7 糾弾の黄金1
どんよりと雲が浮かんだある日。
ルーンヘルムの広場は、いつもの穏やかな空気とはまるで違っていた。
石畳の中央には一人の神官が立ち、それを囲むように街人が群がっていた。
白い法衣を纏った神官は、人々を見渡しゆっくりと口を開いた。
「この街に、“聖女を騙る魔女”が現れた」
重々しくそう言うと、神官はゆっくりと一枚の紙を掲げた。
そこに描かれていたのは――一人の若い女の似顔絵だった。
「この女、遥香は、偽薬を作り人心を惑わした魔女である」
その似顔絵を見た群衆は息を呑んだ。
「やっぱり……」
「聖女だなんて……騙しやがって!」
群衆は口々に罵る。
その声は、次第に熱を帯び、やがて憎悪へと変わっていく。
「逃げたって聞いたぞ」
「どこに逃げたんだ、あの女!」
「見つけたら、ただじゃ済まさねえ!」
誰かが吐き捨てるように言った、そのとき――
「火炙りにするべきだわ!!」
女のひときわ大きな声が、広場に響いた。
黒色の長い髪に、黒いフードを頭から被った女だった。
次の瞬間――
「そうだ……。そうだ!!」
「魔女は火炙りだ!!」
「神に逆らった罰を与えろ!!」
怒号が爆発するように広がった。
団結したその熱狂は、もはや誰にも止められない。
神官と黒髪の女はゆっくりと目を合わせると、微笑んだ。
**********
ルーンヘルムの丘の上、灰色の城の一室で遥香は机に突っ伏していた。
(……エルダさん)
ため息をつき、窓を眺める。
空に覆い被さる灰色の雲が、余計に遥香の心を曇らせていた。
「はあ」
遥香は、もう一度大きなため息をついた。
こうしている間にも、エルダはきっと酷い目に遭っているだろう。
だが、今の自分は城から出ることも叶わず、出来ることが何もない。
気持ちだけがはやり、じんわり涙が浮かんでくる。
遥香は机に額をトンと押し付けた。
ーーコンコン
ふいにドアが叩かれた。
「……はい」
遥香は顔を上げ、返事をした。
「入るぞ」
そう言い、入ってきたのはレオニスだった。
その表情は硬く、どこか張り詰めている。
「……レオニスさん? 何か……」
嫌な予感がして遥香は恐る恐る尋ねた。
レオニスは一瞬だけ言葉を探すように視線を落とし、ゆっくりと口を開いた。
「遥香……本日、お前が正式に指名手配された」
その一言は、あまりにも静かに落とされた。
「……え?」
遥香は、意味を理解できずに瞬きをする。
「これを見ろ」
レオニスは手元に握っていた一枚の紙を遥香に見せた。
「……これっ!」
遥香は目を見開く。
そこには、遥香の似顔絵が描かれていた。
そして、その下には赤色で「魔女」の文字がくっきりと書かれていた。
「これが……街中に出回り、皆血眼でお前を探し回っている」
レオニスは静かに告げた。
「……そんな」
遥香は、紙から目が離せない。
長い黒髪に、黒い瞳。そこに描かれているのは間違いなく遥香本人だった。
そして、遥香ははっとしたように顔を上げた。
「……エ、エルダさん……エルダさんはどうなるんですか!?」
レオニスは一度目を閉じてから、静かに告げた。
「分からない。教会に囚われているのは確実だが、どこにいるのかも……不明だ」
その言葉に遥香は視線を伏せた。
「私、助けるなんて言って……何もできなくて……」
遥香はグッと手を握り俯いた。その拳は震えていた。
部屋にはシーンとした沈黙が訪れた。
