45話 その蜘蛛の糸は輝いて_3
お昼の後は近くの雑貨屋さんとか、奏先輩が気になったところを見て歩いた。やっぱり私は後ろからついていくばっかりで、それでも奏先輩は気にしていないように私に笑いかける。
ある程度陽が沈み始めると、奏先輩の誘いで帰りは家の近くのスーパーへ寄る。
「くるみは料理するの? ……って聞こうと思ったけど、してないでしょ」
スーパーに入ると、私の足は勝手にお惣菜コーナーへと向いていた。家から一番近い場所にあるから、夜ご飯はだいたいここで済ませている。奏先輩にはあっと言う間にバレてしまって少し恥ずかしい。
「炊飯器あったっけ?」
「ないです……」
「そう。じゃあパックご飯でいっか」
作るものはもう決めているみたいで、奏先輩は私の冷蔵庫の中身を聞きながら足りないものを買い足していく。奏先輩がお料理もできることをその時初めて知った。
ビニール袋を二人で持って家に戻る。奏先輩が私の家の方向に歩くのは、なんだか不思議な気持ちで、ただ今は朝の時みたいに素直に嬉しいとは思えなくなってしまった。一日隣を歩いているつもりでも、やっぱり私と奏さんとの間には一歩分の距離がある。
たった一歩分の距離、だけどそれがどうしようもなく遠かった。
家に帰って買ってきたものを冷蔵庫に詰め込むと、奏先輩と私は小さなキッチンへ立つ。
「今日は親子丼を作ります」
「おぉー……!」
「なにぱちぱち拍手してるの。作るのはくるみ、私は口しか出さないから」
「えぇー……奏先輩の手料理……」
「毎日お惣菜じゃ健康に悪いって。少しくらい自分で作れるようにならないと」
その通りで反論しようがない。とりあえず買ったけど新品のまま眠っていたまな板と包丁を取り出すと、奏先輩は手慣れたように軽く洗ってから、材料を用意していく。
「玉ねぎは薄切りね……包丁の持ち方はこうで……初めはちょっと厚めでもいいから」
「卵は軽ーく、角じゃないところで割るんだよ。あっ! ……これはあとで片付けようね、次はもうちょっと弱めの力で割ってみようか」
「鶏肉触った後は絶対に手を洗って。包丁も他のもの切らないように」
奏先輩の手ほどきを受けながら、なんとか切ったり焼いたりしていく。包丁を持つのも卵を割るのも初めてで、不安でいっぱいだった。けど奏先輩から言われた通りに手を動かせば、不思議となんとなく形になる。
「ご飯はレンジで出来るから……これもやる?」
「やります!」
いつもお惣菜のおにぎりばっかりだったから、パックご飯を温める時に端っこを少し開けておくことさえ初めて知った。その度に、世界が少しずつ広がっていく。
そうやって一つ一つ進めて、作り始めたのは夜ご飯にはかなり早い時間だったけど、ようやく完成したのはちょっと遅い時間になっていた。
「うん、まぁまぁかな」
完成した親子丼を前に奏先輩はそう言ったけど、私にはぜんぜんそう見えなかった。
鶏肉の大きさは違うし、玉ねぎの厚さも不揃い。卵はちょっと火が入りすぎていて、お店でみるようなとろとろじゃなくて卵焼きみたいになっているし、なんなら少し焦げているところもある。
「ご、ごめんなさい……」
先輩に教えてもらったのに、上手くできなかった。自然と、その言葉が口から出ていた。
「何言ってんの。ほとんど私がアドバイスしたんだから、私が作ったようなもんでしょ。それよりお腹空いたから早く食べよ。味見もちゃんとしたし大丈夫」
奏先輩は先に箸を取って、大きく口を開けて出来損ないの親子丼を食べた。
「うん、美味しいっ。やっぱり白だしは神調味料だわ……ほら、くるみも立ってないで食べる食べる」
