73話 お願いとお誘い
待ち合わせしたカフェでエマと別れた私は、夢見心地のまま歩いていた。
まさか、いや本当? でもエマが言う通り、理にはかなっている。こんな展開になるとは思ってもいなかったから心の準備が……。
さっきまで一緒にいた、エマの声がリフレインする。
『幸太郎君とのお役目に付き合う前に、私の処女喪失、手伝ってくれないかなぁ?』
「まさか、私がエマの処女をもらうなんて……」
前にも調べたことがあるけれど、この世界で処女の価値はめちゃくちゃ低い。
高校生の間に道具とかで処女を散らすのが当たり前だし、男の子だってわざわざ血を見たくないから、関係を持つときには処女でないこと(血が出ない状態)にするのがマナーだ。
だけどエマは自分で貫通させるのが怖くて、今の今まで処女を守っていたらしい。私が『女の子と付き合っている』=『女の子の扱いに慣れている』ということから、その処女を散らすのを手伝ってほしい、というのが、エマのお願いだった。
それは私の目標の一つとも、完全に合致していて。
私のこの世界での目標が唐突に達成されそうになったものだから、頭の中でその情報がまだ処理できていなかった。
「い、一回落ち着かないと……」
私の脳は完全にキャパオーバーしていて、近場の公園のベンチに座る。
エマとする時のシミュレーションとか、どうすれば痛くなくできるかとか、どんなシチュエーションでするかとか、そういう考えが無限に思い浮かんでは消えていく。
実際にエマに付き合うのは冬休み頃らしいけど、私がこんな状態ならさっさと済ませてくれないと、永遠にエマとの初体験が脳のスペースの一画に居座ってしまう気がした。
今から考えても仕方ないのは分かってるから、一旦その事実を追いやる。嫌なことじゃなくて良いことを追いやるなんて贅沢な悩みだな、と思いながらも、頭の中でその事実を綺麗な紙でラッピングして、可愛いリボンを巻いて、いつか開けるお楽しみボックスのようにして頭の隅に置いておくと、なんとか気持ちも落ち着いてきた。
「ふぅー……これで一安心……」
「なにが?」
「わっ!!!」
突然隣から聞こえてきた声にびっくりして飛び跳ねる。
いつの間にか隣には透子ちゃんが座っていた。細い銀色の髪は相変わらずで、首元にレースがついた白いワイシャツと、薄手のロングスカートが清楚感を演出している。華奢な体型はぜんぜん変わっていなくて、初めて会ったのは一年前のはずなのに、少しも成長しているように見えない。
神出鬼没なのもいつも通りで、私はどきどきしている胸を押さえて深呼吸する。
「透子ちゃん、また抜け出してきたの?」
透子ちゃんはふい、と後ろを見た。その視線の先には黒塗りの車と、スーツ姿の人が二人いてこちらを気にしていた。
「今日はちゃんと護衛さんいるんだ。それにしても久しぶりだねー、前会ったのは春休みの時だっけ? 最近は何してたの?」
透子ちゃんの動向は、テレビのニュースで見るくらいしかわからない。そのニュースだって皇后様がにこやかに手を振って、見切れるくらいの位置で透子ちゃんが映ってたりするだけ。
困った時に使って、という電話番号だけもらっているけど、ちゃんとした連絡先は知らないから、こうしてたまに会う時しか話せない。
「忙しくて、会いに行けなかった」
「そんなに?」
「……マッサージしてもらう時間もない」
と透子ちゃんの視線はまた車の方へ向く。その表情はげんなりしていて、いつも無表情の透子ちゃんにしては珍しい。
まぁ前みたいに『疲れたから』と、いきなり私の家に来られても困るんだけど……お母さんとかいる時に来ちゃったらどうなるかわからないし。でも本当にそのくらい忙しそうなのは、透子ちゃんの表情を見ればわかる。
「透子ちゃん手、出してくれる?」
「?」
でもせっかく会えたのに、透子ちゃんを疲れたままにしておくのは私のマッサージ心?(そんなのあるか知らないけど)が許せない。
差し出された小さな手を、親指と薬指に私の指を絡めるよう固定して、指で手のツボを押していく。
「……気持ちいい」
「ふふ、そうでしょうそうでしょう」
実は以前白ちゃんと高級マッサージを経験してから、本格的にマッサージの勉強を始めていた。ツボの場所とか押す強さとか、本とかネットを駆使して今も練習中。
