36話 それぞれのチョコレート_1
「おはよ~」
「おはよう、奏」
朝、欠伸をしながらテーブルに座ると、お母さんがトーストとベーコンエッグ、サラダを用意してくれた。うちの朝ごはんの定番メニューだ。
テレビの中では朝だというのにチョコレートの特集が流れている。デパートの高級チョコレートを、リポーターの人が美味しそうに試食していた。……いいなぁ、美味しそう。
「今日バレンタインでしょ? 学校休みだっけ?」
「学校が休みっていうか、授業がないだけ。出席は確認するって」
「昔は普通に授業したんだけどねぇ」
「昔って何年前の話?」
といいながらバレンタインに授業がないことは、私も昨日まで知らなかったんだけど。
「奏はいくつチョコレート貰ってくるのかな~。ちょっと分けてくれる?」
「たくさんもらえたらね。でもお母さんも会社でもらってくるんじゃないの?」
「うちはそういうの禁止にしてるから……まぁ特に仲が良い同僚とは交換してるみたいだけど」
この歳になるとチョコレートもちょっと重たいんだけどねぇとかいう声をスルーしながら、私はバターを塗ったトーストを頬張った。
意外なことに、この女性過多な世界でもバレンタインという文化は残っていた。
私がいた前の世界では女の子が男の子にチョコレートを渡して告白する日、というのが普通のイメージだけど、この男女比が狂った世界ではその内容も少し変わっている。
簡単に言うと友チョコ文化が強くなっているというか……女の子が男の子にというのはもちろんベースとしてあって、女の子が仲の良い女の子にチョコレートをあげる日となっているみたいで、バレンタインが近くなるとテレビでは頻繁にチョコレートの特集が流れていた。
私もチョコレートは好きだし、それを知ってから今回はしっかり準備をした。渡したい人はたくさんいるし、クラスのみんなにもばらまきたい。
まぁでも本来の女の子が男の子にチョコレートを渡す、という文化はちゃんと残っているみたいで、今日授業がないのもそのせいなんだけど……私がノートの代わりに鞄いっぱいのチョコレートを持って学校へ向かうと、校門の前には異様な光景が見えてきた。
それはずらりと並ぶ女の子の列。曲がり角まで続いているそれは先が見えなくて、警備員さんが慌てて交通整理をしている。並んでいる人達はみんな同じく紙袋や小さな箱を抱きしめていた。
「すごー……これみんなチョコレート渡すために並んでるんだ」
「お、奏ー。おっはようっ!」
「わっ! もー、菜月危ないって」
「へへ」
後ろから抱き着くように近づいてきたのは菜月だった。菜月の手にも大きな紙袋が下げられている。
「凄い列だね……これ全部うちの男の子目当てなんでしょ? 百合が原の男子って何人くらいいたっけ?」
「えーっと一年生は今3人でしょ? 二年生も3人で……三年生はもういないんじゃなかったっけ? エマならすぐ分かるんだけどなぁ」
「6列っぽいからそれで合ってるんじゃない?」
つまりこれは、百合が原に通う男の子にチョコレートを渡す、学校外の人の列。
うちのクラスの幸太郎君含め、百合が原に通う男の子はみんな体育館に集められ、順番にチョコレートを受け取る。
その方式はまるでアイドルの握手会を思い出させるけど、なにも対策をしなければどうにかしてチョコレートを渡そうと、不法侵入が頻発するからこのような方式になったらしい。
先生たちはもちろん、幸太郎君に近い紅園さんやエマとかも駆り出されてるはずで、外から見るとちょっとしたイベントみたいになっている。この時期はどの学校もこんな状態で、授業なんかできるはずもなかった。
そんな列を横目に自分のクラスへと向かう。教室に入ると、すでにチョコレートの匂いが充満していた。というか今日は学校中甘い匂いがしている気がする。
「あ、奏、なっちゃん。おはよう」
「あれ、エマ。体育館の方にいるのかと思ってた」
「二人が来るまで待ってたんだぁ。はい、ハッピーバレンタイン」
と、エマはさっそく可愛いピンクの包装紙で包まれているハート型チョコレートを渡してくれる。もちろん菜月にも。
「ありがとう。これお返しね」
と私もしっかり用意しておいた、ラッピングしてある小さな箱を渡す。
「奏は手作り?」
「うん、しっかり味見はしたから大丈夫なはず」
「楽しみー、奏のお菓子美味しいんだよねぇ」
「どーせ私は手作りじゃないですけどね?」
