60話 ワンナイト・プール_1
うだるような暑い夏。
夏休みに入ったというのに、私、東雲理沙は大学の部室で添削されたエントリーシートを直していた。
エントリーシートを直されるのはもう5度目、今度こそは大丈夫! と思って提出したのに、『要修正』の件名で返信された時は思わず台パンをしてしまった。就活の才能ない気がしてきたけど、才能ないからって就活を降りることはできない。
「ほい、これお礼ね」
私がパソコンの前でうんうん悩んでいるところに、机の上に一枚の封筒が置かれる。それは100円均一でよく見るような、ペラペラの茶封筒。
「なんのお礼だっけ?」
「え? 覚えてないの? じゃあいらないか」
「待ったー! もう私の!」
取り上げられそうになった封筒をすぐに確保すると、封筒をくれた私の友人、田村睦美は噴き出していた。
「いや、こないだの小テストのお礼。理沙のノートないとほんと危なかったから」
「あ、あれね。覚えてる覚えてる。今度からは寝ないように!」
「わかりましたー」
確かあの講義で睦美はほとんど寝ていて、真面目にノートを取っていた私としてはタダで見せるのはちょっと癪だった。なにかいいものを献上すること! って条件付きでコピーをあげることにしたんだっけ。
なにかなーと期待しながら薄い封筒の中を見ると、そこには一枚のチケットが入っていた。
「なにこれ?」
「高屋敷系列ホテルの会員制プール券」
「えっ、なにそれ……」
こんなもの貰ってどーすれと。
こちとら一般家庭で、会員制なんて上流階級が行くようなものとは縁がなさ過ぎるんだけど。
「お母さんがもらってきたんだけど、一枚しかないしさー。行くのもちょっと怖いし」
「そんなもの渡すなよー! お礼じゃなくて処分じゃん!」
「まぁまぁ、でも最近彼女ができた私よりも、フリーの理沙の方がきっと上手く使えるよ」
「なに、自慢っすか? それとも馬鹿にしてる?」
「前半は自慢だけど、後半は本当。なぜならね、こういう噂があって」
すると睦美は意味深な笑みを浮かべて、その噂を私に囁いた。
★ ★ ★
大学生になると、一気に交友関係が広がる。
一番の理由は、大学にいる人達の多くが『高校までに男との縁を拾いそびれた人』だから。高校で男と縁を持った人はだいたい大学に来る前に妊娠している。自然妊娠という実績は、大学卒業より上に見られるから、そもそも大学に通う必要がなくなる。
前提としてその共通認識があるから、大学では高校生の時よりずっと友達は作りやすいし、男関係のギスギスもほとんどない。
男と縁を持った人からは負け組というレッテルを貼られるけれど、そこは男性という縛りから解放されたオアシスでもあった。
そんな大学で、何をするかは人によって分かれる。
将来良い種を買おうと就職に向けて準備をする人。勉強や研究が楽しくなって専門職に就く人。もう男とは縁がない、とすっぱり諦めてひたすら遊び惚ける人。
高校生の時は、みんなが『男と縁を持つ』という目標に向かっていたけど、ここでは各々が新しい目標に向かって歩き出す。
その中でいつの間にか三年目になってしまった私は、なにに熱を上げるでもなく、大学内のレズサークルでだらだら過ごしていた。
レズサークル、と言っても直接的な意味じゃなく、表向きは普通の名前のサークルだ。
男性より女性に興味ある人が集まるサークルというのは、なんとなーく風の噂で囁かれ、そういう周波数を受信できるアンテナを持った人達だけが集まってくる。
積極的に恋人を作ろう! とそういうわけでもなく、ゆるくサークル活動したり、飲み会に行ったり。でもお互いのことは何となくレズだと分かっているから、気が合ったら付き合ったり。
そんな居心地のいいサークルに一年生から所属しながら、ちょっといい雰囲気になった相手ができても付き合うまではいかなくて、未来も思い描けないのが私だった。
なにをするでもない私を見かねて、睦美が譲ってくれた会員制のプール券。
睦美が言うにそのプールは……なんとワンナイトを求めるレズやバイが集まる秘密の社交場らしい! お互いの身分や連絡先は詮索せず、ただ肉欲目的の人達がその場に集まるとか。
