第7話『裏社会最強のおっさん元魔術師、若い女の子たちと出会う』
芝生の青く爽やかな匂いが漂う広大な中庭のベンチで、カズイチは青空を見上げてタバコに火を点けた。瑞々しい草の香りが香ばしい紫煙の匂いに上書きされる。
カズイチがタバコを吸いながら周りを見ると、受験者がそこかしこに居た。談笑する者、一人で緊張している者、自己採点の結果が悪かったのか中庭の片隅で絶望している者など様々である。
アルティシア魔術学園の筆記試験は試験終了後、即座に採点され、受験生五百人の半分がここで落とされる。筆記試験の合格者は、次の実技試験に進み、最後が面接試験だ。
カズイチの場合、学科は満点で間違いない。得意分野の問題が面白いぐらい出てきた。
実技がどのような形式か分からないが、これも問題ない。
ギルドマスターとして十七年のキャリアを誇る魔術師にとって学生向けの実技試験なんてあくびが出るほど簡単だ。
難関は、面接試験である。魔術師資格はく奪の事実は重い。いくらアルティシア女王が口添えしても学園の理事たちから入学反対の声が上がる可能性はある。
そうなったらおしまいだ。
最悪の事態を想像してしまい、胸の中で小さな不安感がちりちり燻ぶる。
誰かと話したい気分だが、周りの受験生はカズイチより十歳以上若い。
さすがに話が合わないし、相手の方も困るだろう。カズイチは、ため息交じりの紫煙を吐いた。
「前の学校は、俺が歳下で話し合わなかったけど、今回は俺が歳上で話が合わねぇ……」
カズイチは、王立魔術学校を歴代最年少の十二歳で卒業して、魔術師資格を得た。
これは実力よりもリュウゼツ・ゴウの策略とユナイティア政府の打算が大きかった。
リュウゼツ・マイの悲劇を繰り返さないために作られた黒の魔力だが、短期間で後天的な魔力を獲得出来る性質は、様々な分野で悪用も可能だ。
平和利用のため、学会で大々的に黒の魔力の完成を発表したゴウだったが、結果的には悪用しようとする者を大勢呼び寄せることとなる。
そこでゴウは、黒の魔力習得の要である特殊魔術陣の術式に高度な暗号化を施した。
ユナイティア王立魔術学校がカズイチを特別待遇で入学させたのは、ゴウに嘆願されたからだけでなく、暗号化された黒の魔力取得用の魔術陣を解析するためだった。
しかしゴウは、彼等の企みを読んでいた。魔術陣の構築を解き明かすヒントを与えるふりをしながらカズイチに史上最年少で魔術師資格を与えるよう政府に取引を持ちかけた。
政府は、取引を受け入れ、ゴウから暗号の解除方法を受け取る代わりに、王立魔術学校に働きかけてカズイチに魔術師資格を与えた。
でもゴウが政府に与えた暗号の解除方法は、数百ある暗号の内の一ヶ所の解き方だけだった。
当然政府は反発したが、ゴウは大金で有力議員を数名抱き込んで、追及を躱すことに成功する。
ここまでの無茶をゴウがしたのは、彼が自身の死期を悟っていたからだ。
黒の魔力を開発する過程で自らが実験体となった結果、大量の他者の魔力を吸収することとなり、寿命を大幅に縮めたのである。だから自分が死ぬ前にカズイチに魔術師資格を取らせ、ギルドマスターとして独り立ち出来る筋道を作ってくれた。
そこまでしてくれた師匠の想いをカズイチは台無しにした。なんとしても魔術師資格を手に入れてギルドを再興させる。
決意を新たにタバコの煙を吸い込んだ瞬間――。
「ちょっとあんた!!」
背後から女の怒声が轟いた。落雷に匹敵する音圧に驚き、煙が変な所に入る。
「ゲホ!! ゴホッ! な、なんだぁ!?」
涙目になったカズイチがベンチを飛び上がるように立って振り返ると、若い女が起こった顔をして腕を組んでいる。とんでもない美人だ。
血のように真っ赤な長髪と翠玉のようにきらめく瞳に彩られた容貌は、薔薇のようである。けれど少女特有のあどけなさがほんのり残っていた。成人したばかりだろう。
服装は、赤いローブと軍服に似た白い上着だ。黒いYシャツの襟には、赤いネクタイを巻いている。膝上丈の白いプリーツスカートからすらりと伸びる脚に黒いタイツとブーツを履いていた。
学園の教員らしい赤髪の美人は、カズイチのタバコをビシッと指さした。
「あんた受験生でしょ。タバコって何考えてんの? しかもここは喫煙所じゃないッ」
「す、すんません! 俺、未成年じゃないんすよ!」
「そんなの見れば分かるわよ」
「……や、やっぱそうすか。おっさんにしか見えないっすか」
自分がおっさんに両足突っ込んでいるのは、承知している。
