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【未来の将棋は暗記ゲーでした〜AIすら凌駕する300年後の『完全定跡』を丸暗記した元奨励会員、現代のプロ棋士を無双する〜】  作者: 月神世一


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EP 13

感情の切除アップデート

「……人間を、やめる」

薄暗い1LDKの部屋。

和令に打たれた左頬はまだ赤く腫れていたが、清麿の目からすでに涙は枯れ果てていた。

床に散らばった将棋の駒を見つめるその瞳は、ひどく冷たく、ガラス玉のように濁っている。

「そう。泥仕合で相手を引っ掻き回して、自分の土俵に引きずり込む……そんなのは『人間としての意地』が残っている証拠よ」

和令は冷酷な教官のように、腕を組んで清麿を見下ろした。

「星野みたいな『本物の天才』は、その人間の意地や感情の揺らぎを匂いで嗅ぎ取って、そこから喰い破ってくる。だから、匂いそのものを消すの。プライドも、恐怖も、将棋を楽しむ心も、全部切除アップデートしなさい」

「……どうすればいい」

「ただの出力装置デバイスになりなさい。相手を憎むな。勝とうと焦るな。盤面だけを網膜に焼き付けて、未来の結論を脳から指先へ物理的に伝達するだけの、冷血な機械マシーンに」

それからの特訓は、将棋の技術を磨くものではなかった。

『自我の殺害』――それだけを目的とした、異常な精神適応訓練。

和令のAIと対局中、清麿が少しでも「迷い」の表情を浮かべれば、即座に盤面がリセットされた。

「泥沼で粘ろう」という人間の生存本能が働いた手を指せば、和令からの容赦ない罵倒が飛んだ。

呼吸を薄くする。

瞬きの回数を極限まで減らす。

相手の手に対する「驚き」や「焦り」といった感情のノイズを、脳内で一つ一つ、外科手術のように切り落としていく。

三日三晩。一睡もせずに盤に向かい続けた清麿の顔から、ついに一切の「生気」が消え失せた。

「……7三桂」

パチリ、と。

一切の淀みなく、ただ最適解だけを弾き出す。その所作には、かつての清麿が持っていた泥臭さも、チートを手に入れたことによる傲慢さもなかった。

そこにあるのは、絶対零度の虚無だけ。

「……セットアップ完了よし

和令が端末を閉じ、薄く笑った。

「見事な爬虫類の目になったわね。……さあ、行ってきなさい。鬼の棲家へ」

          ◇

プロ編入試験、第3局。

東京・将棋会館の特別対局室には、前局の星野戦での大敗北を受け、「加藤のメッキが剥がれた」と書き立てる記者たちが、どこか冷ややかな視線を送っていた。

「よォ、加藤。久しぶりだな」

上座で待ち構えていたのは、第3局の試験官・狩谷かりや四段。

清麿と同じ時期に奨励会に在籍し、清麿が年齢制限で退会する一年前に、ギリギリでプロ入りを果たした因縁の男だった。

「聞いたぜ。この前の対局、15歳のガキに手も足も出ずにボコボコにされたんだってな? 控え室で見てて笑っちまったよ。お前のあの、泥水すするような見苦しい将棋が、天才に鼻歌交じりで粉砕されるところをさ」

狩谷は扇子で膝を叩きながら、下劣な笑みを浮かべた。

奨励会時代から、他人の弱みを執拗に突いて精神を削る盤外戦術を得意としていた男だ。今回も、清麿のトラウマを抉って自滅を誘う腹づもりだろう。

「ネットの連中は『加藤は本物だ』なんて持ち上げてたが、俺は最初から分かってたぜ。お前はただの凡人だ。マグレでここまで来ただけの、哀れな負け犬さ」

狩谷の言葉が、対局室に響く。

記者たちも息を呑み、清麿の反応を窺った。前局のショックを引きずっていれば、この挑発で完全に心が折れるはずだ。

だが。

「…………」

下座に座る清麿は、一言も発さなかった。

怒りで顔を歪めるわけでもなく、屈辱に震えるわけでもない。

ただ、静かに。

深海のような、光の一切届かない漆黒の瞳で、盤面だけを見下ろしていた。

「……おい、聞いてんのかよ?」

狩谷が怪訝な顔をして身を乗り出した、その瞬間。

ゾクリ、と。

狩谷の背筋を、巨大な氷柱を突き立てられたような悪寒が貫いた。

(な、なんだ……?)

狩谷は思わず息を呑んだ。

目の前に座っている男の「存在感」が、あまりにも異常だったのだ。

呼吸の音が聞こえない。肩の上下がない。まばたきすらしていない。

まるで、人間によく似た精巧なマネキンが、自分と向かい合っているかのような錯覚。

「……時間です。両対局者、礼」

記録係の声に、狩谷はビクッと肩を震わせた。

慌てて一礼し、「お願いします」と声を出すが、清麿からの返事は酷く無機質な、合成音声のような「……お願いします」というつぶやきだけだった。

(……気持ち悪りぃ野郎だ。だが、将棋はメンタルゲームだ。ビビったら負けだ!)

狩谷は気を取り直し、初手を指した。

勢いよく駒を打ち付け、盤上に甲高い音を響かせる。威嚇だ。

しかし、清麿の表情の筋肉は1ミリも動かなかった。

パチリ。

清麿の手が伸びる。

それは、かつての「相手を泥沼に引きずり込もうとする」ような、意図や感情の籠もった手ではなかった。

ただ淡々と、盤面という空間に配置された『最適解の座標』に、物理的な物体を移動させただけ。

「……チッ」

狩谷が次の一手を指す。

清麿が、ノータイムで返す。

狩谷が、定跡を外して揺さぶりをかける。

清麿は、微動だにせず、ノータイムで最適解を返す。

(なんだ……こいつ……?)

十数手が進行した頃、狩谷の額から滝のような冷や汗が流れ始めていた。

怖い。

何が怖いのか分からないが、ただただ、本能が警鐘を鳴らして叫んでいる。

『目の前にいるのは、人間ではない』と。

清麿の指し手には、一切の『人間らしい体温』がなかった。

相手を騙そうとする罠もない。泥臭い粘りもない。

ただ、狩谷の思考の先回りをして、すべての希望を無慈悲に、機械的に、無呼吸のまま摘み取っていく。

「っ……あ……!」

狩谷の手が震え始めた。

駒を持つ指が滑る。呼吸が乱れる。

盤面を見るたびに、見えない巨大なギロチンの刃が、自分の首に向かって1ミリずつ、確実に、そして音もなく降臨してくるような恐怖。

これが、人間を捨てた男の姿。

未来という名の悪魔に魂を売り渡し、自らを完全な『出力装置』へと作り変えた、盤上の鬼。

狩谷の顔は恐怖に歪み、完全に血の気を失っていた。

対局室は、清麿の放つ絶対零度のオーラによって、完全に凍りついていた。

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