そんな遥香の様子を見たレオニスが、小さく息を吐いて口を開いた。
「近頃、賭博場で詐欺が横行しているとの報告が上がっている」
「……え、詐欺?」
遥香はその言葉に顔を上げた。
「ああ、黄金をつくってやると持ち掛け、法外な金額を巻き上げているらしい」
レオニスが腕を組み、窓を見つめて淡々と言う。
「黄金、ですか……」
遥香は思わず首を傾げた。
どこかで聞いたような話しだ。
「何か、思い当たる節でもあるのか?」
レオニスが目を細め、遥香を見る。
「えっ、いや……何も……っ!」
遥香は慌てて首を横に振る。確証はない。
「その金銭が……どうやら教会に流れているらしい」
レオニスはそう言うと、報告書をバサッと机に置いた。
「教会……? それって……!」
遥香は、はっとしたように顔を上げた。
レオニスは小さく頷き、言う。
「そうだ。教会の闇を暴けるかもしれない。今夜、騎士団が潜入調査をする」
「私……っ! 私も行きます!!」
遥香は椅子を蹴って立ち上がると、レオニスに言った。
「駄目だ。さっきも言ったが、お前は指名手配されている」
そう言うと、レオニスは机の上の手配書を示した。
「そうですが……でも、私っ」
遥香が縋るようにレオニスに言う。
「無理だ。騎士団に任せろ」
レオニスは静かにそう言うと、聞く耳を持たず踵を返した。
「ま、待って! わ、私っ! その人を知っているかもしれないんです!!」
遥香は叫ぶようにそう言った。
レオニスの足が、ぴたりと止まった。
*******
「俺の側から、決して離れるなよ」
仮面を付けたレオニスは遥香に声を掛けた。
「は、はい」
遥香は深くベールを被り、ズルズルと長いドレスを引きずって、なんとか歩く。
「遥香、不自然ですよ。もっと優雅に歩いて下さい」
侍従に変装したクリスが、後ろからそう耳打ちする。
「クリスさん、これ……無理がないですか?」
遥香は自信なさげにクリスに訴えた。
腹部の締め付けに、足に纏わりつくドレス。
レースで出来たベールは、遥香の視界を遮るばかりだった。
「まったく。いいですか、遥香! 今のあなたは“淑女”なんですよ」
クリスが、人差し指を立てて遥香に言い聞かせる。
「視線は下げず、歩幅は小さく、音を立てずに」
そう言うと、クリスは優雅に歩いて見せた。
遥香の口元がヒクリと引き攣る。
レオニスがその様子を横目で一瞥し、小声で言う。
「行くぞ。絶対に離れるな」
「は、はい!」
遥香は慌てて頷く。
レオニスのその背中だけが、今は頼りだった。
レオニスが扉の前に立ち、黒服の男に声を掛ける。
「ロイセル•グランディスだ」
堂々と名乗る。今日の偽名のようだ。
「グランディス……!?」
その名を聞いた男は一瞬目を見開き、探るようにレオニスを見た。
「ああ」
レオニスは涼しい顔で答えた。
「どうして、ここへ?」
男はレオニスの頭から爪先まで舐めるように見ながら、尋ねた。
「もちろん賭博をしに、だ」
レオニスは気にすることなく、前を向いたまま答えた。
男はしばらく黙っていたが、今度はレオニスから遥香に視線を移し、尋ねた。
「……こちらは?」
その視線に遥香の方がビクリと跳ねた。
「妻だ」
レオニスは、またも淡々と答えた。
その一言に、遥香の思考は停止する。
(……え?)
遅れて意味が繋がった瞬間、心臓が強く脈打った。
(つ、妻……!?)