しかし面と向かってはっきり言われると、ちょっとへこんでしまうのだ。
おっさん特有のセンチメンタルに浸ったカズイチは、曖昧な笑顔でため息をつく。
けれど、赤髪の美人の追撃は終わらない。
「年齢の問題じゃないわっ。これから我が校の生徒になろうとかという人間が試験中に喫煙!? 何を考えているの! すぐに消しなさいッ!!」
「分っかりましたぁ!!」
吸い始めたばかりでもったいないが、ここで学校関係者に逆らうメリットは皆無だ。
金属製の携帯灰皿を上着の内ポケットから取り出し、タバコを放り込む。
タバコを消したのを確認すると、赤髪の美人は満足そうに微笑んだ。
「素直でよろしい。けど、そもそも受験生の立場でタバコを吸おうっていう発想が――」
『筆記試験の結果が出ました。受験生の皆様はスマホでご確認ください。合格者は、三十分後に行われる実技試験の会場に移動してください』
赤髪の美人の声をかき消すように、学園全体に校内放送の女性の声が響いた。
説教が中断された赤髪の美人の頬がうっすら膨らんでいるように見える。
これ幸いとカズイチは、スマホをスラックスのポケットから出して結果の確認を始める。
スマホこと人造精霊通信機器は、人造精霊間で行われる精霊思念通信網を利用した機器だ。
離れた相手との通話やメール、様々な情報のやり取りを行える現代人の必需品である。
けれどカズイチは、スマホというものが苦手だった。
構造は、金属とガラスで出来た掌サイズのケースに用途に合わせた人造精霊――アプリットを入れただけの単純な物だ。
アプリットの姿は多種多様だが、基本的に動物をデフォルメしたような見た目である。
ケースの中に居るアプリットをガラスのパネル越しに突くと動く仕組みなのが――。
「検索精霊をつんつん……おい、大将。検索してぇんだ。動いてくれや」
子狐の姿をしたブラウザは全く反応を示さない。カズイチのスマホに居るアプリットたちは、揃いも揃って反応が悪かった。
アプリットのような人造精霊は、他者に意識を憑依させる赤の魔力の研究の結果生まれたもので魔力を凝縮してある程度の思考能力を持った疑似生命体を作り出す技術である。
画期的な発明だが、各人造精霊の出来には、当たり外れがある。カズイチの場合、スマホに居る全てのアプリットが外れというレアケースだ。
しかし疑似的とは言え、アプリットも生命体だ。彼等を処分して新しいものを入れる気分には、どうしてもなれない。
「なぁ頼むぜ、大将。今日ぐらいはスパッと行ってくんねぇかな?」
カズイチが何度ブラウザアプリットを突いても反応してくれない。
途方に暮れていると、サクサクと芝生を踏む小気味いい足音が近づいてくる。
「おにーさん」
赤髪の美人とは、違う女の声がした。はつらつとした耳心地の良い声である。
「反応の悪い子は、素早くダブルタップしてくれると言うこと聞いてくれるよ」
白く細い指が視界に割り込んできた。スマホのブラウザを素早く二回突くと無反応だったブラウザが起動し、検索画面が開く。
カズイチがスマホの画面から視線を上げると、一人の少女と目が合う。人懐っこそうな笑みを浮かべる美しい少女だ。髪はオレンジ色のボブカットで、瞳の色は翡翠色である。
服装は、紺色の開襟シャツと膝上丈のフレアスカートだ。シャツもスカートもシンプルなデザインだが、質が良いのが一目で分かる。相応の値打ちものだ。
「私は、クリス・エルトール。あなたはリリーちゃんの知り合い?」
クリスと名乗った少女は、夏空のように爽やかな笑みで赤髪の美人を見やる。
リリーと呼ばれた赤髪の美人は、眉間にしわを寄せて不快感を露わにした。
「変な冗談はやめなさいッ。なんであたしがこんな不審者と!」
「あはは! 冗談だってば。それでお兄さんの名前は?」
三十手前のおっさんをお兄さんと呼んでくれるとは、おじさん心の分かるいい娘だ。
同時に見ず知らずのおっさん相手にこのフレンドリーさは、裏があるのではと疑う。
裏社会では、面識のない若くて美しい女が急接近してきたら最大級の警戒をすべきだ。
下手に鼻の下を伸ばしてホイホイついていくと、翌日死体となって見つかるか、弱みを握られて一生搾取される。
警戒心は抱きつつも、表面的には愛想よく笑ってみせた。
「俺は、サエヤマ・カズイチってもんだ。スマホありがとな。えーと結果は……合格だ」
「やったね! じゃあ私たち三人とも合格だ!」
三人とは、一体誰のことだ?
