EP 3
『はいどうもー! 天童チャンネルの天童です! さてさて、今日の将棋ウォリアーズ生配信なんですが……おや?』
モニターの向こう側。
ゲーミングチェアに深く腰掛けた茶髪の青年、天童が、大げさに驚いたような声を上げた。
元奨励会初段という経歴と、軽快なトークで人気を集める将棋系YouTuberだ。現在、同時接続視聴者は3万人を超えている。
『リスナーのみんな、画面見て。マッチングした相手……名前が「Nanashi_30」。で、戦績が150勝0敗。勝率100%の八段だってさ』
天童の言葉に、配信のコメント欄が猛烈な勢いで滝のように流れ始めた。
【でたwww 噂のバグアカウント】
【さっきスレで話題になってた奴じゃん!】
【絶対ツール(ソフト指し)だろこれ】
【天童先生、公開処刑したれ!!!】
天童はニヤリと笑い、前髪をかき上げた。
『あー……なるほどね。今話題になってるツール使いのキッズか。いいよ、俺がプロの厳しさってやつを教えてやろう。ツールが読めない力戦に持ち込んで、ボコボコにしてやるから見ててね』
自信満々の宣言に、コメント欄がさらに沸き立つ。
しかし、スマホの小さな画面越しにその配信を眺めていた清麿の瞳は、どこまでも冷ややかだった。
「……プロの厳しさ、ねぇ」
清麿は寝転がっていた体を起こし、あぐらをかいた。
「どうするの? 相手は元初段。しかもツール対策で、定跡を外してくる気満々みたいよ?」
和令が意地悪く笑う。
「関係ない」
清麿は画面の『対局開始』をタップした。
「俺が3段リーグで血反吐を吐きながら相手にしてきた天才どもに比べたら……初段の力戦なんて、児戯にも等しい」
パチリ。
天童が初手を指した。
宣言通り、セオリーを完全に無視したトリッキーな端歩突き。現代のAI将棋ソフトが最も苦手とする、評価値がブレやすい泥沼の展開への誘いだ。
『さあNanashi君、どう来る? ソフトがフリーズしちゃうかな〜?』
天童が配信で煽る。
だが、清麿の指先は一切の躊躇なく動いた。
相手が定跡を外すなら、こちらはさらにその上を行く泥臭さで応じるのみ。
飛車を強引に振り、玉の守りを放棄してでも、盤面全体を「特定の形」へと歪めていく。
『……ん? なんだこの手。おいおい、マジでツールか? いや、ツールだとしたら弱すぎるだろ。ただの素人じゃん』
天童が鼻で笑う。
コメント欄も【Nanashiよっわw】【ただのイキリ素人じゃん】【連勝記録は過疎時間の初心者狩りか】と嘲笑の嵐に変わった。
だが、清麿の口角は微かに上がっていた。
(……そうだ。俺を舐めろ。俺の手を『悪手』だと錯覚して、もっと踏み込んでこい)
清麿が自陣に隙を作るたび、天童は喜々としてそこに駒を打ち込んでくる。
しかし、それは全て清麿が意図して開けた「水路」だった。
天童の駒は、清麿の誘導通りに、ある一点に向かって吸い込まれていく。
そして、42手目。
天童が「これで優勢だ」と確信して角を打ち込んだ瞬間。
盤面が、カチリと鳴った。
清麿の脳内で、今まで沈黙していた未来のAIが、爆発的な光を放って起動した。
「……ご苦労さん」
清麿が低く呟いた。
「誘導、完了だ」
赤いライン(ビクトリー・ロード)が、脳裏に鮮明に描き出される。
ここからは、もう人間の領域ではない。
『さあて、ここから一気に攻め潰し……えっ?』
天童の声が裏返った。
彼が角を打った直後。文字通り「0.0秒」のノータイムで、清麿の手が返ってきたからだ。
「6五玉」
それは、自分の王将を、敵陣のど真ん中、最も危険な地帯へと単騎で突撃させるという、狂気の一手だった。
『は……? 王様が、前に出た……?』
天童が絶句する。
コメント欄も一瞬、完全に停止した。
【え?】
【指し間違い?】
【クリックミスだろwww】
【終わったwww 天童の勝ちwww】
