62話 カフェの裏側
「新しいアルバイトか?」
「琴宮奏です、宜しくお願いします」
「あー、よろしく。でもまぁ暇な職場だ、肩の力抜きな」
まさか制服が水着だとは思わなかったなーと思いながら、私はキッチンの人に挨拶をしていた。
かもめに紹介してもらったアルバイト先は、会員制プールの脇にある小さなカフェ。カフェといっても正面から見るとメニュー表しかなくって、壁一枚挟んだ向こう側に小さなキッチンがあった。
キッチンを担当するのは、轟佳苗さん。20年ここを担当しているベテランさん。
外見は短い髪に全身がっちりとした感じで年齢不詳。実際年齢を聞いたらもう40近く、子供も二人。筋トレが趣味みたいで、手や足はムキムキだった。営業終わりに少しだけ泳ぐのが日課らしい。
私はレンタルの水着だけど、轟さんは普通にエプロンをしている。ちょっとした揚げ物もあるから、当然といえば当然なんだけど。
「あんたの仕事は注文と配膳だ。会計はまとめてフロントだし、調理は全部こっちでやるから、接客だけしっかりやってくれ。他にアルバイトは?」
「初めてです。一応、言葉遣いの勉強はしてきました」
「かもめお嬢様からは任せても問題ないって言われてるが……わからないことがあったらすぐに聞け。あと大事なのは、プールの監視。というかこっちがメインか」
「監視ですか?」
「あぁ、ここ。プールより一段上がっててよく見えるだろ?」
カウンターから見ると確かに揺れる水面が良く見える。まだお客さんがいない静かなプールはちょっと寂しい。
「一応監視員もいるんだが、ここにいる人間は予備監視員の扱いなんだ。だからどれだけ暇でも、座ったりスマホ見たりするのは無しだからな」
「わかりました」
とまぁなんとも簡単な説明で、私の初アルバイトは始まった。
暇な仕事とはまさにその通りで、私はほとんどカウンターの中で立っているだけだった。
夏休みとは言っても、会員制プールのターゲットは学生じゃなくて大人。夏休みなんて関係ない人の方が多いから、普通の平日に来る人なんてほとんどいない。お昼時になったら人がちょっと増えてきて、ぽつぽつと注文も入るけど、その注文をキッチンに伝えて、料理やドリンクが出来たら運んで、テーブルやイスを拭いていても全然忙しくない。
初めてのアルバイトだから気合入れてきたけど、轟さんが作ってくれたお昼の賄いタコライスを食べ終わるころには、すっかりそんな気もなくなっていた。
「休憩終わりましたー」
「わかった」
休憩中は轟さんがカウンターもキッチンも担当していたけど、その間もお昼だというのにドリンクを数種類作るだけ。
これ轟さん一人でも問題ないんじゃないかなぁと思いながらも、私はまたカウンターに立つ。一日立っているだけでおよそ1万5千円くらいになるから、私にとってはありがたいことだ。
お客さんの来ないカフェの中、プールを監視する。慣れてきたら監視もそんなに悪くない。ゆっくり歩くおばあちゃんがプールを何週するか数えたり、バタ足を練習する子供を心の中で応援したり、女子大生っぽい集団の中で誰が好みかな〜とか思っていると意外と早く時間は過ぎる。
そんな中カフェに一人やってきたのは、さっきまで凄い勢いで泳いでいた女性だった。年齢は20歳くらい? 髪はうっすら茶色に染めていて、派手めな水着を着ているけどちょっと地味っぽい雰囲気が拭えていない。胸も背も平均的で、この世界で言ったら普通レベルの女性。……まぁこの世界じゃ普通レベルでも十分可愛くはあるんだけど。
「いらっしゃいませ、こちらメニューになります」
「えっ……と……」
そのお客様は一瞬だけびっくりしたような表情を見せた。というのも、ここのドリンクは高い。子供用メニューを除けば、一番安いコーヒーやストレートティーでも1000円する。
午前中接客している時に気づいたけど、最初の反応でその人がどんな人か少しだけわかる。子供を連れた、いかにもセレブなお母さんはなにも気にせず注文するし、値段を見てびっくりするのはだいたい初めて来た人。
「じゃあ……キャラメルカプチーノで」
「かしこまりました、お好きな席でお待ちください」