顔にカッと熱が集まる。
芝居であることは重々承知しているが、顔が赤くなるのを止められない。遥香は少し俯いた。
男はじっとレオニスと遥香を見ていたが、ふっと笑い小さく頷くと言った。
「金さえあれば、賭博場はどなたでも歓迎しますよ。どんな事情があろうとも、ね」
男はニヤリと笑い、重い扉に手を掛けた。
「……え?」
遥香は言葉の意味を理解できず、男を見る。
だが、扉が開いた瞬間、喧騒と熱気が一気に流れ込んできた。
薄暗い室内には、テーブルが幾つか置いてあり、豪華な服に身を包んだ人々がぐるっとそれを囲んでいる。
その手には、サイコロやカードが握られていた。
「なんとか、入れたな」
耳がガンガンする程の喧騒の中、レオニスが呟いた。
「第一関門突破ですね」
クリスが明るい声で返す。
「本当に、この中に詐欺師がいるんでーー」
遥香が言いかけた時、場内に大きな声が響いた。
「レディース、エーンド、ジェントルメーン!!」
何事かとそちらに目を向ける。
賭博場の一段高くなった場所に、仮面を付けた金髪の男性が立っていた。
「アルフォンソ男爵だ……!」
「おお、今日も黄金を作るのか!?」
テーブルで賭け事をしていた紳士達が次々と立ち上がった。
「……あいつだ」
レオニスが声を顰めて、顎で示す。
「さぁさ、皆さん! 今宵も見せてしんぜよう!」
金髪の男ーーアルフォンソ男爵は、バサっとマントを揺らして懐から何かを取り出した。
「この銅の玉から、黄金を作り出す!」
「おおお〜!!!」
あちらこちらから、割れんばかりの歓声が上がる。興奮した人々は我先にと男爵の元へ向かう。
「……わっ!」
バランスを崩した一瞬で、遥香はレオニス達とはぐれていた。
(どうしよう、離れるなって言われてるのに)
遥香が周囲をキョロキョロ見渡すも、レオニスとクリスの姿は見えない。
気付けば、遥香は前列へ押し出されていた。
「ではでは、ご覧あれ! この銅の玉を、この魔法の水に浸けるとーーー」
銅の玉からは、シュワシュワと泡が出ている。
「なんとなんと! 黄金に大変身!!」
アルフォンソ男爵は手のひらの上の金色の玉を観客に見せる。
「なんと、素晴らしい!! その黄金を譲ってくれないか?」
「いや、俺が買う! 100万ディルでどうだ!?」
「私は300万ディル出すぞ!!」
観客は、黄金に手を伸ばし争っている。
「……はっ、皆さん、ご冗談でしょう? これはそんなに安い金額じゃ買えませんよ」
そう言うとアルフォンソ男爵は、もったいぶった仕草で黄金を仕舞おうとした。
「ま、待ってくれ!! 1000万ディルならどうだ!?」
一人の客が手を高く上げ、叫んだ。
「いや、これ……銅に亜鉛を反応させただけの真鍮じゃん」
遥香が小さな声でぽつりと呟くと、アルフォンソ男爵と仮面越しに目があった。
男爵の口元が、わずかに歪む。
そして、男爵はマントを翻し遥香の近くに来た。
ーーカサッ
後ろ手で、遥香に何かを渡す。
その指が、一瞬だけ遥香の手首を強く掴んだ。
「さてさて、皆さん!お次は銀ですよ!!」
アルフォンソ男爵はマントからまた別の瓶を取り出すと、観客を煽っている。
(……なに?)
遥香は手に握らされた紙をそっと開く。
(……他言無用。10分後に、裏で待つ……?)
遥香は紙から視線を上げ、アルフォンソ男爵を見る。
すると、男爵はウインクで返した。
(……多分、あの人)
遥香には思い当たる人物がいた。
(レオニスさんに、言った方がいいんだろうけど……)
遥香は考えながら、紙に書かれた"他言無用"の文字を見る。
脳裏に浮かぶのは、捕らえられたエルダの姿。
時間がない。
エルダを救うためには、ロイと教会の繋がりを突き止めないと。
もしこの機会を逃したら――
「……ごめんなさい」
(ここで動かなきゃ、エルダさんは死ぬ)
小さく呟き、遥香は踵を返した。
遥香は賭博場の裏へ向かった。
そこは、しんと静まり返り、人の気配を感じない。
居るのは、ゴミを齧っているネズミだけだ。
「……ここで、合ってる……んだよね…?」
遥香は、恐々と周囲を見渡す。
返事はない。
ただ、どこかで水滴の落ちる音だけが響いていた。
するとーー
ーーザッ
後ろから、突然視界を奪われた。
「っ――!」
もがいたその耳元で、低い声が囁いた。
「……見ぃつけた」




