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第22話『おっさん元魔術師と女王陛下』

 カズイチは、頭に触れる温かさを奇妙に思った。さっきまで不快な熱が全身を蝕んでいたはずなのに、どうしてこんなに心地よいのだ。


 それにいい匂いがする。何が起きているのだろうか。瞼を開けると、椅子に座った美しい女性がこちらを見下ろしてカズイチの頭を撫でてくれていた。


 金色の髪に緑色の瞳、青いドレスを纏った姿は女神のようだ。死んで天国に来たのか。


 天国の割には、コンクリートがむき出しの天井と壁と床であり、随分殺風景だ。


 カズイチが寝ているベッドは薄汚れているし、寝心地も最悪だ。今までの行いを考えると地獄に来たと考えるほうが無難であろうが、そうすると美しい女神が不釣り合いだ。


 そもそもこの女神は、誰だろう。初めて会う気がしない。どうしてこんなに懐かしい?


「カズイチ」


 女神が名前を呼んでくれた、とても心が安らぐ声だ。でも初めて聞いた気がしない。


 一体彼女は、誰なのだろう。記憶の糸を辿ると――。


「……女王陛下!?」


 間違いない。ユナイティア王国の女王アルティシア・ユナイティアだ。

 カズイチがベッドから飛び起きると、アルティシア女王は安堵の息を漏らして微笑んだ。


「カズイチ! よかったです……」


 アルティシア女王は、カ目尻に涙を浮かべた笑顔でズイチの右手を握りしめた。


 なんでアルティシア女王がこんな汚れた場所に居る?


 そもそも、ここはどこなのだ?


