EP 4
炎上と、最強の刺客からの招待状
ブブブッ、ブブブブブッ、ブブブブブブブブブッ!!
ちゃぶ台に放り出された清麿のスマートフォンが、狂ったようなバイブレーションを上げ続けていた。
画面には、SNSの通知が滝のように流れ落ちていく。
【元奨励会の加藤清麿って奴、プロになれなかった腹いせにツール使って荒らしてたのかよ】
【アマ名人戦で優勝したのも、スマホ持ち込んでカンニングしてたに決まってる】
【天童先生の配信荒らして満足か? 将棋界の面汚しめ】
【さっさと死ねよ、ゴミツール使い】
トレンドワードには『#加藤清麿』『#将棋ウォリアーズBAN』『#ツール使い特定』の文字が並び、2ちゃんねるの将棋板には、清麿の経歴、過去の対局記録、さらにはこのボロアパートの住所までもが、特定班によって晒し上げられようとしていた。
「……あ、あ……」
清麿は部屋の隅にうずくまり、頭を抱えた。
フラッシュバックする。
26歳で奨励会をクビになった日。スーパーの面接で鼻で笑われた日。
社会から「お前は価値がない」と突きつけられた、あの絶望の記憶が、数万人の悪意となって束になり、清麿を滅多打ちにしていた。
『ピロン』
無数の罵倒の中に混じって、一件のLINE通知が光った。
妹の、千代からだった。
『お兄ちゃん、大丈夫? ネットで変な噂になってるよ。私はお兄ちゃんがズルする人じゃないって信じてるけど……もし辛かったら、いつでも連絡してね』
「……っ!!」
清麿の目から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。
千代にだけは、心配をかけたくなかった。
アマチュア大会で優勝して、やっと真っ当な兄になれたと思ったのに。結局、自分はまた妹に「将棋のせいで」惨めな思いをさせている。
(……もう、やめよう)
清麿は震える手を伸ばし、スマホの電源を切ろうとした。
これ以上、将棋に関われば、千代の人生まで炎上に巻き込んでしまう。
やっぱり俺には、未来を変える資格なんて――
パシィィィンッ!!!
「痛っ!?」
乾いた音が部屋に響いた。
和令が、清麿の頬を全力でビンタしていた。
「な、何すんだよ……!」
「電源を切るな!! 逃げるな、この負け犬!!」
和令は清麿の胸ぐらを力任せに掴み上げ、怒りで顔を真っ赤にしていた。
「あんた、自分が何に絶望してるか分かってんの!? チート呼ばわりされたこと!? 違うわよね、また世間から『才能がない』『ズルをしてる』って後ろ指を指されたことに怯えてるんでしょ!」
「……っ! そうだよ! 俺はツールなんて使ってない! なのに、誰も信じてくれないじゃないか! 運営にBANされて、顔も名前も晒されて……どうやって証明するんだよ!」
清麿が泣き叫ぶと、和令はさらに強い力で胸ぐらを締め上げた。
「証明するのよ! 盤上で!!」
和令の瞳には、一切の妥協も、同情もなかった。
「いい? ネットの連中が馬鹿にしてる『チート』はね……300年後の棋士たちが、血と汗と涙を流して、少しずつ少しずつ積み上げてきた『将棋の真理』なのよ! AIが勝手に作ったんじゃない、人間の執念の結晶なの!!」
和令の声が、アパートの部屋を震わせた。
「それを『安っぽいツール』扱いされて、私は腹の底から煮えくり返ってんのよ! あんたは私の未来の誇りを背負ってんの! ここで逃げるなら、私がこの手であんたを殺してやるわ!!」
その迫力に、清麿は息を呑んだ。
和令の言う通りだ。
あの美しい「赤いライン(ビクトリー・ロード)」は、インチキなどではない。将棋というゲームの、究極の到達点だ。
それを汚されたまま、逃げていいはずがない。
「……でも、どうやって」
清麿が呟いたその時。
再びスマホが震え、一つの『ニュース速報』の通知が画面にポップアップした。
【速報:若手最強の呼び声高い・桐生五段、ツール騒動の『Nanashi_30(加藤氏)』へ異例の公開対局を要求】
「……なんだ、これ」
清麿は慌てて画面をタップし、そのニュース記事と、それに紐づくX(旧Twitter)のポストを開いた。
そこに映っていたのは、切れ長の鋭い目つきをした、見覚えのある天才棋士の姿だった。
桐生五段。プロデビューから圧倒的な勝率を誇り、序盤の深い研究から「定跡の死神」と恐れられる男。
彼の公式アカウントには、こう書かれていた。
『元奨励会三段、加藤清麿さんへ。
ネットでの騒動を拝見しました。私は、将棋という神聖な盤上で不正が行われることを、決して許しません。
しかし、ネットの憶測だけであなたを社会的に抹殺するのも本意ではありません。
提案です。
私のYouTube公式チャンネルにて、私と【公開生対局】をしませんか。
場所は日本将棋連盟の特別対局室。
入室前に厳重な金属探知機検査を行い、通信機器は一切持ち込み不可。カメラ数台で死角なく監視する、完全なオフライン環境です。
そこで私に勝てば、あなたの実力は本物だと証明されるでしょう。
逃げるのであれば、「黒」と見なします。
返答を待っています』
そのポストには、すでに数万件の「いいね」とリポストがついており、ネット民は【桐生先生キター!】【公開処刑の舞台が整った!】【加藤、逃げんなよ!】と異常な熱狂を見せていた。
「……桐生五段」
清麿は、その画面を見つめた。
完全オフライン。金属探知機。通信機器持ち込み不可。
それはつまり、和令の端末(未来チャート)を対局室に持ち込めないということを意味していた。
「……おい和令。これ、お前のサポートなしでやれってことだぞ」
清麿はゴクリと唾を飲み込んだ。
プロのトップ層相手に、カンニングペーパー無しで戦う。
ただでさえ序盤で叩き潰される相手に、自力の『誘導』だけで、自分の脳のHDDに焼き付いた未来の記憶まで辿り着かなければならない。
「ビビってんの?」
和令が、挑発するように口角を上げた。
「通信がなくても、あんたの頭の中にはもう、あの地獄の特訓で叩き込んだ『チャートの入り口』と『終盤の答え』が入ってる。あとは、自力でそこまで盤面を歪めるだけよ」
清麿は、自分の手を見た。
震えは、止まっていた。
逃げ場はない。だが、証明する舞台は、これ以上ないほど巨大で、完璧だ。
「……俺は、負け犬のまま死ぬのはごめんだ」
清麿はスマホを手に取り、桐生五段のアカウントへ向けて、たった一言だけリプライを打ち込んだ。
『受けて立つ。日時と場所を指定しろ』
その返信が送信された瞬間。
ネットの熱狂は爆発し、日本中の将棋ファンが注視する【世紀の公開処刑】の幕が切って落とされた。




