EP 4
狂気と天才の再戦
竜将戦一次予選・第2回戦。
加藤清麿 四段 VS 星野光 四段。
その対局は、単なる若手同士の予選という枠を完全に超え、異例中の異例となる「特別対局室でのABEMA完全生中継」が組まれていた。
『さあ、やってまいりました! 事実上の頂上決戦と呼んでも過言ではないでしょう!』
配信スタジオで、解説のプロ棋士が興奮気味に声を張り上げる。
同時接続者数は、対局開始前にもかかわらずすでに10万人を突破していた。
『編入試験で加藤四段に土をつけた唯一の男、直感のバケモノ・星野四段! 対するは、プロデビュー戦でベテランを相手に戦慄の「玉の丸裸」を見せつけ惨殺した、盤上のサイコパス・加藤四段! 果たして、最後に立っているのはどちらの怪物か!?』
コメント欄も、お祭り騒ぎのように弾け飛んでいる。
【加藤のリベンジくるか!?】
【いや、星野の才能にはサイコパス戦法も通じないだろ】
【あの加藤の狂った手を、星野がどう捌くのか楽しみすぎる】
日本中が、二人の怪物がどのような「人間離れした将棋」を見せてくれるのかと、固唾を呑んで見守っていた。
◇
しかし、その熱狂の中心にいる清麿の内部は、静かに、しかし確実に崩壊の音を立てていた。
「……心拍数、75。呼吸数、正常値より少し多い。ダメね、まだ『人間』の波長が残ってる」
将棋会館の控室。
和令がホログラムのバイタルデータを見ながら、忌々しそうに舌打ちをした。
清麿は長椅子に深く腰掛け、目を閉じていた。
膝の上で組まれた両手は、かすかに震えている。
何度システムを最適化しようとしても、脳裏に千代の泣き顔がフラッシュバックし、感情というノイズが演算領域を侵食してくるのだ。
「……清麿。千代ちゃんから、連絡は?」
「……ない」
清麿は目を開けず、低く答えた。
あの日、寿司屋を飛び出していってから、千代とは一度も言葉を交わしていない。LINEを送っても、既読すらつかなかった。
「……バカね。こんな中途半端な状態で星野と戦えば、一瞬で食い殺されるわよ。あのバケモノは、相手の迷いを匂いで嗅ぎ取るんだから」
「……問題ない」
清麿はゆっくりと立ち上がり、乱れたネクタイを締め直した。
「対局が始まれば、強制的に感情のスイッチを切る。私はただ、盤面を『未来の基本図』に合流させるだけの出力装置になる。それだけだ」
「……」
「行くぞ」
和令の制止を振り切るように、清麿は控室を出た。
◇
特別対局室。
清麿が足を踏み入れると、すでに上座には星野が座っていた。
手にはお馴染みのスポーツドリンク。ニコニコと人懐っこい笑顔は、数ヶ月前の編入試験の時と全く変わっていない。
「加藤さん! また指せるなんて、すっごく嬉しいです!」
星野が無邪気に声をかけてくる。
清麿は無表情のまま下座に座り、深く一礼した。
「……」
「あれ? 加藤さん、今日はあんまり元気ないですね。それに……」
星野は、小首を傾げて清麿の顔をまじまじと見つめた。
「なんか、前より『つまんない顔』になっちゃいましたね」
「……」
「この前の武田先生との将棋、僕も見ましたよ! すごく変な手ばっかりで面白かったけど……でも、加藤さん自身は全然楽しそうじゃなかった」
星野の純粋な言葉が、清麿の胸の奥にある『バグ』を鋭く抉る。
(……黙れ)
清麿は心の中で念じた。
(感情を殺せ。ノイズを消去しろ。私は機械だ。狂気の自殺手を指すための、盤上のサイコパスだ)
「時間です。両対局者、礼」
「お願いします!」
「……お願いします」
対局が始まった。
先手は清麿。
バグを抱えた脳を無理やりフル回転させ、清麿は初手から異様な手を指した。
前回の武田戦で見せたような、セオリーを完全に無視した、陣形を自ら崩壊させる狂気への『誘導』。
『おおっと! 加藤四段、初手からまたしても独自の、いや、異様すぎる陣形を構築し始めました! 自ら王将の守りを放棄しています!』
解説が叫び、コメント欄が【出た! サイコパス戦法!】【星野相手にも自爆手でいくのか!?】と沸き立つ。
(……来い、星野)
清麿はガラス玉のような瞳で盤面を見つめる。
どんな天才的な直感を持っていようと、この常軌を逸した「自殺手」の意図は読めないはずだ。
理解不能な局面に引きずり込み、星野の思考をバグらせて、未来のチャートへ接続する。
だが。
「あははっ! なにこれ、すっごく変な形!」
星野は、全く怯えることなく、むしろ目をキラキラと輝かせた。
「でも、武田先生の時と『同じ』じゃつまんないですよね。……じゃあ、僕はこうしよっと!」
パチン!
星野が、一切の考慮時間なく指した一手。
それを見た瞬間。
清麿の脳内で、けたたましいエラー音が鳴り響いた。
【警告:該当ルート消滅】
【未来チャートへの接続、物理的に不可能】
「……なっ!?」
清麿の仮面のような無表情が、初めて崩れた。
星野が指したのは、清麿の狂った誘導(自殺手)を咎める手でも、安全に逃げる手でもなかった。
清麿の狂気を、さらに上回る狂気。
お互いの王将が一切の守りを持たず、たった一手間違えれば即座に首が飛ぶ、狂気と狂気がぶつかり合う『完全なカオス(遊び場)』へと、盤面を書き換えてしまったのだ。
「さあ、加藤さん!」
星野が、底知れぬ才能の深淵を覗かせる笑顔で言った。
「もっと、めちゃくちゃにして遊びましょうよ!」
天才の進化。
それは、サイコパスの狂気すらも「オモチャ」として取り込む、絶対的な理不尽の証明だった。