近くに居るのは、カズイチとクリスとリリーだが、教員であるリリーは合格者に含まれないだろう。
疑問を抱いたカズイチの心を読んだかのように、クリスがニコリと笑んだ。
「あなたの後ろにいる子」
クリスに指を指されて振り返ると、頭頂部に獣の耳が生えた小柄な少女が居た。
背後を取られたのに、微塵も気配を感じなかった。
今までにない経験に背中から冷たい汗がぶわりと噴き出した。
「うおっ!? びっくりしたぁ!! な、なんなんだこの娘は……」
「この子は、エル。私の大親友なんだ」
クリスは、エルに駆け寄ると嬉々として抱き着いた。
エルは、人形のように整った容姿をしており、人形のように表情が乏しい。
瞳の色は、水色。瞳孔は、ネコ科の獣と同じような縦長の形をしている。銀色のやや癖のある髪は、腰まで伸びていた。
服装は、白いシャツと黒いロングスカートだ。クリスと同様にシンプルだが、質の良い品物である。ロングスカートの後ろ側には穴が開いており、そこからふさふさとした銀色の尻尾が出ていた。
獣の耳と尻尾。獣のような瞳。エルは純粋な獣人のようである。
人間と獣人の間に生まれた半獣人であれば、人間の耳と獣の耳の合計四つの耳を持つ。
カズイチが孤児院に居た頃の妹分であるシャロルという少女は、半獣人だった。
カズイチを兄さんと呼んで懐いて、どこへ行くにも後ろをついてきたものだ。
かつての妹分に思いを馳せているとエルが握手を求めてきた。
「よろしく」
「俺は、サエヤマ・カズイチだ。よろしくな」
握手に応じたカズイチは、ぎょっとする。
見た目は女の子らしい手だが、掌はタコだらけでごつごつした感触だ。相当杖を使い込まないと、こういう手にはならない。
カズイチが唸っていると、ふわふわの耳をぴょこりと動かしながらエルが首を傾げた。
「どうかした?」
「……ああ、悪い。相当修行している手だなってよ」
もしかしたら高名な魔術師の弟子かもしれない。握手を終えたカズイチがエルの頭からつま先まで舐めるように見ると、両手を広げたリリーが割り込んできた。
「じろじろ見るな変態」
「ちげぇよ!? エルは、気配断つのがうめぇなってだけっすよ」
「うん。存在感がないってよく言われる」
存在感ってレベルじゃねぇけどな、と心の中で突っ込みながら愛想笑いを維持する。
「まぁこれからよろしくな。同級生になりそうだし」
「おっ? もう合格したつもり? 中々の自信家ですなぁ」
クリスがニマニマとしている。けれどカズイチの言葉は、無根拠ではない。
「クリスもエルも歳の割にかなり使えるみてぇだからな。実技も余裕でクリア出来るぜ」
カズイチが笑顔で親指を立てると、リリーが小馬鹿にした様子で鼻を鳴らした。
「この子たちは、そうかもしれないけど、あんたはどうかしらね?」
「俺もそれなりの使い手っすよ。ていうかクリスたちと先生、知り合いなんすね」
にんまりと頬を済めたクリスが親猫に甘える子猫のようにリリーの腕に抱き着いた。
「うんっ! リリーちゃんに、ここへ入学するための家庭教師をお願いしてたの」
リリーは、抱き着いてきたクリスを微笑ましげに見つめている。まるで仲良し姉妹だ。
「実は、私とエルさ。半年ぐらい前、炎帝っていうギルドの人に襲われたんだよ」
「何ッ!? 炎帝だと!?」
予想外の名前の登場に驚かされたが、これはチャンスだ。
炎帝の正体が掴めていない現状では、どんな小さな情報であっても欲しい。
「なぁクリス、あんたらはどうして炎帝に狙われたんだ」
クリスは、リリーの腕から離れると、顎に手を当てて顔をしかめた。
「分かんない。エルがどうしても行きたいっていうカフェに行く時、いきなり襲われて」
「じゃあ炎帝ってどうして分かった? どんなやつだ。男か女か、背格好は?」
クリスは「んー?」と言って、頬に人差し指を当てて首をひねった。
「向こうから名乗ってきたんだよね。自分は炎帝だって。ちなみに体格の良さげな男の人だったよ。黒いローブとマスクをしてて顔は分かんなかったな」
正体不明のギルドの人間が自分から名乗った。一体何の理由があるのか。それにクリスとエルを狙った理由なんだろう。まだパズルの完成図は見えないが、重要なピースだ。
