつか話をして。
詩帆ちゃんはすぐに私の家に来てくれた。
「こらー! 莉々また奏さんに迷惑かけて!」
「うぅ~~~~、詩帆ぉ~~~~~! 行かないでぇ!」
詩帆ちゃんは怒りながら家に来たものの、莉々ちゃんは号泣しっぱなしだから怒りの置き場所が分からなくなって困っていた。
結果から言うと、莉々ちゃんの早とちりだった。
今日は朝から詩帆ちゃんと莉々ちゃんでお菓子作りをしていたみたいで、そこでたまたま将来の話になったらしい。詩帆ちゃんは卒業したらお菓子作りを勉強するために海外留学もいいかも、と話しただけなんだけど、それが莉々ちゃんの中でなぜかすぐさま海外留学する、に変換されてしまった。
「莉々、気が向いたらコンビニでお菓子買ってきたりするから、今回もそんな感じなのかなって思ってたんだけど……ま、まさか奏さんの家にいると思わなかった」
腰に抱き着かれたまま、詩帆ちゃんは呆れたようにそう言った。
「莉々ちゃんがこんなに泣いてるの初めて見た」
「わ、私もここまで泣いてるのは久しぶりに見たけど……ほら莉々、動きづらいから少し離れて」
「やだぁ! 詩帆とずっと一緒にいる!」
「大丈夫、一緒にいるから、ね?」
優しく諭すように詩帆ちゃんは莉々ちゃんを慰める。莉々ちゃんの方が背が高いから、詩帆ちゃんは力負けしそうになっているけれど。
「でもどうしてこんなに泣いてるの? ちょっと普通じゃないような」
聞いた限り思い違いなだけなはずで、そこまでショックを受ける内容かなぁと思っていた。
「り、莉々はちょっとしたトラウマがあって」
「トラウマ? ……それ、私が聞いていい話?」
「だ、大丈夫。どっちかというと、奏さんにも知っててほしい、かな……莉々も奏さんならいいよね?」
詩帆ちゃんが優しく聞くと、莉々ちゃんもこくこく頷く。
「じ、実は莉々にはお父さんがいるの」
「莉々ちゃんって自然妊娠なの?」
この世界で自然妊娠というと、政府から種を提供されて妊娠したわけじゃなく、ちゃんと性行為をして種を貰ったことを指す。
「そ、そうなの。莉々ちゃんのお母さんは第二婦人でね、お父さんとの縁もそれなりにあって、結構遊んでくれたみたい」
それはクラスに一人くらいはいるかなーっていう珍しさ。男の子は高校までに5人の枠を決めるけど、その5人全員と一緒に住むわけじゃない。種だけ提供して子供とは一切関わらない人もいるし、普通の家族のように暮らす人だっている。まぁ世間的には種だけ提供して隠居する人が多いらしいけど。
ただお父さんがいたとしても『家にお父さんがいる!』って自慢したりはできない。男関係の話題は嫉妬の的になりやすいし、そしてなにより、お父さんが狙われる可能性があるから。
「そ、それでね、莉々がまだ小さい時に、お父さんと仲が良いってことをどこからか聞きつけた人たちがいてね。その人達は種を手に入れるために莉々を誘拐して、人質に取ったの」
「莉々ちゃんが誘拐されたの?」
「う、うん、きっとお父さんを直接誘拐するよりは簡単だと思ったんだろうけど……そんなので男の人と交渉できるわけないのにね」
詩帆ちゃんの言う通り、それで種を確保できるなら世の中は誘拐だらけになってしまう。
だけどこの世界の男の人の需要は偏りすぎていて、短絡的な作戦を立てる人達も一定数いる。私もよくテレビで見ているから、それはなんとなく分かっていた。
「その人達はすぐに警察に逮捕されて、莉々も救助されたの。だけどその時に相当怖い思いをしたみたいで……あの」
詩帆ちゃんは私だけに聞こえるように耳を寄せる。
「い、言う事聞かないと海外に売り飛ばすぞ、とか言われて、脅迫されてたんだって。それから莉々は海外のこと聞くと時々フラッシュバックしちゃうの」
それが、莉々ちゃんのトラウマだった。
私はこの世界に来て、極力男の子に関わらないように生きている。だからそう言う話はテレビの中くらいでそんなに関係ないと思っていた。
けれどいくら私が関係ないと思っていても、私の関わりの中に確かに影を落としている。
いつも元気いっぱいな莉々ちゃんを、こんなに小さく見せてしまうくらいに。
「だ、だから奏さんにも莉々が思い出しちゃった時、落ち着かせるのを協力してほしいの。今までは私と莉々二人だけだったけど、最近はみんなで遊ぶことも多くなったから。ほ、本当は莉々にも、私以外で頼れる人が出来ればいいんだけど」
「詩帆じゃなきゃヤダぁ!」
「……うん、私も莉々にいてほしいから」
詩帆ちゃんはいつもおどおどした弱気な態度だけど、莉々ちゃんと一緒だと少しお姉さんになるのはこれが理由だったのか。
きっと子供の時からずっと莉々ちゃんの精神的柱になっていて、詩帆ちゃんは傍にいたんだろう。
それは私と菜月とエマの関係と少し似ているような気もした。
「……詩帆ちゃんは偉いねぇ、なんだか感動しちゃった」
「わ、私はそんな……ただ莉々の一番近くにいただけ」
私が少し涙ぐみながら素直に褒めると、詩帆ちゃんは恥ずかしがっていた。
その後、ぜんぜん詩帆ちゃんから離れない莉々ちゃんを連れて、私も一緒に詩帆ちゃんの家に行くことにした。
詩帆ちゃんの家のキッチンには出しっぱなしになったお菓子の材料があって、慌てて私の家に来たのが分かった。
せっかくだから、私と詩帆ちゃんと手分けしてお菓子を作ることにする。莉々ちゃんも少しずつ落ち着いてきたようで、だけど詩帆ちゃんの周りをうろちょろとしていた。
ボウルの中の生クリームを泡立てながらふと思う。
そもそも今日の出来事の発端は、お菓子の勉強のために海外留学に行こうかなって詩帆ちゃんが言ったからなんだっけ。もしそれが事実なら……莉々ちゃんがトラウマを克服しないと難しいんじゃないかな。
でも詩帆ちゃんもどのくらい本気で言ったのかわからないし、そもそも莉々ちゃんも将来どうするのかもわからない。
そろそろ進路も本格的に考え始める時期だし、そのうち二人に聞いてみようかな。と思いながら、ぐるぐるとボウルをかきまぜた。