『いやいやいや! さすがにこれは無いっしょ! タダで王様取れるじゃん! はい、いただきまーす!』
天童が歓喜の声を上げ、金将で清麿の玉に襲いかかろうとした、その時。
【待て!!! 天童、それ罠だ!!!】
【俺のPCで回してる最新ソフトの『水無月』の評価値がおかしい!!】
【Nanashiの勝率が、いきなり99.9%に振り切れたぞ!!!】
コメント欄の有志によるAI解析の報告が、画面を埋め尽くした。
『……は? 何言ってんの? 罠なわけ……』
天童が手元のサブモニターで最新の将棋ソフトを起動し、盤面を読み込ませる。
数秒前まで「天童勝率80%」を示していたゲージが。
清麿の『6五玉』を読み込んだ瞬間、エラーを吐き出すかのように激しく明滅し、一気に「Nanashi_30勝率99.9%(必至)」へと裏返った。
『な……うそ、だろ……?』
天童の顔から、一気に血の気が引いた。
改めて盤面を見る。
清麿の玉は、確かに敵陣に孤立している。だが、それを取ろうとすると……自陣の守りが完全に崩壊し、即座に17手詰みのデスルートに突入することに、彼は初めて気づいた。
「……王将をエサにした、完全なる即詰みの誘導。300年後の基礎定跡よ」
和令が冷酷に呟く。
そこからの清麿は、まさに無慈悲な処刑人だった。
天童がどれだけ長考しようが、涙目でマウスを握りしめようが、清麿はすべて0.0秒で手を返し続けた。
パチリ。パチリ。パチリ。
未来の解答が、現代の元奨励会員を、3万人の観衆の前でズタズタに切り裂いていく。
『あ、ああっ……待って、嘘だろ、なんで、どこに逃げても……!』
画面の向こうで、天童がパニックを起こして頭を抱える姿が映し出される。
コメント欄はもはや、恐怖と混乱のるつぼと化していた。
【化け物だ】
【人間じゃない】
【現代のAIすら一瞬で読めなかった手を、ノータイムで……!?】
【こいつ、将棋の神か悪魔かどっちかだろ……!】
そして、68手目。
『……詰み、です……』
天童の震える声と共に、配信画面に『投了』の文字が浮かび上がった。
「ふぅ。まあ、こんなもんか」
清麿は軽く首を鳴らし、スマホを置こうとした。
その瞬間だった。
『ブツンッ』
清麿のスマホの画面が、突然真っ暗になった。
いや、違う。真っ赤な警告画面だ。
【警告:アカウントの一時凍結について】
【お客様のアカウント『Nanashi_30』は、利用規約違反(不正な外部プログラム、またはAIツールの使用)の疑いが極めて強いため、無期限の凍結措置をとらせていただきました】
「……は?」
清麿の動きが止まる。
「あーあ。やられちゃったわね」
和令が肩をすくめた。
「あんたの将棋が、現代のシステムの理解を超えちゃったのよ。『強すぎるから、絶対チートだ』って、運営のセキュリティが強制排除したってわけ」
清麿は唖然として画面を見つめた。
せっかく見つけた自分の居場所が。強さを証明できるはずだった場所が、理不尽に奪われた。
さらに、事態はそれだけでは終わらなかった。
天童の配信コメント欄、そして巨大匿名掲示板で、一つの書き込みが投下されたのだ。
【おい、Nanashi_30の序盤の手癖、どっかで見覚えがあると思ったら……】
【数日前の『アマチュア東京予選』の決勝の棋譜と、完全に一致してるぞ!】
【あの時優勝した、元奨励会三段の加藤清麿じゃねえか!?】
【うわ、マジだ。加藤清麿だ】
【プロになれなかった腹いせに、裏ツール開発してネットで暴れてたのかよ!】
【最低だな。将棋界の面汚しだ】
スマホの画面に、次々とSNSの通知が雪崩れ込んでくる。
それは全て、加藤清麿という人間に対する、むき出しの悪意と罵倒だった。
「……」
清麿は凍りついたように、その画面を見つめ続けていた。
1LDKの薄暗い部屋に、絶望の冷たい風が再び吹き込み始めていた。