湯気を上げている親子丼。私も奏先輩と同じように、大きく口を開けて食べてみた。ふわりとだしの風味が鼻を抜ける。
「……美味しい」
「でしょ?」
「うん、奏先輩がアドバイスしてくれたから……」
「くるみが頑張って作ったからね」
さも当たり前のように奏先輩はそう言った。……さっきは奏先輩が作ったようなものって言ってたのに。
奏先輩の前だと嬉しいことが多すぎて、ついつい気持ちが溢れそうになってしまう。でも温かいご飯の前で涙を流したくない気がして、ごまかすように親子丼を口に入れた。
食器を洗い終わると、21時を過ぎていた。
「お風呂一緒に入る?」
自分のバスタオルを用意しながら、奏先輩はそんなことを言う。
「……奏先輩の後で入ります」
そう言うと奏先輩はちょっと意外そうな顔をしてから、何も言わず脱衣所に向かった。やがてシャワーの音が聞こえ始める。
自分の部屋で一人になってから、なんで奏先輩が『いつでも一緒』をお試ししてみようと言ったのか、その意味が分かってきた。
私は、出来ないことが多すぎる。
奏先輩さえいればいい、じゃない。奏先輩がいないと満足になにもできない。
奏先輩のことは大好きで、ずっと一緒にいたいのは本当の気持ち。だけど今日の私と奏先輩の関係は『一緒にいる』んじゃなかった。私の出来ないことを、すぐ横で助けてもらうだけの関係だった。
ただ一緒にいるだけで幸せだと思っていたのに、一緒にいるっていうのはただ隣にいるだけじゃなかった。お互いに出来ることと出来ないことがあって、私と奏先輩には、その差がありすぎる。与える人と与えられる人、私はただただ与えられ続けるしかなかった。
……そしてそれは少しだけ、あの男の子と私の関係に似ている気がして。
「うっ……」
急に吐き気が込み上げてきて、慌ててトイレに駆け込む。
でもせっかく奏先輩と作った親子丼をトイレに吐き出してしまうのは許せなくて、なんとかその吐き気を飲み込む。
「はぁ……はぁ……」
深呼吸、目じりに涙を浮かべたまま、気持ちをどうにか落ち着かせようとする。
違う、私はあの男の子とは違う。奏先輩のことが好きで、あの人しかいなくて。暴力とか暴言なんかありえなくて……でも私が奏さんに求めていることは、突き詰めるとそういうことかもしれなくて。
これ以上考えちゃダメだ、膝を抱えてトイレの中で座り込む。考えていたことを全部端っこに押し込めて、あの病室でのことを思い浮かべると気持ちは少しずつ落ち着いてきた。
コンコン、とドアがノックされる。
「くるみ? お風呂あがったけど、大丈夫?」
「……大丈夫です。すぐに私も入ります」
元気を振り絞ったその声は自分でもずいぶんと不自然に聞こえたけれど、奏先輩はなにも言わなかった。
テーブルの前でドライヤーを使う奏先輩を横目に、見られないようお風呂場に入ってほっと息をつく。
自分のバスタオルを用意して、気だるい気持ちのまま服を脱ぐと、いつもの醜い身体が鏡に写っていた。今日はなんだか余計に目についてしまう気がしたけど、それも考えないようにしてお風呂場に入る。
ゆっくりお風呂に入って、気持ち切り替えよ……とバスチェアに座ると、あることに気づく。
「いつもと違う匂い?」
奏先輩が入った後だからだとすぐに気づくけど、それは私が病院で抱きしめられた時の匂いとも少し違うような気がする。もっとこう、気になるっていうか、これが今の奏先輩の匂いなのかな。
「…………」
……なんだか、身体の中心が熱い、ような……。
「は! ダメダメ! 何考えてるの!」
さっさとシャワーを頭からかぶり、湯船に飛び込む。少し温くなったお湯に潜って、私はしばらく息を止めた。




