68話 奏とエマ_2
露天風呂はとても大きな岩風呂だった。
外から見ても結構な人が入っているにも関わらず、それでもスペースは全然広い。ここまで広いお風呂は初めて見たかもしれなくて、思わずわぁーと声が漏れる。
指先からお湯につかるとちょっと熱めだけど、身体を沈めるととっても気持ちいい。お湯は透明でちょっととろみがあって、ふぅ、と小さく息を吐き出す。
なんとなく莉々ちゃんの声が聞こえた方に向かうと、エマも菜月も一緒にいた。
「ねぇねぇ菜月! ここからあそこまでの間、人いないよ? 競争出来るよ?」
「また莉々ちゃんはそんなこと言ってー、みんないるからやめときなよ」
「あ、奏やっと来た……莉々、勝った方はアイス奢りでいい?」
「菜月までー」
二人とも止まらなさそうだったから、せめて他の人の迷惑にならないようにバタ足禁止、手だけ使って静かに進むこと、と簡単にルールを作ってあげる。もちろん、人が来たらノーゲーム。
「じゃあスタート」
「おー!」
「アイスは私のだ!」
手だけ使うハイハイみたいな感じで二人とも進んでいく。頭とお尻だけ水面に出ているのがなんともアホっぽい。
「菜月、なんだか最近子供っぽくなってない?」
「たぶん莉々ちゃんの影響じゃないかなぁ、最近よく一緒にいるし」
その姿を見ながら、残された私とエマはゆっくりお湯につかる。
「ちょっと熱めだね」
「私はちょうどいいかもぉ」
北海道といっても季節は夏、夜でもそれなりに気温は高い。それこそ冬に入ったら最高なんだろうなぁ。
隣には肩までつかって気持ちよさそうに溶けているエマ……それはいいんだけど、私にはエマの胸がお湯に浮かんでいるのが気になってしまう。私もまぁまぁサイズはあるけど、浮かぶほどじゃないしなんだか凄いな。
「……どうかしたぁ?」
「いや、なんでもない」
やば、ちょっと見すぎたかも。
「……触ってみる?」
「うぇ?」
エマが私の視線に気づいたのか、とろんとした表情でそんなことを言った。唐突なその言葉に、思わず変な声が出てしまう。
「なんか今日の奏、ずっと気にしてたから。触ってみたいのかなって」
「そんなに気にしてた?」
「なんとなくね。私くらい大きい人ってあんまりいないし」
確かに、エマは5組の中でもトップクラスに大きい。制服の上からでも丸わかりだし、走ったりすると明らかに上下に揺れるからついつい視線が吸い寄せられる。
女の子同士なら、このくらいのコミュニケーションもある……よね? よく百合漫画とかのシーンでも見たことあるし……だけどいざエマの胸を触るとなると、なんだか緊張してきちゃう。
だからと言って遠慮する選択肢は初めからないけど。
「……じゃあ、少し」
「他の人に見られるのはちょっと恥ずかしいから、お湯の中でね」
コクコク、と頷く。
うわぁ、ヤバ。ちょっと自分が正常かわかんなくなってきた。でもあんまり躊躇しても本気っぽさが出てきちゃうし、ここはお遊びの延長みたいな感じで自然に行かないと。
自分をすっかり見失った気持ちのまま、お湯の中でエマの胸に触れてみる。
「わっ……」
それはまるでふよんふよんと暖かいスライムを触っているような、そんな感じがした。
お湯の中だからっていうのもあるのかもだけど、暖かいお餅のようにとっても柔らかい。だけどちゃんとハリもあって、これだけの柔らかさなのに全然下に垂れていないのがめちゃくちゃ不思議に思える。
自分の胸を触った感触よりもずっと柔らかくって、なんだか感動した。
「なんか、凄いかも……」
「そう? なら良かった」
「あ、ありがと」
詩帆ちゃんとか白ちゃんもまぁまぁの大きさはあったけど、ここまでじゃなかった。お湯の中じゃ浮力が働いちゃうから、その重さを実感できないのは残念だけど。
「じゃあ、私も触っていい?」
とそんな余韻に浸っていると、エマはとんでもないことを言い始めた。
「え、私も?」
「そーだよ。奏の胸もちょっと気になってたんだよねぇ。大きさとか形とか理想的だし」
と私が何か言う前に、エマの手が私の胸に触れた。
「ひゃっ!」
「え、なにその可愛い声。奏にしては珍しいねぇ」
思わず出てしまった声にエマは笑っていた。いや笑い事じゃないが。
ふよふよと私の胸がエマに持ち上げられる。お湯の中とはいえ、お互いの胸を触り合うなんて、もうこれはえっちしてるのと同義では……?
