64話 オウルでのボランティア_2
一時間ほど勉強すると、環ちゃんのペンの動きが少しずつ悪くなってきた。
ずっと計算ばかりやっている割には進みが遅い。あんまり出しゃばるのも良くないかなと思って、どうしても詰まった箇所にヒントを出すくらいにしていたけど、それにしても得意って感じじゃない。もしかしたら苦手科目なのかもしれない。
いつの間にか夏祭りは始まってしまったみたいで、ガラス一枚を挟んでうっすら音楽と楽しそうな声が聞こえてくる。
それでも環ちゃんはペンを動かし続けていた。
コンコンと小さくドアがノックされる。
「琴宮さん、これよかったら」
「ありがとうございます」
羽山さんが持ってきてくれたのは、二つのグラスとクッキーが乗ったトレイ。ちょうどいいや、と受け取って環ちゃんの机に戻る。
「ちょっと休憩しよっか」
「……まだできる」
「じゃあ、この問題一分で解いてみて。出来なかったら休憩ね」
その問題はさっきの応用問題。ちゃんと頭が働いているなら一分で解くのは余裕なはず……だけど。
環ちゃんのペンはさっきと同じでなかなか進まない。
「はい、時間切れー。もう集中切れちゃってるでしょ。休憩も大事だよ」
さすがに観念したのか、環ちゃんも素直にノートを閉じる。渡したグラスを受け取るとすぐに口を付けた。
「名前、なんだっけ?」
「琴宮奏。奏でいいよ。環ちゃんは中学二年だよね?」
「なんでわかったの?」
「だってその問題、二年生の範囲だし」
「……そう」
環ちゃんはその事実を当てられて、なぜか不服そうにしていた。反抗期っぽい反応。
「それよりお祭り参加しなくていいの? もう始まってるみたいだけど」
「そんなことより勉強の方が大事。琴宮さんこそ、こんなところにいていいの。百合ヶ原は進学校だから、勉強についていくの大変って聞くけど」
そう言われて私は頭をひねる。
確かに百合ヶ原は進学校だけど、べつにこの地域でトップというわけじゃない。いいとこ3番目くらいだと思う。トップの学校はそんな感じなんだって聞くけど……。
中学の時、実は私もトップの学校を狙える位置にはいた。けどそうなると本当に勉強ばかりの生活になりそうだったし、きっと菜月とエマとは同じ学校に通えなくなる。そんなの絶対嫌だったし、百合ヶ原は徒歩圏内ということもあったから、志望校には迷わず百合ヶ原を選択した
まぁでも環ちゃんが成績で見てくれるなら、わかりやすくていい。
「私、こないだのテストで学年7位だったよ」
「うぐぅ」
環ちゃんは何か文句を言おうとしていたけど、それを聞いて言葉を飲み込んでいた。さすがに中学生に成績を言われるほどじゃないからね。
「百合ヶ原目指してるなら勉強は必要だけど、今から根詰めても疲れちゃうと思うよ? まだ二年生なんだし」
「……でも私、頭あんまり良くない」
「それにしたって、今日勉強するのはもったいないと思うけどな。外はあんなに楽しそうなのに」
きっと、環ちゃんの耳にも楽しそうな声が聞こえているはず。
窓から見える広場では手作りの焼き菓子を売っていたり、バルーンアートを作っている人がいたり、わたあめの出店が出ていたりしている。
子供たちや周辺の人たちが集まる中で、詩帆ちゃんやくるみの姿も見えて、出店の人達を手伝っていた。
「環ちゃんは、ここから早く出たくて勉強頑張ってるの?」
「……違う」
「じゃあどうして?」
「話す必要、ある?」
「どうだろう? 環ちゃんが絶対話したくないなら話さなくてもいいけど、私は、聞きたいな」
譲歩しながら優しく聞いてあげる。環ちゃんはしばらく黙っていたけど、やがてぽつぽつ話し出してくれた。
「恩返ししたいから」
「誰に?」
「この施設に」
「……環ちゃんは何歳からいたの?」
「幼稚園生になった時、ここに移った」
それはつまり、環ちゃんは生まれてすぐに捨てられた子ってこと。
「私も小さい頃は、外にいるみんなと同じように遊んでた。けど気づいたの、私がここにいられるのはあと1年ちょっとしかない。それまでにたくさん勉強して、良い高校に入らないと」