 頭の整理がつかない内に、錆びた扉を開けてメイド服を着た女性が部屋に入ってきた。


「あっ!? カズイチ兄さん!!」


 部屋に入ってくるなりメイドが抱きついてきた。ふわふわのピンク色の髪。獣の耳と人間の耳の合計四つの耳。孤児院で妹分だった半獣人のシャロルだ。


 地獄に居るわけではないようだが、ここがどこなのか一層困惑させられた。


 カズイチの疑問に答えるかのように、今度は男が部屋に入ってくる。


「アニキ! 目が覚めたんすね!!」


 オールバックの髪型にサングラス。上下黒のスーツに派手な柄シャツ。


 カズイチと同じ孤児院に居た弟分のコウジである。


「コウジか。じゃあここはブラックドッグのアジトか。にしても俺はどうして……」

「ボロボロで貧民街に転がってたんですよ。このアジトの近くで」


 エルの一撃でアルティシア魔術学園から貧民街まで吹き飛ばされたのだろう。


 凄まじい威力の炎だった。しかし消し炭になっていてもおかしくなかったはずなのにこうして生きている。


 服も所々焦げているし、至る所に火傷を負って包帯で治療されているが火傷そのものが軽度だ。致命傷とは言い難い。


 止められるものなら止めてみろという言葉と合わせて考えると、そういうことらしい。


 カズイチは、悔しさに舌を打った。


「エルの野郎……手加減しやがったな」

「エルですか……」


 アルティシア女王がカズイチの呟きに反応した。


「たしかリリーが担任をしているクラスの生徒ですね」


 こうしてアルティシア女王が目の前に居る。彼女から色々と事情が聞けそうだ。


 辛い話にも触れることになるだろうが、今は時間がない。


「陛下……お話があります」

「ええ。あなたは、全てに気付いているんでしょう? 私の身に何があったのか」


 カズイチが首肯すると、アルティシア女王はカズイチの手を放して、青いドレスのスカートの裾を両手でぎゅっと握った。


「リリーの父親であるグリートは、私を……襲いました。私に好意を持っていたわけではない。脅しの材料にするためだけにです」


 当時の恐怖が蘇ったのか、アルティシア女王の身体が震え始めた。それでも強い意志の宿る緑色の瞳の光が曇ることはない。


「私が妊娠したのも彼の策略です。魔術薬を使って確実に妊娠するようにした。周囲の者は、すぐ堕胎するように言ってきましたが、私には出来なかった……」


 アルティシア女王は、ドレスの上からお腹をそっと撫でて固く瞼を閉じる。


 グリートは、アルティシア女王の性格を把握した上で、妊娠させた。生涯に亘ってアルティシア女王を脅迫する道具として、自分と女王の子供を使うためだけに。


 悪辣非道な行いに、カズイチのはらわたが溶岩で炙られたように煮立つ。もしも生きていたらカズイチの手で恐怖をたっぷり味わわせて殺してやりたかった。


 殺意に支配されて拳を握ると、アルティシア女王がカズイチの拳にそっと手を置いた。


 悲しまないで。怒らないで。そんな女王の思いが手を通して伝ってくる。


「国王陛下も私のわがままを許してくださいました。けれど手元に置くことは……だからせめて見守れる孤児院に。そして最終的には学園に……あの男が死んだのは幸運でした」

「陛下。グリートは、いったい誰が?」


 アルティシア女王は、頭を横に振った。


「私たちも知らないのです。私も国王陛下も指示はしていません。近衛隊長のクライヴも慎重を期してあの男に手を出すことはしなかった。下手をすれば情報が漏らされてしまうかもしれないし、そもそもあの男、かなりの手練れです。クライヴをして簡単に討伐出来る魔術師ではありません。諸々を考慮すると彼の言いなりになるしかなかったのです」


 グリートを殺したのは、一体誰なのか。世間では二年ほど前から炎帝の仕業であると囁かれている。そもそも何故そんな噂が流れたのか。どうして炎帝が犯人とされたのか。


 炎帝と直接対峙した時、炎帝にグリート殺害の事実を問うた時、彼は沈黙した。


 そして直後に自爆した。何故彼は自爆した――情報をカズイチに漏らさないためだ。あの場には、エルが居た。情報を漏らそうとすればエルが炎帝を殺していた可能性が高い。


 炎帝には、あの時点でエルに殺されるか自決するか以外の選択肢はなかったのだ。


 さらに、エルこそが二年前からギルド炎帝のギルドマスターであり、下部組織のギルド・スカーレットも影響下にあった。


 グリート殺害の犯人が炎帝であるとする噂が流れた時期とエルがギルドマスターになった時期は一致する。偶然じゃない。


 エルがこの噂の流した真意は、恐らく真犯人を庇うため。真犯人に追及の手が伸びないように誤情報を自ら広めた。


 エルの「クリスが悪魔を殺した」という発言も加味した時、導き出される結論は――。


「多分……グリートを殺したのは、クリスですね」

「リリーが担任をしているクラスの生徒ですよね? でも、どういうことですか」

「エルは、自分が悪魔に襲われていたところをクリスに助けてもらったと言っていました。悪魔を殺したと。その悪魔ってのがグリートだったんでしょう」


 クリスは、自分を悪人だと言っていた。


 何故クリスが自分を悪人だと思うのか。その理由にも見当がつく。


「クリスは、グリートの娘かもしれない。手練れでも家族相手には油断していた。だからクライヴでも迂闊に手を出せない使い手があっさりと殺された。屋敷に火が放たれたのは、エルがクリスの殺人の証拠を隠滅し、自分たちも死んだことにして罪を逃れるため」


 カズイチの推理を聞いたアルティシア女王は、驚愕した様子で口元を両手で押さえる。


「ではカズイチ。あなたは、まさかリリーとクリスが……」

「ええ。クリスは、リリーの異母姉妹です」


 二人は、同じ悪魔を父親に持つ。そう考えるしかない。


 真実を知ったアルティシア女王は、今にも泣き出してしまいそうな表情をしている。


「実の父親を手にかけるなんて、どれほどの心痛だったか……」

「そうですね……けど分からねぇのは、なんでグリートがエルを襲ったかです。野郎はクズだが、利益のならねぇことはしねぇ……じゃないっすか?」

「ええ……実は奇妙に思っていることがあるんです。あの男は、私の秘密を守る代わりに取引を持ちかけましたが、それが学園の設立と自分が学園長になることでした。妙なのは、それ以上を求めることがなかったことです」

