66話 もう少し真実に
それは、夏休みに入ってすぐのこと。
「恵麻、あなたを幸太郎様の5枠目に推薦しました。幸太郎様もそれで問題ないと言っています」
「え……」
学校から一番近い紅葉さんの会社、その会議室で私は紅葉さんと二人だけで対面していた。
紅葉さんの会社には何度か来たことがあって、今までもお仕事を教えてもらったり、実際にお仕事について行ったりしている。お仕事の内容は主に幸太郎君を狙う人達の妨害をすること。実際にやっていることは公に言えないようなこともあるけれど、昔からいろいろ調べることが好きな私には、性に合っているお仕事だった。
それなりにお仕事も出来るようになってきたし、紅葉さんからも頼りにされていると思っている。だけどそれが5枠目に入るまでじゃないというのが私の中の感覚だった。
「……3,4枠目は決まっているんですか?」
「3枠目はかもめで決定です。あちらの会社から大きな譲歩がありまして、一部の会社を紅園グループの傘下へ入れることになりました。幸太郎様の枠に入るには妥当な取引でしょう。腐れ縁ではありますが、ある程度気心も知れていますし……4枠目はまだですね」
ますます分からない、4枠目が決まっていないのに5枠目が私なんて。
その事実自体はとても嬉しい、そのためにずっと頑張ってきたんだから。だけどそれ以上に、この話には裏がある気がしてならない。
「もしかして、4枠目は奏が入ります?」
「察しが良いですわね。そうなるのがベストだとは思いますが、奏は私の誘いに乗ってきませんでした。それどころか『私の代わりに恵麻を枠に入れて』なんて言うんですもの」
「……えっ?」
「あら、奏からは聞いていませんでしたか? とっくに知っているものだと思っていましたが」
そんな話は初めて聞いた。
紅葉さんからの話を事実とするなら、奏は幸太郎君の枠に入る提案を、すでに紅葉さんからされていた。だけどそれを蹴って、私を入れようとしてくれた。
意味が分からない、あの男の子大好きの奏がその権利を譲るなんて。確かに奏はぜんぜん幸太郎君にアピールしていなかったけど、それはそれで作戦だと思っていたのに。
「出来れば、恵麻を枠に入れることで奏を取り込めないかと思っています。奏は稀に見る才能の持ち主です。もし奏が本気で幸太郎様に取り入ろうとしたなら、私は今この立場にはいなかったでしょう」
「そんなことっ……」
ない、の言葉は出なかった。想像すれば想像するほど、紅園さんの言う通りだと思ったから。
紅園さんは紅茶で満たされたカップに口を付ける。静かな会議室に、食器が擦れる音だけが響いた。
「恵麻、私は奏の考えが知りたいの。恵麻も言ってたわよね、奏は中学まで男が好きで、よく一緒に話をしたって」
「……はい」
「それがなぜ、枠を蹴るようなことをしたのか……私もいろいろと考えました。他に気になる異性がいるのか、それでも皇族の伝手でもあるのか、それともなにか狙いがあるのか……しかし、普段の奏を見ていて、そのどれでもないような気がするのです」
しばらく紅葉さんは悩むような素振りを見せる。
だけど私は、なんとなく気づいていた。紅葉さんが私をここに呼び出した理由、それは、きっと次に言葉にすること。
「よければ、奏を調査してくださらない?」
「……調査?」
その言葉の意味を、私はよく理解できなかった。
「えぇ。お友達を調査することに、抵抗があることはよくわかりますわ。ですけどこれはあなたの将来のためにも必要なことですの。恵麻には高校卒業後、私直属の諜報部に配属する予定です。紅園グループも一枚岩ではありませんから、身内を調査することもあるでしょう。その練習だと思ってください。もちろん、実際に配属するのも幸太郎様との子供を産んでからで構いません」
それは私が目指す将来の中で、一番理想に近いものだった。お仕事をする紅葉さんも近くで見ていて尊敬しているし、自然妊娠という全ての女の子が夢見ることを、私なんかが叶えることができる。これ以上ない約束。
「なにも全てを調査しろ、と言っているのではありません。奏が枠に入らないその理由を知りたいのです。それさえ分かればいつまでも4枠目を空席にする必要もありませんし。リミットはそうですね……冬が来る前くらいにはお願いできますか」
「…………」
でも私は、その問いにすぐに答えは出せなかった。
奏のことが気になっていたのは本当のこと。高校生になってきっぱり男の子の話をしなくなった奏を、私も菜月も心配していた。その変化の理由について、菜月が一度聞いてくれたけど、『いつか話すね』とはぐらかされたらしい。なにか変わったことは間違いない。
それ以外は全然変わらない奏だったから、私もいつの間にかそれが普通だと思うようになったけど……。
と、長い時間返事ができない私に、紅葉さんは諭すように笑いかける。
「私は、高校に入ってからの恵麻と奏しか知りません。ずっと長く付き合っている友人を疑うようなことをさせるのは申し訳ないと思っています。……そうそう、一つ条件を付け加えると、この話は奏自身に絶対に感づかれないようにしてください。奏に気づかれて、恨まれる方が怖いですからね」
奏は優しいけれど、決めたことは絶対にやりきるという信念がある。紅葉さんの指示、と知れば、何かしらの仕返しを考えるとは思う。
「だからできれば、でいいですわ。これが出来なかったとして、あなたの扱いを悪くすることはありません。海外マフィアの拉致計画を見抜いて、事前に防止したあなたの手腕は疑っていませんもの。ただ頭の隅に置いてくださいます? 紅園グループの意向としては3年に進級するまでに、4枠目も確定させたいんですの」
「……お話は、わかりました」
「十分な答えです。でも奏の変わりよう、恵麻も気になってはいたのでしょう? 今のあなたなら、もう少し真実に近づけるんじゃないかしら」
パタン、と会議室の扉を閉める。忙しそうな事務所の中をふらふらと歩いて外に出ると、夏の強い日差しが肌を焼いた。
『もう少し、真実に近づけるんじゃないかしら』
その言葉は甘い毒のように私の中に広がった。確かに入学したばかりの時と今の私は違う。自信もついたし、成績も悪くない、お仕事だって出来るようになった。
でもそれは、一緒にいてくれた奏と菜月のおかげでもある。
私達はずっと一緒で、足りない部分があれば協力をして、お互いを助け合ってきた。一緒にいると楽しくて、お話も尽きなくて、この先も二人とずっと一緒にいたい気持ちは変わらない。
でも、だからこそ、私はもっと奏のことを知るべきなんじゃないか。
奏が本当は枠に入りたいのに、私に譲った可能性だってあるんじゃないか。
そんなことを一度思い浮かべてしまうと、それを頭の中から追い出すことは出来なかった。
もしそうなら、奏が幸太郎君の枠に入れるなら、これからもずっと一緒にいられるってことだし。
「少しだけ、ほんの少しだけ聞いてみよう。奏が心配なだけだから」
言葉にしたのは、自分を納得させるため。
次に奏と会うのは、みんなで海に行く日。去年は3人だったけど、今年は5人で行く予定にしていて私も楽しみにしていた。
「もし奏が困っていたら助けにもなれるし……うん、そうしよう」
その言葉の裏に、今の私なら真実に近づけるという好奇心があることに、私は気づかないふりをした。