「それが恩返し?」
「いいところに行かないと男も少ないし、それにきっと大学に行くお金はないから、高校の内に『枠』に入る」
「『枠』って男の子のだよね」
「そう」
ただ決定事項のように、環ちゃんは言った。
「環ちゃんは男の子が好きなの?」
「キライ」
「でも枠に入るのが目標なんだ」
「……それくらいしか、恩返しの方法がないから」
実際、環ちゃんが言っていることはかなり難しい。
大抵の男の子は女の子ではなく、その女の子にどのくらいの後ろ盾があるかを見ることが多い。もちろん容姿、勉学、運動、教養とかも大事な要素ではあるけど、男の子は高校卒業後、自身の希望に寄り添ってくれる女の子を必要とする。
だから環ちゃんのような施設出身は、それだけでとんでもなく不利。なぜならその背後に後ろ盾なんてほとんどない。このオウルは高屋敷グループが運営しているけど、それなら直接かもめのような跡継ぎと婚約した方が早いし、男の子、というだけでその希望は簡単に叶えることが出来る。
男の子に選ばれるために勉強を頑張るのは否定しない。けれど環ちゃんはまだ自分が出来ることをちゃんと理解していない気がした。自分が女の子に生まれたから、男の子と結婚しなきゃいけない。それはとても分かりやすい目標ではあるけれど、この施設のためになにかするなら、違う方法だって沢山ある。
でもその話し方から、環ちゃんは本当にそう思っているみたいだし、だから今日みたいなお祭りでも一人勉強してる。ただ『無理だと思うよ』と言っても突っぱねられるだけだろう。
どうしたものかなぁ、と思っていると、後ろでドアが開く音がした。
そこに立っていたのは星羅だった。
私のことでも呼びに来たのかな、と思うも星羅はそのまま部屋に入ってくる。
「星羅、どうしたの?」
「せいら??」
私がその名前を呼ぶと、なぜか環ちゃんが反応した。私の横に並んだ、ちょいギャルの顔をじっと見つめると、環ちゃんは椅子を大きく鳴らして立ち上がる。
「……う、嘘っ! 星羅!? 星羅じゃん!!! 何その恰好!」
「環は相変わらず変わんないね、こんな時でも引きこもりで天邪鬼。どーせ自分は楽しんじゃいけないとか思ってんでしょ」
「う、うるさいなぁ! ってか私の質問に答えてよっ! なんで金髪なの!? あっピアスもしてるっ! 去年まで肌の色も普通に白かったじゃん!」
「ん? 去年まで?」
「あたし、ここの出なんすよ」
と、星羅はあっけらかんとしてそう言った。
まだあるかなー、といいながら星羅は奥の棚を勝手に引き出して、一枚の写真を持ってくる。
それはこの施設内で撮影された集合写真だった。
「あ、環ちゃんいる」
「その右隣があたし」
と言われて右隣を見ると、環ちゃんと同じような黒髪で三つ編みの女の子が柔らかく笑っていた。
「……全然違うけど?」
「高校デビューってヤツです」
見た目が違いすぎて驚くというより、冗談を言われているようにしか聞こえない。けど環ちゃんが驚いてるなら本当ってことなんだろう。
「環も広場来なよ。今勉強してもどうせ高校に入ったら男なんて捕まえられないから」
「なっ……そんなことない! 絶対にカッコよくて気遣いも出来て、優しくていつでも甘やかしてくれる男と結婚するんだから!」
いや、それは流石に夢見すぎ……という言葉を私は飲み込む。
「まだそんな夢見てんだ? もうちょっと現実見なよ」
「いいじゃん! その夢のために私は頑張ってるの!」
「夏祭りも出ないで? みんな環のこと気にしてたよ」
星羅の鋭い言葉に、環ちゃんの次の言葉は出てこなかった。
「私がなんでこんな格好してるかって言うと、普通に高校に行ったら底辺にしかなれないと思ったから。少なくともこの恰好なら甘く見られはしない」
「……でも男も出来ないんじゃないの?」
「それは最初から諦めてた。それよりも私は知らない高校に行って、虐められて施設出だって馬鹿にされる方が嫌だった。私は臆病だから、ぼっちになるとしても、触れられないぼっちになりたかった」