「奏の胸、私よりもしっかりした感じー。やっぱこのくらいの大きさがちょうどいいよねぇ、私みたいに大きすぎてもあんまり良いことないし羨ましいなぁ」
触られている間、私は緊張して身動きが出来なかった。じゃれ合いだと分かっていてもエマに触られるのはぜんぜん感じ方が違う。
「はい、ありがとぉ。やっぱり私のと全然違うねぇ」
「そ、そうだね。こっちこそありがとう……」
エマは特になんとも思っていないようにそう言った。
「それにしても、奏もそれなりに大きくてよかったぁ。ほら、なっちゃんとかは、胸が大きいせいで大変なこととか共有できないでしょ? ブラとかも一緒に選べないし、だから……」
「ん??? 誰が胸ないって???」
「あ」
「あー……」
いつの間にかエマの背後に、にっこり笑った菜月がいた。
「な、なっちゃんいつの間に? というかどこから聞いてたの?」
「なんか二人で胸触り合ってる時から」
「結構前じゃん!」
菜月はばしゃりとお湯の中から出した手をわきわきとする。
「こっちだって好きで胸なしやってんじゃないんだからね! 少しくらい分けろー!!!」
「きゃっ! なっちゃんごめんって!」
「え? 私も!? 揉まれても分けられないよー!」
菜月に胸を狙われながら、ばしゃばしゃとはしゃぐ。
偶然ではあるけれど、私的に凄いイベントを経験してしまった。エマの胸は凄くって、菜月の胸はやっぱりあんまりなかった。ないのもアイデンティティだとは私は思ってるから、菜月は心配しないでいいからね。
なお、蚊帳の外だったり莉々ちゃんはずっと泳いでいました。
お風呂の後は消灯時間までちょっとした自由時間。他の部屋に遊びに行ったり、館内の売店を見たり、先に寝てしまったり、人それぞれ。
そんな中私達の部屋では、そう簡単に寝てしまう選択肢はなかった。主に莉々ちゃんのせいで。
「枕投げだー!」
さっき散々はしゃいだのにまだ足りないのか、莉々ちゃんは相変わらず元気にそう言った。
「莉々~、私もう眠いんだけど……」
詩帆ちゃんは疲れてしまったのかうとうとしている。というか私も結構眠い側。まだ明日も明後日もあるんだし、睡眠はしっかりとらないと。
「あんまり騒ぐと先生に怒られるよぉ」
「枕投げやらないと修学旅行じゃないよっ!」
「その莉々の気持ち、私は分かるんだよなー」
「菜月はやっぱそっち側なのね」
菜月も莉々ちゃんに毒されているのか、枕を抱いてうずうずしている。
「フットサル部の方で枕投げしてきたら? 詩帆ちゃんもう眠ちゃいそうだし、うるさくしたら可哀そうでしょ」
「それだぁ!」
私の提案に菜月はすぐにスマホで招集をかける。
「……よしっ! 莉々、上の階にみんな集まるみたいだから行くよっ!」
「おーっ!」
どたどたと二人で出ていく。あと消灯時間までは一時間くらいあるし、好きにさせよ……。
うるさいのが二人いなくなると、急に部屋は静かになった。眠そうに目をこすっている詩帆ちゃんに私が布団を勧めると、もぞもぞと入り込んですぐに寝息を立て始める。どうやら相当眠かったみたい。
「エマも眠たい?」
「まだ大丈夫、なっちゃん達が帰ってくるまでは起きてようかなぁ」
「それじゃ私達も出かけない? 大浴場までの間に休憩スペースあったよね」
「いいねぇ、行こう行こう」
でもせっかくの修学旅行。このまま寝てしまうのはちょっともったいない気がしたから、私はエマを誘って部屋を出た。
同じようなことを考える人はいるみたいで、休憩スペースにはそれなりの人がいた。