カズイチは、仕入れた情報を頭に刻み付けて、破顔した。
「貴重な情報ありがとな。それで危ないところにリリー先生が来たってわけか」
「そうそう。リリーちゃんが通りがかって私たちを助けてくれたの。その時のリリーちゃん、まだ学生だったけどすっごく強かったんだ! で、それが縁で家庭教師を頼んだの」
クリスの興奮気味な称賛に、リリーがはにかみながら微笑む。満更でもなさそうだ。
「あたしも教師になるいい練習になったわ。二人とも自慢の生徒よ」
「やった! 褒められた!! よかったねエル」
「うん」
「……おい、獣人だぜ」
どこからか聞こえてきた少年の小さな声が和やかな雰囲気に亀裂を生じさせた。
「本当だ……」
「最近よくある特別枠だな」
「あいつのせいで人間の合格枠が一つ減っちまったのかよ。最悪だぜ」
聞いているだけで吐き気を催す言葉がそこかしこで上がり始める。
むっとしたクリスは、慌ててエルにふわふわの耳を両手で塞ぎ、受験生たちを睨みつけた。けれど蔑視と侮蔑が込められた声の雨が止むことはない。
「獣人の知能じゃ筆記試験で落ちてんじゃない?」
「連れのやつが合格したって言ったぞ」
「獣人用に簡単な問題が出たんじゃないか」
獣人は、猿から進化した人間と違って魔獣が進化して人間の形になった種族だ。現在では人間同様に人権が認められているが、三十年ほど前まで人型魔獣として扱われていた。
魔獣として駆除対象とされた歴史から数は少なく、世界人口に占める獣人の割合は一パーセントに満たない。そして少数派故、多数派に差別される悪循環が未だ続いている。
カズイチが居た孤児院に居た半獣人のシャロルも孤児院では人間として対等に扱われたが、外に出れば悪意の嵐に晒された。
それでもシャロルは、懸命に努力を重ね、今はアルティシア女王の元で働いているという。けれど、未だに彼女を差別する者が居ると噂で聞くことがある。
人間と少し姿が違うだけで何故悪辣な行いを強いられねばならない。
カズイチの心の中で、マグマのような憤怒の感情が滾っていく。ごちゃごちゃと抜かす連中に怒声を浴びせようとした直前、リリーが大きく息を吸った。
「うるさい!!」
リリーの一声で中庭は、時が止まったような静寂に包まれる。中庭に居る全員をぐるりと見回してから、リリーは険しい表情で腕を組んだ。
「あたし今回の実技と面接の試験官だけど、ごちゃごちゃ言った連中の顔覚えたわよ」
リリーが一睨みすると周囲の生徒たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
去り行く生徒たちの背中を見やるリリーは、うんざりした様子でため息をつく。
「しょうもない連中ね。じゃあクリス、エル、実技試験の会場で待ってるわ」
リリーは、クリスとエルに微笑みかける。人間でも獣人でも分け隔てなく接し、身体を張って生徒を守る――理想の教師だ。
「今の最高だぜ。あんたいいやつだな。惚れちまったぜ」
「……はぁ!?」
カズイチが素直な感想を口にすると、リリーの面輪が真っ赤になった。
しまった。どうやら違う意味で取られたらしい。今のは、こちらの言い方も悪かった。
カズイチは、ボサボサの髪を掻きながら苦笑した。
「惚れたってのはあんたの心意気にだよ。女としてどうこうじゃねぇ」
「なッ!? 紛らわしい言い方するじゃないわよ!! 馬鹿ッ! 馬鹿!!!」
捨て台詞を吐いたリリーは、真っ赤な顔のまま去ってしまった。
紛らわしい言い方をした自覚はあるが、さすがにあそこまでの過剰反応は想定外だ。
「お姫様みてぇに初心だな。ありゃあ、相当な箱入りだぜ」
独り言を呟くと、ニヤニヤとしたクリスがカズイチの肩を叩いた。
「カズさん、あんまりリリーちゃんをいじめたらだめだよ。次の実技試験リリーちゃんが担当みたいだからやり返されちゃうかもよ?」
「そりゃ、おっかねぇな。んじゃ、俺らもボチボチ移動するか?」
「そうだね。えっと実技試験の会場は……エル先生どこですか!?」
「こっち」
クリスがビシッと手を上げると、エルはふかふかのしっぽを振って歩き出す。
カズイチは、二人の後を追った。