実験台は主にお母さんにやってもらっていて、評判はなかなか好評。今では毎週末のマッサージが日課になっている。
今回は手だけのマッサージ。手にもツボは沢山あって、そもそも手に触れる、ということだけでリラックス効果が期待できる。
身体にするマッサージよりも始めるハードルはずっと低いし、私が『ちょっと勉強してるんだけど』と言えば大体の人がやってみてと手を差し出してくれる。
合法的に手を繋げるし、これがアイスブレイクになったりもするしね……! 状況によっては、「じゃあ次は身体してみようか」と繋げられるかもしれないし。
そんな下心満載で習得した手のマッサージを、透子ちゃんは気持ちよさそうに受けてくれた。
「なんか軽い」
手をぐっ、ぱっと握ったり開いたりしながら、透子ちゃんは起伏のない感想を教えてくれた。公園じゃこのくらいしかできないのがもどかしい。
「マッサージはどこでもできるからね。これくらいなら簡単だし、護衛の人とかにやってもらったら?」
「奏がいい。一億円はダメって言われたけど、日給5万円くらいなら出せる」
「に、日給? いや、うーん……」
「はい」
と、どこからともなく出てきた紙を渡される。
「え、なにこれ。『契約書』……? い、いやいやいやいや」
「ここに名前」
「透子ちゃん。私、まだ自分の将来は自分で決めたいなー?」
「……10万?」
「いや、お金の話じゃなくてね?」
その契約書は私の名前を書くだけになっていた。しっかりと透子ちゃんの名前も筆で書いてあるし、読めない立派な角印まで押してある。
ちょっと本気過ぎて怖いからやめてよね……これ皇族の方にも私の存在が知られているってこと?
私が言葉を尽くしてまだ就職先について考えていないことを伝えると、透子ちゃんは少し不満そうにその紙をしまってくれた。
「あ、そういえば」
「?」
ふと思い出して、いつ透子ちゃんに会ってもいいように、とバッグの中に忍ばせていた袋を探す。
「はい、これ。修学旅行のお土産だよ。北海道行ってきたんだ」
「……」
透子ちゃんは私から紙袋を受け取ると、中身を手の上に出した。
ころんと出てきたキーホルダーは、透子ちゃんの手の平できらりと輝いていた。
「……クラゲ?」
「うん、クラゲのキーホルダー。可愛いでしょ?」
それは、小樽で買ったガラスのキーホルダー。水族館でも実際に見たけれど、ふよふよと水中に浮かぶクラゲが、なんだか放浪姫っぽいなと思って選んだ。
透子ちゃんはそのクラゲをしばらく陽の光に透かした後、一度紙袋の中に戻して、しっかりと袋を折って封をして、大事そうにスカートのポケットに仕舞った。確かにバッグとか持ってないけど、落としたりしないかなぁ、
若干心配しながらその様子を見ていると、ポケットからは封筒が差し出される。
「なにこれ、お返し?」
「来て、待ってる」
私がその中身を確認する前に透子ちゃんは立ち上がる。そのまま護衛の人たちのところへ戻り、黒塗りの車に乗りこんで行ってしまった。
相変わらずマイペースだなぁと思いながら、貰った封筒の中身を確認する。
「『清華院女子高等学校 文化祭入場券』?」
透子ちゃんと出会った時に着ていた真っ白な制服から、清華院女子に通っているのはなんとなく知っていたけど、どうやら今日は文化祭のお誘いだったらしい。
「えー、いいものもらったかも。気になってたんだよねー」
清華院女子は言わずと知れた超お嬢様学校。通うのも身分ある人達が多く、文化祭の入場券も普通には手に入らないことで有名。あえて『女子校』を名乗るのは、そこに通うほとんどの人が、すでに男の子との繋がりを確約されているから出来ることでもある。
この世界のお嬢様学校ってどんなのかなぁ! と想像を膨らませていると、その日付が目に入る。
「あれ、この日なんかあったような……?」
と思ってスマホで確認してみると、百合ヶ原の体育祭とバッチリ被っていた。
「体育祭か~……」
どうしようかな、と思いつつ、透子ちゃんの『待ってるから』が心の中に響く。透子ちゃんが待つって言ったら本当にずっと待ってそうなんだよな……。
私の中の天秤は、今のところ文化祭に傾いている。でも文化祭を理由に体育祭って休めるのかなぁ……。
とりあえず先生にでも相談してみようと思いながら、私はそのチケットを大切にバッグの中に入れた。




