EP 5
『第三局、勝負師の覚醒』
十月下旬の千駄ヶ谷は、秋の深まりとともに木々の葉を鮮やかな黄金色へと染め上げていた。
鳩森八幡宮の境内から吹き抜ける風は肌寒く、落ち葉がカサカサとアスファルトの上を舞っていく。
日本将棋会館の前には、朝の冷気をつんざくようにして、無数のカメラと記者が詰めかけていた。
プロ棋士編入試験五番勝負・第三局。
第一局で宮坂四段を七十八手で粉砕した圧倒的な快勝から一転、第二局では蓮沼四段の仕掛けた奇怪な力戦に呑まれ、焦りから自滅を喫した加藤清麿。
試験成績は、一勝一敗の五分。
ネットの将棋ニュースでは、たった一局の黒星を境に、手のひらを返したような厳しい論調が渦巻いていた。
『加藤アマ、第二局で痛恨の黒星! 研究を外された途端の脆さを露呈』
『プロの意地がアマの進撃を阻むか。五番勝負は振り出しへ』
専門掲示板の実況スレッドでも、悲観的な声が飛び交っている。
『やっぱりプロの壁は厚いな。蓮沼の泥沼に完全にハメられてた』
『今日の第三局を取った方がプロ入りに王手(マジック1)だぞ』
『ここで負けて一勝二敗になったら、精神的に追い詰められて一気に終わる』
外野の喧騒は、容赦なく冷酷だった。
だが――木造アパートの六畳間で朝を迎えた清麿の心は、かつてないほど静かに澄み渡っていた。
あの日、涙を流しながら過去の挫折を告白した和令と、互いの弱さをさらけ出し合い、朝まで盤を挟み続けた夜。
自分たちは二人とも、一度は人生に絶望した負け犬だった。
だからこそ、もう失うものなど何もない。
未来の答えにすがるのではない。生身の自分が盤の上に立ち、自分の頭で考え、自分の意志で一手を指し切るのだ。
「……ちょっと。何を朝から窓の外の雀を眺めて、詩人の気取りをしてんのよ、雑魚先祖」
台所の方から、湯気を立てる皿をちゃぶ台にドンと置きながら、聞き慣れた甲高い声が飛んできた。
銀と藍色のライダースーツの袖をまくり、千代の花柄エプロンをきゅっと腰に巻いた和令が、仁王立ちでジト目を突き刺してくる。
「詩人じゃない。……天気がいいなと思ってただけだよ」
「天気が良くたって、あんたの頭脳が曇天なら一瞬で落雷直撃よ! ほら、朝ごはん!」
ちゃぶ台の中央に滑り込んできたのは、こんがりと美しい焼き色のついた、ふっくらと分厚い「だし巻き玉子」だった
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