窓側に向いた二人用の大きな椅子を確保できたから、他の人を気にせず話すことは出来そう。
「なんか空が広いねぇ」
「学校の周りとか建物多いから、それと比べると余計に広く見えるよね」
それから私達は、取り留めのない話をした。
今日のことはもちろん、夏休みのこと、一年生の時にあったことも。
菜月は自分で話す方だけど、エマは聞く方が上手で、ついつい話が弾んでしまう。エマも楽しそうにしてくれて、私も楽しくて、今まであったことを思い出しては二人でくすくすと笑いあう。
「はーおかしい。ずっと修学旅行が続けばいいのに」
「ふふ、奏の言い方、もう修学旅行終わるみたい。明日も明後日もあるのに」
「本当だ、なんだかエマみたいなこと言っちゃった。というかエマ、最近後ろ向きなこと言わなくなったよね」
「そうかなぁ? きっと、奏となっちゃんのおかげかも。ちょっとだけね、自分に自信ついてきた気がするんだ」
ふと一年前に、自分は枠に入る資格ないからと言っていたエマを思い出す。
あれは体育祭の時だっけ? それから菜月と私で、密かにエマの意識改造計画を立ち上げた。手っ取り早く自信をつけるために私は勉強を教えて、菜月はエマが後ろ向きなことを言うと前向きな言葉にするようアドバイスをして、少しでもエマに自信を付けさせようとしてたんだっけ。
そのかいあって確かに今のエマは、一年前のエマとはちょっと変わった。近頃は紅葉にも頼りにされているみたいで、なんだか忙しそうにしている。
放課後の予定がなかなか合わなくなってしまったのは少し寂しいけれど、計画は成功って言ってもいいのかな。
「このまま順調にいけば、エマも幸太郎君の枠に入れるかもね」
「……うん、そうだね」
それは私の本心で、エマの夢でもあった。
もちろん、私の目的も大事だけど、エマの幸せだって大事。だから、エマのその頑張りを応援してあげたい。
だから私はつい、エマにもっと自信を付けてもらおうと思った。
いろいろな要因があったと思う。修学旅行という非日常。私自身、眠気があったこと。エマと二人きりのお話が、とっても楽しかったこと。
相手がエマだから、その時の私は完全に油断していた。ずっと一緒に過ごしてきたエマだから、私はなにも気づかず、決定的な過ちを犯してしまった。
「そういえば、小学生の時もエマが活躍した時があったよね。ほら、エマが男の子のハンカチを拾ってさ……」
「……ハンカチ?」
「そうそう、それでエマが名前も書いてないのに、聞き込みをしてその男の子に返したことあったよね……ぁっ」
無意識に、私は口を押えていた。エマは私が何を言っているか探る様に、その大きな瞳で私を見ていた。
「……奏、私その話知らない」
ひゅっ、と身体が一気に冷える。まるで大きな氷を丸のみしたように、背中を伝って冷たさが落ちていく。
口にしてしまってから思い出す。そうだ、私が今話したのは前の世界の記憶。男の子が苦手だったエマの、小学生の時の話。
そして男の子が少ないこの世界で、あるはずのない記憶。
エマが私を見つめている。その瞳はなにを伝えたいのか読めなくて、急に恐怖が襲ってくる。本当はなにかとりつくろわないといけないのに、次の言葉が出てこない。
「……そろそろ戻ろっか。もう消灯時間だし」
「……うん」
黙り込んでしまった私に、エマが変わらないテンションでそう言う。
何を思っているのかわからないエマの後ろを、私はただついていくことしか出来なかった。




