僕は、ビビりじゃない
あるはずのない死体。あってはならない死体。
さっきまで確実に僕の前を歩き、この山まで僕を案内していた美月の死体だ。
つい胃の中のものを出しそうになる体の応答とは別に頭は冴えている。この死体、顔と腕からだいぶ水分が抜けているし、多分ひと月ぐらい経過してる。足が見るも無残な方向に曲がっているし、死因は多分滝の上からの転落死だろう。だが、なんだこの違和感。この死体はどこもかしこもおかしい。
【どぷん】
沢の中に黒い影が伸び、なにかが出てくる。熊か⁉
死体に気を取られて周囲への注意がおろそかだった。
逃げようにも足がもう動かない。それに熊って確か車と並走するぐらい早いんだよな。それに僕の足じゃ疲労してなくても赤子でも狩れる。あー、人生の最後が熊に負けるんだったら武闘家みたいでかっこいいかもな……。今生にも悔いは特にない。
嘘だ。めっちゃ嘘。いやだ死にたくない。やりたいことも悔いもないけど、どうしようもなく死にたくない。ダメって聞いた気がするけどここは秘伝の死んだふりで何とか許してくだせぇ。
「何してんの? 幸太郎。」
ひっくり返されたカブトムシのように地べたに転がっている僕の目には、水浴びを終え、僕に軽蔑の目を向ける少女の姿が映っていた。
「はぁ~熊ねえ。こんなにかわいい美少女の僕を熊と間違えるなんて、その目には何なら映るわけ?」
なんだ、美月か……。てっきり死んだもんだと思ってたよ。というか死んではいるのか。そしたら、僕の横で体育座りを続けるこの死体はいったい誰なんだ。
「誰って。藤原美月でしょ。ポケットのところに名札が入ってる。あそこ見て。僕は、あの崖の上から飛び降りたんだ。最後は自分の好きな場所でと思ってね。」
飛び降り……。自殺か。あどけなく自らの死因を語る美月の姿はその外見からはかけ離れた哀愁を放っている。
ポケットを漁るとハサミと財布、あと確かに首から下げるような名札が入っている。
『八雲山環境保護管理主任 藤原美月』
なんとも僕の思う美月のイメージとはそぐわない堅苦しい名札だった。というかこいつ働いてたのか。外見上はまだ義務教育を受けてそうに見えるほどだけど、案外年は僕と近いのかもしれない。
「死体も見つかったし、約束忘れてないだろうね。あと、死体運ぶの手伝ってもらうから。」
あ。疲労と衝撃で約束だとか今日の目的のことなんて忘れてしまっていた。というか死体運びか、そりゃそうだよな、こんなところに死体なんておいておいたら数日持つかどうかって感じだ。それにしても、この死体を下まで下すのか。なんも持ってなくてもこんなに疲れたこの山を。
「いや、もう少し言ったところに小屋があるから死体はそこでいいよ。それと幸太郎。っさっき死体をずいぶん見ていたようだけど何かあったの?」
「小屋? 死体なんておいて行っていいのかよ。」
それに死体を見てたのは、なんか違和感がぬぐえなかったんだよなあ。どうも変なところが多いっていうか。
「違和感?何か見えたりした?」
見えるって何が?
ここには僕と美月と死体しかないわけだが。
「そう。ならいい。」
僕とは違って疲れた様子を一切見せなかった美月は、この時初めて気の落ちた表情を見せた。




