EP 10
無邪気な死神
プロ編入試験、第2局。
対局室に現れた星野四段は、清麿の想像以上に「子供」だった。
「加藤さん、はじめまして! 今日はよろしくお願いします!」
まだ声変わりも完全に終わっていないような、甲高い声。
手にはスポーツドリンクのペットボトルを持ち、制服姿のままちょこんと座布団に座る姿は、どこにでもいる中学生にしか見えない。
だが、その胸には確かに、プロ棋士の証である段位のピンバッジが光っていた。
「……ああ。よろしく」
清麿は低く答えながら、内心で舌打ちをした。
奨励会時代、清麿の心をへし折ってきたのは、いつだってこういう連中だった。
将棋を「人生を懸けた死闘」ではなく、「楽しいゲーム」としか思っていない、無邪気な才能のバケモノたち。
(……だが、今の俺は昔の俺じゃない)
清麿は扇子を強く握りしめた。
俺には、泥水をすすって身につけた『誘導』の技術と、未来の『答え』がある。才能なんて不確かなもの、300年分のデータで圧殺してやる。
「お願いします」
両者の挨拶が交わされ、対局が始まった。
先手は星野。
軽快な手つきで、飛車先の歩を突く。
清麿はすかさず、前局と同じように定跡を外す手を指した。
序盤から陣形を歪め、相手を未知の泥沼へと引きずり込む『誘導』の開始だ。
「……えっ?」
星野の手が止まった。
清麿の不格好な陣形を見て、目をパチクリと瞬かせている。
(……どうした? 困惑してるか?)
清麿は内心でほくそ笑んだ。
前局の川端四段も、桐生五段も、この異常な陣形を前にして警戒し、長考に沈んだ。定跡という『地図』を持たない若手は、未知の森に放り込まれると途端に足が止まるものだ。
だが。
「あははっ! なにそれ、すっごい変な形!」
星野は、まるで新しいオモチャを見つけた子供のように、パッと顔を輝かせたのだ。
「そんなの、将棋の本に全然載ってないよ! 加藤さん、すっごく面白い将棋指すんだね!」
「……は?」
星野はノータイムで駒を掴み、盤上にパチンと叩きつけた。
それは、自陣の守りを完全に放棄し、清麿の歪な陣形の「最も薄い部分」へ一直線に斬り込んでくる、野生動物のような強襲だった。
「なっ……!?」
清麿は息を呑んだ。
セオリー無視。定跡無視。
ただ純粋に「ここを攻めれば相手が嫌がる」という急所を、嗅覚だけで正確に撃ち抜いてきたのだ。
(落ち着け……! 荒れた展開なら、俺の土俵だ!)
清麿は慌てて受けに回り、泥仕合の中で罠を張り巡らせようとする。
飛車を囮にし、角のラインを隠し、盤面を複雑に、複雑に絡み合わせていく。
相手の思考をショートさせ、強引に『未来チャート第18番』へと繋げるための、執念の誘導。
だが。
「うーん……そっか、そこは罠だね。じゃあ、こっちから行っちゃえ!」
星野は、清麿が命を削って編み上げた複雑怪奇な罠を、まるで水たまりを飛び越えるように、軽々と、無邪気に飛び越えてきた。
「……嘘、だろ」
清麿の背筋を、氷のような悪寒が駆け抜けた。