その人はずいぶんと迷って、結局少しお高めのドリンクを注文した。
キャラメルカプチーノひとつー。というと、はいよっ! といい声が返ってくる。
このカフェのドリンクが高いのは、ミルクを鍋で温めるところから始めるからだ。コーヒーもちゃんとドリッパーで落とすから時間はかかるけど、お値段に見合うお味だと思う。
出来上がったキャラメルカプチーノをトレイに乗せて持っていくと、お客様はカフェの端でぼーっとプールを見つめていた。
私がカップと、ドリンク注文でつくサービスのチョコレートをテーブルに置くと、私をじっと見上げる視線に気が付く。
「……あの、なにか?」
「あ、ごめんなさい。えっと、店員さん凄い綺麗だなって思って……」
ぱたぱたと手を振ってそんなことを言う。
えー、明らかに年上の人から綺麗って言われると嬉しくなっちゃうなー。
「ありがとうございます。お客様もお綺麗ですよ?」
「え、いや、そんなこと……私、ここにいるのが場違いなくらいだし」
「そんなことないです。その水着もとっても似合っていますよ、先ほども泳ぐフォームが綺麗だなって思っていたんです」
と褒めるとお客様は顔を赤くしていた。プールを監視している途中、ずっと泳いでいる姿は目を引いた。私はサウナに入っては泳いでを繰り返すお客様を、なんとなくずっと見ていた。
「でも、どうして場違いなんて言うんですか? 今日はお一人ですか?」
「えっと……」
そう言うと、お客様は今日ここに来た経緯を教えてくれた。
自分が大学生であること。友人にノートを見せたお礼としてここのチケットを貰ったこと。就活の息抜きもあったこと。
「なるほど、お友達からのお礼ですか」
「そうなの。それとね……こんな噂を聞いて――」
そして、ちょっと言葉に詰まりながらその後に話し始めたのは、ここがレズ社交場だという噂があること。できれば素敵な人と出会う事が目的なこと。
「……少々お待ちください」
私はその話を全部聞いてから、一度そのお客様から離れる。
頭の中ではその時にはすでにお祭り状態だった。
なにその夢のような話! そんな世界あるの!? 私も混ざりたーい!!!
だけど今はバイト中。あくまで平常心を持って、まずはその真偽を確かめないといけない。
「あの、轟さん」
「なんだい?」
「お客様からこんな質問があって……」
とそのレズ社交場について説明する。すると轟さんは、はぁー、と一つため息をついた。
「高校生にはあんまり話すような内容じゃないけど、その話は本当だよ」
轟さんのその言葉に、私は表情が緩みそうになるのを抑えるのが大変だった。
「今は全然そんな風に見えないですけど……」
「時間帯が違うからね。ここは20時からバーになるんだ、そう言う目的の人達が集まるのもそれからだね」
「あー……そういうことですか」
お酒を提供する時間は働けないから、私のアルバイトも19時まで。社交場になるのはその後で、私が参加するのは残念ながら難しそう。
「そんな毎夜集まるわけでもないしね……こうやって昼に来ちゃうのは、噂だけ聞いたって子だね。たまにいるんだ」
「なにかお伝えした方がいいですか?」
「いや、たまたま来たんだろうし、何も言わず帰してあげな。次いつあるのかもわからないし」
「わかりました」
轟さんとの話を終え、カウンターからその人を観察する。プールを見ているお客様は、箱の中に当たりくじがないことを分かった時のような、そんな表情をしていた。
轟さんの言う通りこのまま帰すのがいいんだろう。けど……せっかくあんな可愛い人が期待して来てくれたのに、このまま手ぶらで帰すなんてちょっともったいないよね。
「空のカップをお下げいたしますね」
だからカップを回収するのと同時に、私はサッと小さな紙を置いておく。場所と時間だけ書いた、小さな紙。
私が轟さんにカップを渡してちょっとお話した後、次にカウンターに戻った時には、そのお客様の姿はプールのどこにもいなかった。
初めてのアルバイトが終わって、その夜。
やっぱり一歩違う世界に出てみれば、知らないことも沢山あるんだなーと思いながら、私は自分のベッドの上で欠伸をしていた。
