52話 水平線が混じる場所_1
「それでは、かなちゃん……じゃなかった。奏さんをお預かりします」
「悪いわねぇ、奏連れて行ってもらって。お金本当に大丈夫なの?」
「大丈夫です、会社の福利厚生でかなりお得なので。それに奏さんにはお世話になっているし、そのお礼もかねて」
そんな会話を、私は車の助手席で聞いていた。
話しているのはお母さんと白ちゃん。お母さんと話す白ちゃんはいつもと違って社会人の顔をしていた。服装は見たことがないワンピースで、今日は大人可愛い感じ。
まぁ白ちゃんが言っているのは、お礼じゃなくてどっちかというとお詫び含めなんだろうな、と思いながら、私は早く出発しないかなぁと待ち遠しい気持ちでいた。
その白ちゃんからのお誘いは、私が二年生に上がってすぐのこと。
「温泉旅館?」
『うん、そう。ゴールデンウイークお休み取れそうだから、一緒にどうかなって思って』
寝る直前にかかってきた電話は白ちゃんからだった。
白ちゃんはバレンタインの時に家に来てくれてから、私が一度だけ部屋を掃除しに行ったくらいでそんなに会えていない。私を襲ったと勘違いしているから、もしかして避けられてる? とも勘ぐってしまったけど、電話で話しているとただ単純にお仕事が忙しくて時間がないみたいだった。
私としても、この世界の白ちゃんと急がないで仲良くなろう、とは思っていたけど、あまりに会うタイミングがなくてやきもきしている時にそんな電話。
心の中でもう返事は決まっていたけど、はやる気持ちを抑えてお話を聞く。
「お休みって何日あるの?」
『3、4、5の三連休だよ』
「テレビでは最大9連休! ってやってたけど……」
『そういう人もいるよね。うん』
そう言っても特に動じていないのがちょっと怖い。白ちゃんも就職から1年経ってついに労働マシーンになっちゃったんだ……。
『うちの会社の福利厚生で、ちょっといい旅館に特別価格で泊まれるの。だからかなちゃんと行きたいなって。ほら、掃除とかしてくれてるし……そのお礼っていうのもあるんだけど、どう?』
「行きたい!」
私のちょっと食い気味の返事に、白ちゃんはくすくす笑っていた。抑えようと思っていたのにタイミング間違ったかも、なんだか恥ずかしい……。
『でも一応お母さんには確認取ってね』
「あ、そうだった……」
『いいよって言ってくれたらまた連絡して。3、4の一泊二日で予約取っておくから』
「わかった」
お母さんなら大丈夫って言ってくれると思うけど……ゴールデンウイークもなにか他に予定もなかったはずだし。あったとしても白ちゃんとの旅行を優先したい。
「ところで、そこってどうやって行くの? 電車?」
それなら行き方調べておかないと、と思って聞くと白ちゃんからは意外な言葉が飛び出した。
『車だよ』
「車?」
『うん、私の運転』
当たり前のようにそう言うけど、私は白ちゃんが運転できるなんて知らなかったし、車を運転する姿だって少しも想像できなかった。
時は戻って、白ちゃんが運転する車は私の家を出発して高速道路に入る。ハンドルを握る白ちゃんは安全運転で、慣れたように車を操っていた。
「仕事で運転することもあるし、ペーパーとかじゃないから安心して。車はレンタカーだけどね」
思えばお母さんも普通に車を運転している。この世界じゃシングルマザーがほとんど(この世界ではそれが普通過ぎてシングルマザーという言葉はないけど)だから、働く前に免許を取るのが普通らしい。車を持っていなくても気軽にレンタルできる場所もたくさんある。
隣で車を運転する白ちゃんはなんだか大人っぽくて、それを改めて見せつけられたようで少しどきどきしてしまっていた。
「二年生になってどう?」
「えっ、あっ、うん。クラス替えないから、そんなに変わらないよ」
「そうだよねぇ。私の時も全然変わらなかった記憶あるな、男の子もいなかったし。かなちゃんのクラスにはいるんだよね? あと何枠?」
「3……実質2枠だったかな?」
エマが言っていた話を思い出しながら答える。幸太郎君の枠は、紅葉に名前の知らない大学生に……もしかしたらかもめが入って、エマが入ったらあと1枠? でもかもめはまだ決まってはいないか。
「その中にかなちゃんも入ってたり?」
「しないよ」
「あれ、そうなんだ。かなちゃんなら入っててもおかしくないなって思ってたんだけど」
よくそう言われる、私に対してのイメージはみんなそんな感じらしい。
