第二章 清麿炎上、そして生中継対決へ
『神の領域』への誘導
アマチュア名人戦、東京予選優勝。
賞金50万円を手にした清麿の生活は、劇的に……とは言わないまでも、少しだけ人間らしいものになっていた。
「ほら、さっさと食べなさいよ。冷めるわよ」
1LDKのアパート。万年床が片付けられたちゃぶ台の上には、スーパーの半額弁当ではなく、和令が買ってきた(というより清麿の財布から勝手に抜いて買ってきた)高級な黒毛和牛のすき焼き弁当が並んでいた。
「……お前なぁ、少しは節約しろよ。50万なんて、家賃の滞納分払ったらすぐ消えるんだぞ」
「何言ってんの。あんたはもうすぐプロになって、億を稼ぐ男よ? これくらい未来の必要経費だわ」
和令は箸で肉を器用につまみながら、ふんぞり返る。
清麿はため息をつきながらも、久しぶりのまともな肉の味を噛み締めていた。
美味い。
勝って食う飯は、こんなにも美味いのか。
「で? いつプロ編入試験受けるの?」
「そんなすぐには無理だ。規定がある。アマチュアの公式戦で、最も良い成績から数えて10勝以上、かつ勝率6割5分以上……まだ全然足りない」
清麿が言うと、和令は箸をピタリと止めた。
「……ふーん。まあ、どうせ今のあんたじゃ、プロの『本物』には勝てないしね」
「なんだと?」
カチンときて、清麿は箸を置いた。
「俺はあのアマ名人の佐伯に勝ったんだぞ。お前の未来のチャートと、俺の力が合わされば……」
「バカね。佐伯は所詮アマチュアよ」
和令は冷たく言い放ち、手首の端末を操作した。
空中に、複雑な将棋の樹形図が浮かび上がる。
「いい? 私の『未来チャート』は完璧よ。でも、それには致命的な弱点があるの」
「弱点……?」
和令は樹形図の根元の部分を指差した。
「チャートが起動するには、『特定の盤面』に持ち込む必要がある。つまり、未来のAIが解析を終えている『既知のルート』に乗らなきゃ、答えは出ない」
「……」
「プロのトップ層は、序盤・中盤の構想力がバケモノよ。あいつらは、定跡から外れた未開のジャングルに相手を引きずり込むのが仕事なの。あんたみたいに待ってるだけの受け身じゃ、チャートが起動する前に、開始30手で息の根を止められるわ」
清麿は息を呑んだ。
確かにそうだ。佐伯戦でも、泥沼に引きずり込まれた時はチャートがフリーズした。
あそこで偶然「自分の泥臭い手」が未来のルートに繋がったから良かったものの、本物のプロ相手にそんな奇跡が毎回起きるわけがない。
「じゃあ、どうすればいい」
「決まってるでしょ」
和令は悪魔のようにニヤリと笑った。
「相手がジャングルに逃げ込むなら、あんたが無理やり首根っこを掴んで、未来の『舗装された道路』まで引きずり出せばいいのよ」
「引きずり出す……?」
「そう。名付けて『誘導』よ」
和令は端末を操作し、目の前の将棋盤にホログラムの駒を並べた。
「あんたの得意な『泥仕合』の技術を全開にして、どんな奇手や新手を出されても、絶対に崩れず、相手の攻めをいなしながら……最終的に、チャートの『基本図』に合流させるの」
「口で言うのは簡単だがな……相手はプロだぞ。そう都合よく誘導に乗るかよ」
「だから、特訓するんじゃない」
和令は盤面をリセットし、初期配置に戻した。
「今から、私の端末のAI(レベル:プロ棋士相当)と戦いなさい。目的は『勝つこと』じゃない。指定した『チャート第48番の基本図』に、ぴったり50手で盤面を合わせること」
「はあ!? そんなの無理ゲーだろ! 相手の指し手もあるのに、なんで俺が盤面全体をコントロールしなきゃならないんだ!」
「できるわよ。あんたは3段まで行ったんでしょ? 相手の心理を読んで、あえて隙を見せて誘い込んだり、罠を張ったりする泥臭い技術を持ってる」
和令は冷酷に言い放った。
「『誘導』ができなきゃ、プロ試験なんて夢のまた夢。あんたは一生、ネット将棋でイキるだけの負け犬よ」
「……っ!」
「負け犬」という言葉が、清麿の心に火をつけた。
佐伯を倒し、藤堂に宣戦布告されたあの日。
もう二度と、逃げないと誓ったのだ。
「……やってやるよ。その代わり、俺がクリアしたら、お前のスイーツ代は当分抜きだ」
「いいわよ。……じゃあ、地獄のセットアップ特訓、スタート!」
◇
それから3日間。
清麿は文字通りの地獄を見た。
和令のAIは容赦なく定跡を外し、襲いかかってくる。
それを清麿は、必死に受け止め、いなし、時に自分の駒を犠牲にして、あらかじめ決められた「未来の盤面」へと誘導していく。
勝つための手ではない。盤面をコントロールするための、神をも恐れぬ綱渡り。
「違う! 今の飛車回りは誘導から外れてる! やり直し!」
「くそっ! もう一回だ!」
脳が沸騰しそうだった。
しかし、数百回、数千回と繰り返すうちに、清麿の目にある種の「流れ」が見え始めていた。
相手の呼吸、駒の動きのベクトル。
それを少しずつ、少しずつせき止め、自分の望む水路へと流し込んでいく感覚。
「……よし」
4日目の朝。
清麿が指した一手により、盤面がピタリと「チャート第48番」と完全に一致した。
和令の端末が『セットアップ完了』の緑色のランプを点灯させる。
「……はぁ、はぁ……できた、ぞ」
目の下に真っ黒な隈を作った清麿が、盤に突っ伏した。
「ふん。まあ、合格ね。少しはマシな『猟犬』になったみたいじゃない」
和令は満足げに頷くと、清麿のスマホを投げ渡した。
「さあ、実践テストよ」
「実践? どこかの道場に行くのか?」
「ううん。一番手っ取り早くて、一番強い奴らがゴロゴロしてる場所があるでしょ」
和令が指差したスマホの画面には、国内最大のネット将棋アプリのインストール画面が表示されていた。
「アカウント名は『Nanashi_30』で登録したわ。さあ、現代のネット民どもに、未来の誘導と絶望を見せてやりなさい」
清麿はスマホを受け取り、不敵な笑みを浮かべた。
ここから、ネット将棋界を震撼させる『Nanashi_30』の伝説と、そして大炎上が幕を開けることなど、この時の清麿は知る由もなかった。




