97話 指輪とチョコレートと引きこもり_4
「はぁ~可愛いわぁ、十流君……きっと起きたばかりね」
監視カメラの中にいるのは確かに男の子で、その映像の中にいるのが、菜月の婚約者だった。
香織さんはその映像にメロメロになっているけど、動画の中にいる十流君は、私には幽霊のように見えた。ぼさぼさの前髪は完全に目を隠してしまっているし、後ろ髪も肩まで伸びきっている。陽に当たってないせいか、肌は青白く腕も細い。息を吹いたら消えてしまいそうな、そんな儚げな印象。
「これが……十流君」
その映像には香織さんだけじゃなく、菜月も夢中になっていた。今の十流君を見るのは、菜月にとっても初めての機会ということを思い出す。
「それでねっ、それでねっ! もっと驚くことはこれよ!」
香織さんの嬉々とした声に、すぐに映像が切り替わる。そこには十流君ともう一人他の男の子がいて、今私と菜月が座っているところにいた。手には携帯ゲーム機を持っていて、二人でぼそぼそと何かを話している。
「この子は?」
「6階に住む勝利くん。十流、友達と一緒に遊んでいたのよ、十流は引きこもりなんかじゃなかったの!」
香織さんは嬉しそうにそう言うけれど、この映像ってヤバめの映像なのでは? と私の頭の中では警鐘が鳴っていた。自分の息子を盗撮するのだってラインギリギリのこの世界、他の家の男の子が映っている映像なんて、間違いなく警察案件だ。
菜月もうっすらそれに気づいているのか、笑顔がぎこちない。
「心配しないで、このパソコンはオフラインだから」
香織さんは私達の心配に気づいているようで、そう言ってくれた。最初はおっとりしていて優しそうな人だなぁって思っていたけど、男の子が関わるとやっぱりちょっとおかしくなるらしい。
私は話題を切り替えるために、咳払いをする。
「つまり、十流君は女の子が苦手なだけってことですか?」
「そうね、《《あの子達》》があんなことしなければ、今頃十流も普通に学校に通っていたと思うんだけど……悔やんでも悔やみきれないわ」
あの子達、という言葉にとんでもない怨嗟が含まれていて、さっきまでのテンションの差に私と菜月は体を震え上がらせる。
「十流の傷ついた心も理解できるけど、政府に取られるのは出来れば避けたいの。十流がこうなってから枠だけは仮埋めして、他の女の子には会わなくても良いようにしたんだけど、十流は分かってくれなかったわ。もともと枠入りしていた子達も今ではほとんど十流のことを気にしなくなってしまったし、こうやって家まで来てくれるのはもう菜月様だけなの」
香織さんは動画を止めて、改めて菜月の方に向き合った。その瞳には並々ならぬ決意がある。
「もし、十流が普通にコミュニケーションをできるようになるなら……菜月様を、十流の一枠目にしたっていいわ。もちろんその時は奏さんも。だからなんとか十流を助けてあげられないかしら」
男の子の一枠目。
それは喉から手が出るほど欲しい条件、この世界の全女子の夢。
香織さんのその決意とは裏腹に、その話を始めて聞いただろう菜月は、ぴったりとフリーズしてしまっていた。
お話も終わって、私と菜月は一度廊下へ出る。
菜月は香織さんの提案を聞いてから、なんだかぽーっとしていた。
「菜月! 菜月しっかり!」
「わ、私が一枠目? なんかの間違いじゃ……」
私の声も全く届いていなくて、夢見心地になっている菜月に思わずムッとしてしまう。
「ていっ!」
「痛ぁ!」
頭を軽く叩くと、菜月は我に返ったように頭を押さえていた。ムカムカする気持ちは収まらないけれど、まずは今日の目的を達さないと話を整理することも出来ない。
「菜月、今日はチョコ渡しに来たんでしょ」
「そ、そうだった。ごめん、奏」
慌てたように菜月は廊下を進む。でもその足は明らかに浮足立っていて、いつもの菜月ではなかった。