試しにちょっと想像してみる……ここにいるのが転移する前の私なら、今頃紅葉の位置にいたような気もする。
私には後ろ盾なんてないけれど上手く作戦立てて誘導して、一番にお役目を果たしてリングを貰うくらいは簡単にできそう。うぇ、なんか考えるだけで寒気してきた……。
「でも私が枠に入ってたら、きっと白ちゃんと会う事もなかっただろうし……今頃白ちゃんお仕事で潰れてたんじゃない?」
「え、そうかな……わ、私だってきっと頑張ってたと思うよ?」
「あんな部屋でー?」
「いや、うん……やっぱりダメだったかも。私もかなちゃんと再会できてよかった」
そう言ってもらえて、私もやっぱりこれで良かったと思い直す。
最近の学校の話とか、白ちゃんのお仕事の話をしながら車は走って、いつしか窓の外には海が見えていた。
旅館のチェックインは15時、だからそれまでに車でしか行けないところに行こう! という白ちゃんの計画で、高台にある海が見えるカフェにやってきた。
遠くの海は光を反射させていて、きらきらと眩しい。標高が高いせいか風が強くて、なんだか潮っぽい匂いがする。
「うわー、結構混んでる!」
「ゴールデンウイークだからね」
小さなカフェに似合わず、駐車場は広くて車でいっぱいだった。カフェの隣には芝生が広がっていて、お母さんと女の子が遊んだりしている。
「並んでるけど、ちょっと待ちそう?」
「予約してるから大丈夫」
カフェの前の行列を見て少し心配になったけど、白ちゃんは事もなげにそう言った。
並んでいる列を横目に白ちゃんが店員さんに話しかけると、すぐに中に通される。 窓側の席に案内され、『Reserved seats』と書かれた表示を店員さんが回収していった。海がよく見える席を勧めてくれて、なんだかエスコートされているようでときめいてしまう。
「かなちゃんは何にする? ガレットが有名らしいけど」
メニュー表を開いて先に渡してくれる。そんな白ちゃんを、私はじっと見ていた。
「……な、なに? なんか変なところある?」
「今日の白ちゃん、大人っぽいなって」
「かなちゃん……大人っぽいって私、一応大人なんだけど」
私のイメージだと、白ちゃんはあんまりしっかりした大人! って感じじゃなかった。仕事ばっかりで、一人じゃ部屋も綺麗に出来ない、時々私がお世話をしにいかないといけないような、そんな人。
そんな私の白ちゃんのイメージを説明すると、白ちゃんは少しショックを受けていた。
「いや、まぁ、全部本当の話ではあるんだけど……でもね? 私だってかなちゃんに世話されてるばっかりじゃないんだからね? そもそも知り合ったばっかりの時だって、私の部屋でずっと漫画読んで動かなかったかなちゃんを、門限前に毎回送ってたのは私だよね?」
「……そんなことあったっけ?」
「あったよー! 毎回門限ぎりぎりでお母さんに怒られてたじゃん」
全く記憶にない。小学生の頃だったっていうのもあるけど……白ちゃんの部屋に居座った記憶だけはなんとなくある。
「かなちゃんってもしかして都合悪いこと忘れちゃうタイプ? それならこんな話もあるけど……」
「ちょっと待った! 私の恥ずかしい話とかなら言わなくていいから! それよりほら、早く注文しよ! あ、私サーモンとアボカドのガレットがいいなっ」
その話を遮ってメニューを広げる。その話ってたぶんもともとこの世界にいた私の話だから、私自身は知らないかもしれないし、それでも私の恥ずかしい話をされるのは嫌だった。さっさと話を切って、白ちゃんにメニューを手渡す。
「ふふっ、じゃあ私は何にしようかなー」
「むぅ、笑わないでよー」
私の慌てようがおかしかったのか、くすくす笑いながらメニューを眺める白ちゃん。そんな仕草にもやっぱり大人の余裕があって、私はなんだかもやもやした気持ちのまま白ちゃんを睨みつけていた。
それでも美味しいガレットを一口食べれば、そんなもやもやは吹き飛んでしまう。
見た目も綺麗で映えるガレットはすっごい美味しくて、思わず夢中で食べてしまった。白ちゃんが頼んだ春野菜としらすのガレットも少し分けてもらって、ドリンクのカフェラテも上品な甘さで大満足。
混んでいることもあって早めにカフェを出た後は、食休みに少し散策することになった。広い芝生の向こうにはお散歩コースもあるみたいで、30分程度の道筋が説明されている。
「かなちゃん靴は大丈夫?」
「うん、今日はスニーカーだから」
「じゃあちょっと行ってみようか、展望台もあるみたいだし」