アルバイトは19時までで、帰ってご飯を食べてお風呂に入れば22時。明日も休みではあるけれど、お客様と会うし睡眠はしっかりとっておかないとコンディションが保てない。
もうそろそろ寝ようかな、とうとうと微睡んでいると、ピコン、とメッセージの音がした。
『今大丈夫?』
それはエマからのメッセージ。そんな突然のメッセージは、エマにしてはちょっと珍しい。なんだろ、と思いながら大丈夫だよ、と返信する。
すると、すぐに着信がかかってきた。
「もしもし?」
『やっほぉ、奏』
「もう寝るところだったよ~」
『ごめんねぇ。起こしちゃった?』
「ううん、まだ平気。それよりどうしたの? 電話なんて珍しいじゃん」
そんなことを話しながら、中学生の時は受験勉強をしながらよく通話していたことを思い出す。あの時は誰かが寝落ちするまで、ひたすらなにかどうでもいいことを話していた。
高校生になってからは、各々が少し忙しくなって三人で話す機会はそんなにない。それでも菜月は暇な時に電話くれるし、詩帆ちゃんとか柚ちゃんとか電話する相手が増えたから、回数としてはそんなに変わらないかもしれないけど。
『今日アルバイトだったんでしょ? どうだったのかなって』
「想像と違って結構暇だった……あ、もしかして紅葉にでも聞かれてって言われた?」
『……えへへ、実はそうなの。奏のアルバイト先、一応高屋敷グループのホテルでしょ? だからどんな風だったか聞いてみてって』
紅葉はかもめを3枠目にするって聞いたけど、これもその一環なのかな? と思いながらアルバイトのことを話していく。レズ関係の話だけぼかして、大丈夫そうな部分だけ。
「それで、アルバイト先で出会った人と明日遊んでくるんだ。楽しみー……ふぁ」
話しているうちに思いのほか電話が長くなってしまって、眠くて欠伸が挟まってしまう。
『あ、ごめんねぇ。いつの間にかこんな時間になってた。奏も眠いのに……お話ありがとう、明日、楽しんできてね。おやすみなさい』
「うん、お休み~」
すぐに通話が切れる。いつの間にか時刻は12時を回ってしまって、私にしてはだいぶ夜更かしになってしまった。
スマホを充電器に繋いで、電気を消す。するとすぐに眠気がやってきた。
頭の中にはさっきまで聞いていたエマの声が響いていて、その日の夢は前の世界のエマが、周りのクラスメイトに人見知りを発揮してそれを慰めている、そんな夢だった。
次の日、私は自分の服の中でも一番大人っぽいワンピースを着て待ち合わせ場所に向かった。
目線からも分かっていたけど、あのお客様は私のことを高校生だと思っていない。自分が年齢の割に大人っぽいのも分かっているし、水着だとなおさらわからなかったんだと思う。
高校生ってことはばらさないようにしないと、と思いながら待ち合わせ場所に辿り着くと、名前も知らないお客様はいたって普通の服装でそわそわと待っていた。
「お待たせしました」
お客様は私を見てぱっと嬉しそうにしたと思うと、すぐ恥ずかしそうに目線を下げる。
「どうしました?」
その顔を覗き込むと、小さめの耳が赤くなっていた。
「な、なんでもない……」
年上の女の人が、年下の自分を気にしている。それだけでぞくぞくと楽しくなってしまう。
「店員さんは……」
「店員さん?」
「な、なんて呼べば……?」
そう言えばお互いに自己紹介とかしていない……けど、社交場っぽい感じにするなら、名前とかは知らなくていいんだっけ? 今回は最初からワンナイトにするって決めていたから、パーソナルな情報はなるべく少ない方がいいか。
「店員さんでいいですよ。社交場ではお互いの身分や連絡先は不要、ですよね? だって余計な情報は、これからすることのノイズになりますから」
と思ってそう答える。ボロが出ないように話し方とかも柚ちゃんっぽくしてみた。お客様もこっちの方が良さそうな気がしたし。
なんだかロールプレイみたいで楽しい。本当の社交場もこんな感じなのかな……お酒飲める年齢になったら絶対に行ってみたい、と思いながら私は名前も知らないお嬢様に手を重ねた。




