27話 あの頃、あの街_1
「まさか社会人になってからこの街に戻ってくると思わなかったなぁ」
私、雪野真白は前よりも少し寂れたような気がする駅ビルを見上げていた。
少し時間に余裕があったから、どこか懐かしいその周囲を散策する。すると歩いているだけでいろいろな思い出が蘇ってきた。
駅の端にある待ち合わせスポットはそのままだし、その近くにあるたい焼き屋さんも変わらずそこにある。あの頃から7年も経ったというのに、それは私の記憶のまま残ってた。
私のこの街の記憶は、高校一年生までで途切れている。その理由はお母さんの転勤で隣街へ引っ越すことになったから。
転校が分かった時はもう2学期も最後の方で、仲のいい友達もいたけれど、そのクラスに男子がいないことだけがずっと気になっていた。お母さんには一人暮らしをしてもいいよ、と言ってくれたけど、引っ越し先には男子がいるんじゃないか? という想像を止められず、迷った末にお母さんに付いていくことにした。
結果的に引っ越し先の高校でも男子はいなかったんだけど。
そしてこの街でもう一つ思い出深いのは、私と少し年の離れた特別な友達のこと。
思えば一時期は同じクラスの友達よりも遊んでいたかもしれない。引っ越しが決まったのも急だったから、大した挨拶もできないまま別れてしまったけど、あの子はまだこの街にいるんだろうか。
もし住んでいるなら、どこかで会えたりしないかな。昔でさえあんなに趣味が合ったんだから、今だったらもっといろんな話ができる気がする。
そんなことを思いながらいつの間にか駅を一周したらしく、スタート地点まで戻ってくる。
「でもまずは仕事を頑張らないと!」
2週間後には初出勤だし、それまでに生活の基盤を整えないといけない。用意するものもまだまだたくさんあるし、忙しくなるぞ! と私は地図アプリに登録してある新しい自分の家へと歩き出した。
★ ★ ★
高校生活で男性と縁がなかった人のほとんどは、普通に大学へ進学する。そして次の目標は、いかに優良な種を入手するかということにシフトする。
人工妊娠はしようと思えばいつでもできるけど、政府に申請してもらえる種にはランクがある。冷凍期間が長い、高齢の男性から取れた種はいつでも取り寄せられるけど、逆に新鮮で若い種はそれだけ需要が高い。高額で取引されるし、最高ランクの種は一軒家と同じくらいの値段がつく。
なにより新鮮な種は男児が生まれる確率が高い、と噂されている。
それはあくまでただの噂、とわかっているけれど、そんな噂でもすがりたくなるのがこのご時世。つまり質の高い種を買うためには、いい会社に入ってお金を稼がないといけない。
私は大学を優秀な成績で卒業した後、就職戦争を乗り越え、誰もが知る大手商社へと就職を決めた。就業場所は実家から少し遠く、通勤時間を減らすために高校まで住んでいた街にまた戻ってきた。
そしてその判断は、結果的に正しかった。なぜなら、社会人1年目は忙しいという言葉では済まなかったから。
仕事を初めてすぐ、大手には大手の理由があるんだなと感じた。始業1時間前には自分の席で仕事を始めている人がほとんどだし、定時なんてものは存在しない。会社の電気は日付が変わっても煌々と輝いて、入社したばかりのはずなのに1月も経てば仕事は山のように膨れ上がった。私も他の先輩と同じように、栄養ドリンクを飲みながらパソコンを叩くようになった。
眠気が限界になれば仮眠室に行き、フッと記憶を無くしたと思えば始業の時間になる。仕事を教えてくれている先輩も、目の下には常に隈があってフラフラとしている私に「すぐに慣れるよ」と掠れた声で言った。
そんな状態だから、入社して3か月を過ぎるとその部署に配属された12人の同期は半分になった。さらに3か月が過ぎるとその半分、私含め3人まで減ってしまい、残った同期はにこやかに雑談しながらも、お互いに辞めないか監視するような関係になった。
業務時間だけみれば明らかにアウトではあったけど、大企業なだけあってそれだけお金はもらえた。平均的な初任給の3倍以上は貰っていたし、ボーナスは年2回6か月以上。業績によっては追加の給与もあった。
とある先輩が社会人5年目にして最上位ランクの種を買い、男児を産んだというのは社内では有名な話だった。実際に男の子と一緒に写っている写真も、社内掲示板に見せびらかすように張られている。
小さな赤ちゃんは男の子のシンボルをしっかり持っていて、ぼーっとその掲示板を見てはいつか私も、と決意する。そして自分の席に戻り、17時に鳴り響くなんの意味もないチャイムを聞き流しながら、パソコンの前でキーを打ち続けた。
どの会社にも閑散期というものはある。私も12月になってようやくまともに家に帰れるようになった。