お散歩コースは芝生の上に設置されている木の板を歩くような感じ。落ちても芝生だから平気だけど、板はちょっと狭くて他の人とすれ違う時は気を遣う。
展望台に向けて緩やかな登りになっていて、意外と体力が必要だったけど、先を進む白ちゃんに疲れた様子はない。
「やっぱり仕事してるとねー、体力ないと通用しないから」
「結局辞める気ないの?」
「仕事も慣れてきたし今のところはね、後輩もいるし……もう半分辞めちゃったけど」
「うわー」
まだ5月だから……一ヵ月で半分も? 凄いというかなんというか……。
「でもでも、さすがに今回は辞めるペース早くて、会社の中でも問題になってね。ちょっと仕事の量を見直そうって話になってるみたい」
「じゃあ白ちゃんも?」
「私は……うん、そのうち?」
白ちゃんの反応的に、あんまり期待できそうにないなーって思った。
そんな話をしながら展望台まで歩いていく。道が狭くてよく人ともすれ違うから、白ちゃんが前で、私がその後ろを歩く。
本当はその空いている左手を握って歩きたい気持ちがあったけど、手を繋いでも邪魔になりそうだなーと思いつつ。でも一度繋ぎたいな、と思えばついついその手が気になってしまう。
道から落ちそうになったら、心配して繋ごうって言ってくれないかな。ちょっと遅れたら「大丈夫?」って言って手を引いてくれないかな。そんなことを考えながら、でもきっかけはなかなかつかめないまま、展望台が見えてきてしまった。
「ほら、かなちゃん。もう少しだよ」
白ちゃんがその左手で指を差す。でも私はその先よりも、その細くてきれいな指先の方が気になっていた。
「ついたー! かなちゃんはちょっと疲れちゃった?」
「大丈夫」
私が手ばかりを気にしてしまったせいで、急に口数が少なくなったのを白ちゃんは気にしているようだった。
展望台の上からは海が見渡せた。相変わらず風がびゅうびゅう吹いていて、髪が風に運ばれていく。白ちゃんは髪を手で押さえながらも、展望台の先端へ向かっていった。その後ろ姿を見ながら、私は白ちゃんのことを考える。
私はきっと白ちゃんのことを、クラスメイトと同じような立場で見ていた。
再会した白ちゃんの背はあんまり伸びてなくて私と同じくらいになっていたし、ずぼらな性格も変わっていなかった。だから私の記憶通り、私の想像するままの白ちゃんだと思っていた。
だけどこの世界での白ちゃんは、昔から私のお姉さんポジションとして接してくれていたのかもしれない。
前の世界の白ちゃんは、女の子好きで私にキスだってして、明らかに私を狙っていたと思うけど……この世界の白ちゃんは、そんなことはなくって。私をただ妹的な存在として見ていて、白ちゃんの中ではきっとその印象が変わっていない。
そんなお姉さんな白ちゃんが、妹のような私を酔ったまま襲ったと知ったら……白ちゃんは重く受け止めると思う。白ちゃんから見ると、自分は大人で、私はあの時と変わらない子供のまま。
「かなちゃん?」
展望台の先についた白ちゃんが、私の名前を呼ぶ。その声に気づいて、考えながらその場所へと向かう。
でも私は子ども扱いされるなんて嫌で……ちゃんと女の子として見てほしくって、白ちゃんにも私にどきどきしてほしい。
大昔だったはずの初恋は、今でも私の中に燻ったまま残っていた。
私は無意識に手を上げる。どうしようもなく触れたくなって、白ちゃんという存在を感じたくて。
その左手をつかもうと、私は指を伸ばす……だけど白ちゃんは私の手にはっと気づいたように、一瞬だけ目を伏せると、逃げるようにさっと手を胸に抱えた。
「えっ……?」
……もしかして、避けられた?
「かなちゃん大丈夫? 気分悪くなった?」
私を心配する声は、特に変わりない。
「……大丈夫だよ、ちょっと疲れちゃっただけ」
白ちゃんは誤魔化すように手で髪を押さえる。そんなことしなくてももう風でぼさぼさなのに。
「そろそろ行こうか。今から移動すればチェックインにちょうどいい時間だよ」
「……うん、わかった」
白ちゃんが展望台から離れていく。私が繋ごうとした手のことなんて、気づかなかったかのように。
でも、あの手の動きは明らかに私を避けていた気がして――。
違う、たぶん、気のせい。タイミングがちょうどよく被っただけ。せっかくの旅行なんだもん、水を差すようなことしたくない。
ショックで泣きたくなるような気持ちを抑えて、私をそう自分に信じ込ませて、私は白ちゃんの背中を追いかけた。