「なっちゃんのだって楽しみだよ。それに私だって普通に買ったやつだし……あ、もう行かないと。ごめんね、今日はたぶんずっと体育館だと思う」
エマは本当に私達に渡すためだけに待っていたみたいで、慌ただしく教室を出て行った。もう少しお話したかったけど、そうしている暇もないみたい。
「忙しそうだねぇ」
「大変なんじゃない? 文化祭みたいな感じになるんでしょ」
文化祭の時も行列は凄かったけど、今回はちゃんと計画されている分まだマシそうではある。
「そういえば奏にも渡しておかないと」
席に荷物を置いてから、菜月がリボンのついた箱を渡してくれた。
「ありがとー、私からもね」
「奏は今回何作ったの?」
「フォンダンショコラだよ、ちょっと温めて食べると絶品! 中にベリーソース仕込んであるから」
「うわー楽しみすぎる! 学食のレンジ借りてこようかな……」
「ちょっとくらい揺らしても問題ないから、家でゆっくり食べて」
今回は試作を繰り返した自信作。
少し温めれば中のチョコレートがとろけるようになっていて我ながら絶品! ついつい試食が多くなってランニングの距離を増やす羽目になったことは内緒だ。
「か、奏さん、菜月さん。おはよう」
「おっはようっ!」
続いて話しかけてきたのは詩帆ちゃんと莉々ちゃん。詩帆ちゃんの手には大きな紙袋があって、莉々ちゃんの片手にもいつも通り透明な大袋が……。
「ってそれまた美味しい棒じゃない?」
「そうだよ! チョコレート味! 二人にもあげるねっ」
莉々ちゃんはぽんぽんと美味しい棒を渡してくれる。莉々ちゃんのおやつといえば美味しい棒なのはすでに周知の事実だけど、まさかバレンタインもこれとは思っていなかった。
「わ、私も持ってきたから。菜月さんと、奏さんに」
次は詩帆ちゃんが紙袋から、割と大きめの箱を取り出す。外側のラッピングがちょっと不格好なところが詩帆ちゃんぽかった。
「詩帆ちゃんも手作り?」
「う、うん。奏さんには敵わないけど」
「そんなことなくない? 詩帆も上手いじゃん」
菜月の言う通り、詩帆ちゃんもお菓子作りはめきめき上達していた。今は休日になれば作っているみたいで、よく学校にも持ってきてくれているし、たまに二人きりで会うときも大抵用意してくれている。
私がなんとなく勧めた趣味だけど、詩帆ちゃんは本気でものにしてしまっていて、最近のお菓子は本当に私より美味しい。
「詩帆ちゃんありがとう、味わって食べるね」
「う、うん。保冷剤入ってるけどできれば早く食べてね。チョコレートケーキだから」
その場の交換会が終わったところで、先生が教室に入ってくる。先生も忙しいのか、ぐるりと教室内を見回して欠席者がいないことだけ確認すると、
「じゃあ後は自由で」
と言って教室から出て行ってしまった。教室にいるみんな一応席に付いたけど、すぐにまたざわめきが戻ってくる。
「なんか来る意味あったのかなって感じ」
「いいじゃん、どうせチョコレート交換するのに集まるんだし」
ぽつぽつと帰る人もいれば、他のクラスに移動する人もいる。まだ9時になったばかりなのになんだか放課後みたいな雰囲気だった。
私は昨日まで普通に授業があると思っていたから、これから特になにも予定を入れていない。まだ帰るには早いしどこか寄り道でもしようかなと菜月に声をかける。
「ゴメン、私はこのあとフットサル部の方で集まる予定でさー」
だけど菜月にはそう断られてしまった。
詩帆ちゃん莉々ちゃんペアも同じように用事があるみたいで、こういう日に限って誰も捕まらない。というか私が授業あるって勘違いしていただけなんだけど。
まぁそんな日もあるか、と何人かのクラスメイトとチョコレートを交換した後は大人しく帰ることにした。チョコレートもたくさんあるし、家でゆっくり食べようかな。
ぱらぱらと帰る人に混じって学校を出る。男の子に渡したい行列はまだ続いていて、少しずつ前進はしているけど時間もまだまだかかりそう。最後まで終わるってなるとお昼とか過ぎちゃうんじゃないかな……。
そんなことを考えながら帰り道を歩いていると、一台の車が私の横にゆっくりと止まった。誰が乗っているのかはスモークが入っていてよく見えなかったけど、そのガラスが下りるとそこには見覚えのある顔があった。
「柚ちゃん!」
「やぁ、久しぶり」
それはすっかり学校に来なくなってしまった有名人、柚ちゃんだった。