「学園を作らせて以降は、何も要求をしなかったってことっすか?」

「ええ。私には、それが不思議……いいえ、不気味でした。あの男は、明確な目的をもって学園を作った。けれど、その目的が一体何なのか、私たちには分かりませんでした」

「でも下手に探れば秘密の暴露もありうるってわけか……」


 そもそも分からないのは、何故エルがクリスやグリートと一緒に暮らしていたかだ。


 エルは、純粋な獣人だ。シャロルのような半獣人なら獣耳と人間の耳の四つの耳を持つ。獣の耳しか持たないエルがグリートと獣人の母親の間に生まれた子供の線はない。


 グリートの性格を考えると、メリットもなしに血縁関係でもないエルを自分の傍には置かない。どこで二人の接点が生まれた。何故グリートは、エルを――。


「そうか! エルは獣人だ。あれだけの魔術の才能があれば獣人でも仕事には困らない」


 カズイチがシャロルを見ると、彼女は桃色の獣耳をピクリと動かして自らを指差す。彼女も半獣人でありながら魔術の才能に恵まれ、アルティシア女王の傍に仕えている。


「魔術師になるのは、獣人にとって一発逆転のチャンス。エルは、アルティシア魔術学園の試験を受けたんじゃ……でもあいつは、初等部や中等部に在籍してねぇ。試験に落ちた? あれだけの才能を持つ魔術師がありえねぇ。獣人が差別されてるからってあの才能は、逃さねぇ。ましてあの学校は、孤児や獣人でも差別することなく受け入れる場所でしたね」

「ええ。学園の創設理念は、出自を問わず幅広い子供たちを受け入れることです」

「もしかして、そいつもグリートが考えたんですか?」

「ええ。私が言いそうなことだと。それにあの男は……意外ですが理念の通りに学園を運営していました」


 これもグリートに利益があるからそのような運営をしたと考えるのが無難だ。幅広く子供を受け入れるメリット。魔術学園という場所から推察すると、ある答えが浮かんだ。


「恐らく幅広く受け入れることで自分の目当ての才能を持つ子供を探してたんじゃないですかね。で、エルはお眼鏡に叶った。でも学園には入れねぇで、自分で抱え込んだ」

「何のためにですか?」

「そのあたりの事情は、エルが知ってるかもしれませんね……俺が確かめてきます」


 カズイチがベッドから降りようとすると、アルティシア女王が今にも泣き叫びそうな悲痛な顔でカズイチの両肩を掴んできた。


「その身体で無茶です! 死にに行くつもりですか!?」

「陛下。俺にとっては恩返しの機会なんです。俺みたいなやつに、こんなこと言われても迷惑でしょうけど……でも俺は、あなたのことを母親のように思っています」


 相変わらずアルティシア女王は優しい人で、その優しさに甘えたくなってしまう。


 だけどそれは許されない。


 カズイチは、もう守ってもらう子供じゃない。彼女に受けた恩を返す時だ。


 実の両親を知らないカズイチだったが、寂しくはなかった。


 ゴウという父親とアルティシアという母親が居た。


 二人は、いつもカズイチの心の中に居て支えてくれる。


 それなのにカズイチは、ゴウに恩を返せなかった。ギルドを守れなかった。約束を守れなかった。せめて母のように思う人には恩を返したい。


「俺は、師匠のギルドを守れませんでした。せめてあなたの願いぐらいは叶えたいんです。ここが俺の命の使いどころです」

「ふざけたことを言わないでください!! あなたが私を母と思ってくれているように、私もあなたを息子のように思っています!! 息子が命を懸けることを喜ぶ母がどこに居るのですか!?」


 分かっている。アルティシア女王は、優しいからきっと望まない。


 それでもカズイチは、このために生きてきた。このために力を付けた。


 女王の娘を救えるのなら、ここが命を懸ける時だ。


 カズイチは、アルティシア女王の手をそっと払いのけ、ベッドから降りて椅子に座る彼女の前に跪いた。


「陛下。あとは俺に任せてください。必ずリリーをここへ連れてきます」

「待ちなさいカズイチ! 私は、あなたが行くことを許していません!!」


 呼び止める声を振り切ってカズイチがアジトのビルを出ると、茜色の光が差す薄汚れた路地に二人の男が待ち構えていた。


 エリックと近衛隊の制服を着た獅子のような男――クライヴ・アーガストだ。

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