21 鳳凰暦2020年8月16日 日曜日夕刻 国立ヨモツ大学附属高等学校会議室
「失礼します」
「失礼しま……おかっ……」
「ママっ⁉ パパもっ⁉」
ドアを開けて中へと入った私――下北啼胤の後ろから、高千穂さんの叫び声を打ち消すように伊勢さんがさらに大きく叫んでいた。
学校の会議室の中には、校長先生や1年生の学年主任の佐原先生、生徒指導の岩崎先生の他にもたくさんの大人がいたのだ。
そこにはなぜか釘崎先輩も加わっている。
……伊勢さんは、パパママ呼びなのね。
私は現実逃避をするように、そんなことを考えた。
本当は、ここへ鈴木くんの指示でやってきたことと、この場に伊勢さんの保護者がいるという作為的な何かについて考えるべきなのかもしれないというのに。
間違いなく……何か、が起きている。
ちらりと見れば鈴木くんがにやりと笑っている。だとするとこれは……鈴木くんによるサプライズなのだろう。
……私の家からは誰も来ていないようなのだけれど?
ひょっとしたら1年生で何か問題があったのかもしれない。保護者が呼び出されているなんて……と、そうではない。
鈴木くんのサプライズ? 学校の呼び出しとは違うということかしら?
それでいて、私だけが……?
高千穂さん、伊勢さん、酒田さん、宮島さん、矢崎さん、そして那智さんと端島さんも、驚きながら親がいるところまで近づいていった。
岡山さんだけは驚いていないようで、誰かに手を振ってはいるのだけれど、鈴木くんの近くを離れる気配はない。
「お母さん、どうして? 五十鈴のところはお父さんも来てるみたいだし……?」
「あら、聞いてないの? 保護者の同意書だけだと難しい契約があるから直接平坂まで来てほしいって連絡があったのよ。交通費はあちら持ちで。お父さんは仕事が忙しくて無理だったの」
「あちら持ち……? 契約? 何それ、お母さん?」
……契約? 同意書だけでは難しい、契約?
私も高千穂さんと同じように首をかしげる。
「いろいろと話したいこともあるかと思いますが、あとから時間は取れますので、まずはお名前がある席に座ってもらえますか?」
並みいる先生方を差し置いて、全体へと向けてそう言ったのは釘崎先輩だった。
……この場は釘崎先輩が用意したということ?
つまりクラン『走る除け者たちの熱狂』が関係している契約……あ。
私は鈍い。今、心の底からそう実感した。
鈴木くんが進めていたあの話……私が鈴木くんに囚われた、あの攻略情報の取引……。
……ああ。私だけ親が呼ばれていない理由がよく分かった。
みんなは名前が書かれた紙のある座席を見つけては座っていく。
私はどうすればいいのだろうか、と思っていると釘崎先輩が私の方を見つめながら、一番後ろにある端の座席を指し示した。
前に座る端島さんのところには机の上に書類が用意されているのだけれど、私の座ったところには何もない。
それはそうだ。私はこの攻略情報を盗もうとした者という立場になっている。私にはこの契約で利益を得る権利はない。それどころか……。
……ここで聞かされる金額が、私が背負うべき罪ということになるのね。
契約のために保護者を呼ぶということは、鈴木くんはこの攻略情報の取引で高千穂さんたちにも利益を配分するのだろう。
そして、その利益の大きさに高千穂さんたちはますます鈴木くんから離れられなくなっていく。
私とは逆の動きである。
私の場合は鈴木くんによって背負わされた罪の重さで、鈴木くんから離れることができない。
……だからといって、不満はない。実際、ダンジョンアタックに関するところでは私も十分に恩恵は受けている。それは換金額が証明しているのだから間違いない。
「それでは説明させて下さい。私はみなさんのお子様が見習いアタッカーとして所属しているクラン『走る除け者たちの熱狂』でクランマスターをしている釘崎ひかりと申します。本来ならば名刺を手渡しした上でおひとりずつご挨拶するべきところではありますが、机上の名刺でどうかお許しください」
釘崎先輩が前に立って説明を始めた。
釘崎先輩と向き合うように座っているのは私たちで、先生方は私たちの右手側、釘崎先輩の左手側で私たちの方を向いて座っている。その中に知らない顔があった。
……あれが大学の方だろうか? 契約の話だとするとこの場に高校の先生方だけではおかしいだろうし、間違いないはずである。
「細かいことについては契約書に記載されています。守秘義務があるので誰にも話さないという気持ちを忘れずにお願いします。今回の取引ではお子様方にご協力を頂いたので、その金額を分配することになっています。この説明だとクランへの収入がないかのように聞こえるかもしれませんが、お子様への分配のうち40%はクランへと入りますのでその点は気にしないで下さい」
そう。高千穂さんたちの見習いアタッカー契約は、一般的な90%のクラン吸い上げではなく、40%なのである。残り60%が高千穂さんたちの手元に残る。
「今回の契約は総額で……」
ドクン、と心臓が大きく音を響かせる。
「……9億円です……」
9億円の攻略情報。それが私の罪の重さであり、そして、鈴木くんが私を陥れた金額でもある。
「……ひとりあたり1億円のうち、40%分となる4000万円はクランへ。残りの6000万円がそれぞれに支払われることになります。一度全額が支払われてから40%分がクランに吸い上げられる形にはなりますが……。ただし、一括ではなく10月1日から卒業までの30カ月で1500万円、つまり毎月50万円の支払いが行われます。残額の8500万円については毎年9月1日に500万円ずつ17年間の支払いとなります。例外として、クラン『走る除け者たちの熱狂』を脱退する場合は残金の支払いを停止し、全てがクランへと支払われます。また、脱退ではなくアタッカーを引退した場合もそこは同じですので、その点にはご注意願います。それではそちらにございます契約書についてですが……」
釘崎先輩の声が遠くに聞こえる気がしている。
あまりにも大きな金額に私の心が理解を拒んでいるのかもしれない。
私の家に……下北家に泣きついたらどうにかなる金額かもしれない。だからといって私にそうするつもりはない。
……私にだってプライドというものはあったのだ。
2つ年上で同じ学校の先輩であり、また生徒会長も務めている。まだまだ狭い世界の頂点でしかないし、それは小さなプライドかもしれない。それでも、プライドには違いない。
だから家には頼りたくないし、鈴木くんにもあまり頼りたくない。それに、鈴木くんに唯々諾々と従うのは少し違うと……そう考えている甘さがあった。
あの時は億を超えるような金額はありえないと思っていたというのもあるだろう。
……でも、この金額を突きつけられたら理解せざるを得ない。
私と鈴木くんではあまりにも……格が違う。
未だに足踏みしたままの神殿ダンジョン攻略もそうだ。私のプライドが邪魔している。
高千穂さんや伊勢さんからは、鈴木くんに相談してみるべきだと遠回しに言われていた。
あの子たちは先輩である私に遠慮しているのだから、本心だと……鈴木くんに頼ろうとしない私のことをどう思っていたのか。
そこに気づいてしまった今は怖くて考えたくない。
……くだらないプライドは捨てるべきなのだろう。それが正解なのだと私の心が叫んでいる気がする。
大学との間で9億円の取引を成立させるような高校生が私よりも格上であることは何の不思議もない。結果だけを見つめたらそう理解できる。
そうはっきりと認識してみれば、今までの自分がとてつもなく恥ずかしい存在のように思えてくる。
……もっと素直に……鈴木くんに頼っていくこと。
私にとって、それは世界が裏返しになるかのような瞬間だった。
私はぼんやりとしたまま、その場で釘崎先輩の説明を聞き流し続けたのだった。