十流君の部屋は、廊下の一番突き当たりにあった。固く閉ざされた部屋には可愛いネームプレートがかかっていて、きっと香織さんが掛けたんだろうなと思う。
菜月は綺麗にラッピングしたチョコレートを、扉の前にまるでお供えするかのように置き、床に座った。
「十流君、菜月です。今日はバレンタインだから、十流君のためにチョコレートを作ってきました。……えっと、心を込めて作ったからよかった食べてくれると嬉しいです」
菜月の言葉が廊下に響いて消える。扉の向こうからは何も返事もない。というか本当に人がいるのか? というくらい静かだった。
「チョコレートは、友達に教えてもらいながら作りました。奏っていって、私の親友。すっごい可愛くて、お菓子作りも得意で、なんでもできる自慢の親友なんだ」
扉の向こうに必死に声を掛ける菜月。その声はどこか焦っているようで、いつもの菜月の元気がなかった。男の子に声を掛けるんだから落ち着かないのは分かるけど、その様子は菜月の良さまでも消してしまっている。
「実は、今日も来てもらってるの。良かったら十流君にも会ってもらいたいなって……」
バンッ!!
ドアに何か固いものが当たる音。それは、明確な拒否の音。
その乱暴な音にビクリと身体を跳ねさせた菜月は、何も言えなくなってしまい、だんだんと眉が下がって泣きそうになっていた。
「菜月、行こ」
座ったままの菜月を立たせると、そのままふらふらと玄関の方へ戻っていく。
廊下の前に置かれたチョコレートはそのままで、回収していくか迷ったけれど、今はそのドアの向こうに、なんとなく人がいる気配がした。
足音を出さないように、私はそのドアに近づく。
「いくじなし」
扉一枚向こうにいる男の子にそう呟いて、私は今にも倒れそうな菜月の横を支えにドアから離れた。
マンションから出て電車に乗っても、菜月は沈んだままだった。
そんな菜月の横で電車に揺られながら、私はずっと考えていた。
菜月の将来を考えると、十流君の一枠目が破格の条件だと言うことは、この世界に来てまだ浅い私にさえも分かること。
そして菜月は、普段そんな素振りを見せないけれど、男の子は普通に好きだ。なんだかんだ十流君のことを話す時の声は明るかったし、自分がもう枠に入っているということは、一種の安定剤のようなものだったんだろう。
私の気持ちは複雑だった。本当は菜月と十流君をくっつける役割なんてしたくもないけど、私の頭の中には、十流君を引っ張り出す方法が一つだけ思いついている。
でもこの方法、どこかで間違ったら私逮捕されるかもしれないんだよなぁ。男の子関係はそこが怖いのだけれど、私には最悪、困ったときに連絡してって言ってくれた透子ちゃんというセーフティーがまだある。
それを考えると……成功率はまぁまぁあると思う。
「菜月」
私は菜月に声をかける。
私には菜月をこの状態のままにはできなかった。
菜月はエマと同じく、私の親友で――そんな沈んだ顔を、一秒だって見たくないんだ。
「私に、考えがあるの。準備があるから時間はかかるけど、十流君のこと、なんとかできると思う」
はっと顔を上げた菜月、その瞳には微かな光が戻ってきていた。
「ごめん、男の子のことだから、明確なことは言えない。それに絶対十流君のことを部屋から出すって約束も出来ない。それでもいいなら、待っていてくれる?」
私が全部言い切る前に、身体に強い衝撃が走った。驚いて菜月の方を見ると、電車の中だというのに私に抱き着いている。
その顔は見えないけれど、菜月の身体は小刻みに震えていた。
「……奏、お願い」
「うん、もちろん。まかせて」
私はその言葉をわざと声にした。
決意が揺らがないように、菜月の幸せを願う気持ちを、忘れないように。