それでも家に着けば21時を回っているし、コンビニ弁当を食べてシャワーを浴びればベッドに倒れ込むだけ。荒れた部屋を片付ける元気もないし、気が付いたら夜が明けていつの間にか会社の自分の席に座って仕事を始めている。すぐに慣れるよ、というのは本当のことだった。
とある日、いつものようにパソコンを立ち上げると、会社の空気がどこか緩んでいるように感じた。周りの会話から、今日が金曜日で、明日の土曜日は久しぶりに休みだからということを思いだす。
普段の休日は基本的に日曜だけだから、昼まで寝て一週間分の買い出しと最低限の家事をすればあっという間に休みは終わったけど、それプラスもう一日お休みが残る。
それに気づいてから、なんだか仕事に集中できなくなって、いつもはしないミスをしてしまった。
久しぶりの二連休だねーと話す人の声を聞きながら会社を出る。途中のコンビニでお弁当を買い、家に戻って時計を見るもまだ20時だった。
ご飯を食べて、簡単にシャワーを浴びて、寝る準備を終えても日付が替わっていないことが不思議だった。けれど夜更かしする元気なんてなく、そのまま羽毛布団を掛ける。
「休日はなにしよっかな」
一人の部屋にそんな声が溶けて消える。というか休みの日って何をしていたんだっけ? 大学生の時とか、もっと時間あったような気がするけど……。
そんなことを考えているうちにだんだんと瞼が落ちてくる。この時間に寝てしまうのはちょっともったいないなぁと思うも、心地よい睡魔からは逃れられなかった。
土曜日。いつものように午前中を寝て過ごし、午後は買い出しをして最低限の家事を済ませる。
そうして迎えた日曜日、久しぶりの連休二日目は、なにもやることがなくてびっくりした。
癖がついてしまって5時には目が覚めるけど、そんなに早く起きてもすることがない。ゆっくりとシリアルをかみ砕き、なんとなく服を着てぼーっとテレビを眺めて、時計を見てもまだ7時。
なんだか家にいても落ち着かなくて、外へ出ることにする。
ドアを開けるとびゅう、と冷たい風が吹きつけて身体を縮こませる。とりあえず外に出たはいいけれど、行く先はなくふらふらと足の行くまま歩く。
今住んでいるアパートは、高校生まで住んでいた場所とほど近い。そのせいか、所々に昔の面影が残っていることに気がついた。
十字路の隅にある郵便ポストやコンビニ、誰が住んでいるのかも分からない廃屋もそのまま残っていて、その度に昔を思い出す。
あの頃は楽しかったな。
短い高校生の時の思い出、それと年の離れたあの子のこと。
初めて出会った時、あの子はまだ小学生だった。だけど当時高校生だった私と同じくらい男の子に興味があって、なによりその趣味が近かった。話すのが楽しくて、家に誘って私が集めていた秘蔵の本を読ませてあげると。感激して何回もお礼を言われた。それから私の家に通って本を読んでいたっけ。
SNSで調査した男性と会えるスポットにも一緒に行ったり、一緒に好みの本を探しに行ったり。短い期間だったけど、あれは楽しかった。私の青春と言ってもいいかもしれない。
あの子は男の子と縁を持てたのかな。小学生の時でも可愛い子だったから、きっとお役目くらいはしてるだろう。私みたいになってないといいな……。
ふと、足を止める。
今、私はなんて思った?
誰もが知っている商社に入社して、一般的には勝ち組と呼ばれる人生なのに。数年後にはランクの高い種をもらって、あわよくば男の子を生んで、大切に育てて、それで……それでいいはずなのに。このまま我慢すれば、5年後には解放されるのに。
『私みたいになってないといいな』
一度気づいてしまったらダメだった、ダムが決壊するようにぽろぽろと頬が濡れる。
コートの裾で顔を隠すも、涙はとめどなく溢れて、嗚咽が漏れる。ぼやけた視界の端に誰かがランニングしているのが見えて、気づかれないように道の端に移動した。
けれどその人は親切な人だったみたいで、その足音は私に近づいてくる。
「どうしました? 大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です、なんでもないんで。気にしないで……」
その子は凄く可愛い女の子だった。きっとこんな子が男性を捕まえるんだろうな、とこんな時でもそんなことを思ってしまう。
あれ、でもなんとなく見たことがあるような……。
「白ちゃん?」
「え」
その呼び方をする人は、記憶の中でただ一人。
『白ちゃーん!』と元気に呼ぶ声が蘇る。
「も、もしかしてかなちゃん?」
まさかと思ってその名を呼ぶと、目の前の少女はこくりと頷く。それはつい先ほどまで思い出していたよく遊んだ小学生、琴宮奏その人だった。