星羅のその言葉になるほど、と思ってしまう。
確かに施設出身の人は虐めのターゲットになりやすいイメージがある。虐めても助ける人はいないし、後ろ盾もいない。たった一人の男子を争う小さな教室で、ストレスのはけ口にするにはちょうどいい人材になりえてしまう。だからこそ見た目で威嚇するのは効果的、なんならカースト上位に食い込むチャンスだってある。
「……まぁ結局変なヤツが話しかけてきて、ぼっちにはなんなかったけどね」
と星羅はそう付け足して、ぎゅっと服の袖を握っている環ちゃんに向き合う。
「それが本当に環の夢なら諦めろとは言わない。けど、他のチビたち心配させてまで勉強取るのは馬鹿なだけ。それくらい環も分かってるでしょ」
「……分かってる」
環ちゃんは観念したように、ぽつりと言った。
「分かるよ、環が責任感じるのは。次ここを卒業するのって環一人だし、心配されないようにしたかったんでしょ?」
「…………」
二人の掛け合いから、相当仲が良かったことはなんとなくわかる。きっと星羅も去年まではこの夏祭りだって一緒に作っていたんだろう。
「大丈夫だよ、環はあたしよりしっかりしてるし。誰も心配してないって」
「それはそれでなんか嫌なんだけど……」
「じゃあ環の心配は私がしてあげるから、ちゃんと合格できれば私が3年生の内に後輩になるってことっしょ?」
「うぅ~~~~~そんなこと言うなら留年して一緒のクラスになって!」
「無茶言うな」
と二人はがやがやとじゃれ合っている。いつの間にか私は蚊帳の外になっていたけど。
でも良いね、私は女の子同士のじゃれ合いを見るのももちろん大好物だよ……その間に挟まるのもいいけど……私同性だからたぶん許されるし……。
「奏センパイ、環の勉強見てたんですよね。実際どうです? 百合ヶ原」
「あー……」
数学だけ見せてもらったけど、環ちゃんはあんまり覚えが良い方じゃない。このペースでやるならちょっと厳しそう、という私の不安に星羅はすぐに気づいたみたいだった。
「素直に言ってあげた方がいいですよ、センパイ。無理そうだって」
「いや、でも頑張ってるし……」
「でも今のままじゃ厳しそうなんすよね?」
「……」
私の無言の肯定が環ちゃんのとどめになった。
「いいもんいいもん! どうせ頭悪いから! もう勉強なんて知らない! 遊んでやる! ……星羅、私が落ちても絶対に泣かないでよね!」
バン! と扉を叩きつけてあっという間に環ちゃんは部屋を出て行ってしまった。
「私がフォローしてあげた方がよかった?」
「こんなことじゃ折れないんで大丈夫ですよー。今度からたまに私が教えに来ることにします」
星羅は残ったグラスをトレイに重ねる。というか未だに写真の中の星羅と、今の星羅は同一人物とは思えない。もし今の星羅が三つ編みにしたとしても、見分ける自信は全然なかった。
「高校デビューっていってもやりすぎじゃない? 先生の眼厳しいでしょ」
「最初は何度か注意されましたけど、無視してます。別に成績悪いわけじゃないですし」
と星羅はちろりと舌を見せる。この見た目で成績良いのか……いや、逆に成績良くないとこの見た目はやっぱダメだよね。
「……今日星羅が来てくれたのちょっと不思議に思ってたんだよね」
「この恰好で一人でここに来るの気が進まなかっただけです。でも環のことは気になってたんでちょうどいい機会だと思って。……さすがに羽山さんは気づいてたっぽいですけどね、なんにも言いませんでしたけど」
逆に羽山さんしか気づいていないってことは、本当にぜんぜん変わってるんだろうな……。改めてこの変わりようは凄い。
「奏センパイもギャル、どうです? よかったら私のバイブル『ギャルメンタルのすすめ』貸しますけど」
「えー何そのタイトル、すごい気になる……」
そんなことを話しながら、私達は広場へ向かう。夏祭りはまだまだ続いていて、広場には子供たちの楽しそうな声が響いていた。