その話を聞いた時には、そんな淫靡な世界があるのか! と興奮して思わず鼻血が出そうになってしまった。
もちろん、そこからいい出会いがあれば恋人に発展することもあるみたいで、確かに恋人が出来たばかりの睦美よりは万年フリーの私向き。
ただ今まで彼女いたことない私が、いきなりそんな場所に飛び込んで良い相手を見つけることができるのか。と言われれば、激しく微妙だけれど……。
とはいえ『会員制』ってだけでハードルが一気に高くなるのは事実。なにかきっかけがなかったら行く勇気なんて出ないから、今書き直しているエントリーシートが合格したら、そのご褒美に行こうと私は決意した。
そしてそのタイミングは、意外とすぐに訪れた。
「……来ちゃった」
6回目の再提出でついに『修正無し』で返却された次の週末、私は高屋敷系列のホテル『高原』の前に立っていた。
『高原』は、その名の通り高原の中にポツンと建っているリゾートホテル。周りはサイクリングコースやゴルフコースも整備されていて、大人の遊び場って感じ。
街から専用バスが出ていて30分ほどだからアクセスも悪くない。ホテルとしては最高級ってわけじゃないけど、泊まりいくにはちょっと足踏みする、そのくらいのレベル。
「いらっしゃいませ」
緊張した気持ちのまま扉をくぐると、受付にいた女性がにこやかに出迎えてくれる。すっきりと髪をまとめた美人で、頭がすっかり今日のことに犯されている私は、その人もレズなのかなと失礼なことを想像してしまっていた。
「あの、これ……」
バッグからチケットを取り出すと、その人はチケットを確認して「こちらです」と案内をしてくれた。
立派なラウンジやエレベータを通り過ぎ、ホテルの端にある何も書かれていない扉の前に立つ。
「プールはこの先になります。水着は無料レンタルがあるので、ご自由にご利用ください。再入場は可能ですが、必ずチケットが必要です。中での飲食は後からの精算となりますので、お帰りの際はフロントまでお越しください」
「わ、わかりました」
「では、ごゆっくり」
控えめな笑顔でそのお姉さんは離れていく。人当たりもよくて立ち姿も綺麗でお仕事が出来そうな人。そして私の好み。
なんかかっこいー……就職先、まだなにも考えてなかったけど、こういうホテルに就職したら、あんな人と働けたりするのかな。
そんなことを思いながら扉を開けると、うっすら塩素の匂いが鼻をくすぐる。子供の頃少しだけ水泳を習っていたから、それだけでちょっとだけ懐かしい気分になった。
サイズ別にたくさんの水着が並んだスペース。その奥にはパウダールーム。そして無料のロッカーが並んでいて、ロッカーには私以外の人はいない。
いないことに少し安心しながら、でもプールに誰もいなかったらどーしよーと思いながら、他のロッカーを見るといくつかが使用していて私一人きりということはなさそう。ロッカーに荷物を押し込んで、いつもより少し派手な水着を選んじゃったりして、どきどきしながらプールへと向かう。
どんな世界が待っているのだろう、酒池肉林の世界だったらどうしよう……! と緊張マックスのまま、私はプールへと続くその扉を開いた。
「そんなわけないか……」
プールの端、ちょっとした飲食スペースで私はため息をついた。
入ってすぐに「あれ、貴方も相手を探してるの?」とスマートなお姉さんに話しかけられるなんてこともなく、そこは完全に普通のプールだった。
泳ぐ場所と自由に使える場所がレーンで別れていて、学生っぽい子が泳いだり、お婆ちゃんがゆっくり歩いていたりする。なんなら子供だって浮き輪を付けたまま元気にバタ足していて、私が想像したイメージと全然違って意気込んできたのが恥ずかしい。
そんな平和な場所で酒池肉林なんてあるはずもなく、そのモヤモヤをせっかく来たから泳ぐことで発散する。ちょっとしたサウナがあったからそこに入って、何度か繰り返すとすっかり肉欲に溺れていた脳も浄化されてしまった。
ちょっと疲れたな、と思ってプール際にある小さなカフェで休憩する。カウンターの中では水着姿のとっても可愛い店員さんが接客してくれた。
「こちら、メニューになります」
「じゃあ……キャラメルカプチーノで」
「お持ちいたしますので、お好きな席でお待ちください」
自分の邪な考えを罰するために、あえて1200円もするキャラメルカプチーノを頼んでみた。
カフェには誰もいないけど、端の方に座る。確かにいいプールではあるけれど、ドリンクの高さからいっても会員制ってやっぱり自分には合わないなとか考えてしまう。
まぁ噂は噂だったとして、良い息抜きにはなった。これから本格的に就活始めないとだし……その前にどんな仕事をしたいか考えないとだけど。
「お待たせしました、キャラメルカプチーノです」
ぼーっとプールを見ていると、テーブルの上にカップが置かれる。特に大きくもない普通サイズのキャラメルカプチーノ……これが1200円か……。
と思っていると、その隣に小さな器が置かれた。その上には二つのチョコレートが並んでいる。
「こちらはサービスのチョコレートです。お口に合えばホテルの売店でもご購入いただけます」
「ありがとう」
その気の利いたサービスについ店員さんを見ると、そこにいるのがもの凄い美人であることに気づく。
大きすぎず小さすぎないバランスの良い胸は鮮やかなビキニで包まれていて、その下にはしっかりと引き締まったくびれがある。パレオで隠れているけど、足は細く長くて全体のバランスがいい。髪は上でまとめてあって、綺麗系と可愛い系のちょうどいいとこ取りっていうか……ともかく大学じゃ見ないレベル。
やっぱりこういうところって、このくらいレベルが高くないと雇ってくれないのかなぁ、とその綺麗な顔を見つめてしまう。
「……あの、なにか?」
「あ、ごめんなさい。えっと、店員さん凄い綺麗だなって思って……」
口に出してから、すぐに後悔した。
何を正直に言ってるんだ私は! もしここのレズ社交場が真実だったとしても、店員は別に決まってるだろ! セクハラで追い出されたりしないよねぇ!
と心の中で嵐が吹き荒れていると、店員さんは口もとに手を当て、くすくすと笑ってくれた。
「ありがとうございます。お客様もお綺麗ですよ?」
「え、いや、そんなこと……私、ここにいるのが場違いなくらいだし」
「そんなことないです。その水着もとっても似合っていますし、先ほども泳ぐフォームが綺麗だなって思っていたんです」
嘘、見られてたんだ。と思うのと、ここからだとプールが良く見えるから、気づかれるのも当たり前だった。
「でも、どうして場違いなんて言うんですか? 今日はお一人ですか?」
「えっと……」
その問いに私はここに来た経緯を話す。周りに他のお客さんもいないし、知らない店員さんに吐露するのは丁度よかった。
「なるほど、お友達からのお礼ですか」
「そうなの。それとね、こんな噂が――」
そこまで話して、はたしてレズ社交場のことまで話していいのか? とは思ったけど、この際だから全部話してしまえ! と若干吹っ切れてそのことも話す。もし噂が真実だとして、こういうことを店員さんに直接聞くのは本当はダメなのかもしれないけど、あの睦美が嘘をつくのもあんまり考えられないし。
私の話を聞く店員さんの反応は、特になにもないように見えた。ここに来ることにも相当の期待があったことも暴露してしまった後、その店員さんはしばらく目を瞑って考える。
「……少々お待ちください」
と、店員さんは何も言わずに席を離れる。やっぱり直接聞くのはダメだったのかなー。それならもう二度とここに来ないし別にいいんだけど。
沢山話してすっかり喉が渇いてしまった私は、少し温くなったカプチーノを一気に飲んでしまう。カップが空になってからそれが1200円もすることに気づいて、もっと味わって飲めばよかったと後悔した。
しばらく店員さんの姿は裏へ行ってしまって見えなかったけど、戻ってきた店員さんは、まっすぐに私の場所へ近づいてくる。
「空のカップをお下げいたしますね」
店員さんがトレイにカップを回収すると、その代わりに小さな紙が残される。
「え」
なにこれ、と聞こうにもすぐに去ってしまって、店員さんはキッチン側に行ったのか見えなくなってしまった。
その紙を広げてみると、そこには明日の時刻と場所だけが書かれていて、私の心は急にどきどきと音を大きくし始めた。




