1 薬師の役目1
朝の柔らかな光が、森を温かく照らす。
森の奥、小さな小屋の煙突からは細い煙が立ち上っている。
静かな、静かな朝――になる、はずだった。
「遥香ーーーー!!」
突然小屋に大声が響いた。
ーーバンッ
豪快に扉が開く。
「まだ寝てるんじゃないだろうね!?」
そう言いながら、エルダは容赦なく遥香の布団を剥ぎ取る。
「も、もうちょっと……もうちょっとだけ、エルダさん」
遥香は必死に布団を押さえるが、エルダの力には敵わない。
これは、もはや毎朝の恒例行事だった。
「ほら、朝ごはんだよ!」
遥香から布団を剥ぎ取ったエルダは、腰に手を当て、にこりと笑った。
「……はい」
遥香は渋々ベッドから起き上がる。
ただいまの時刻、朝の5時。
とんでもなく朝が早いエルダは、こうして毎日遥香を起こしてくれるのだ。
(ああ、気が済むまで寝てみたい……)
遥香は遠い目で、まだ薄暗い窓の外を見つめた。
階段を降りると、エルダが机に朝食を並べているところだった。
湯気の立つスープに、パン。いつもと同じ朝食だ。
現代生まれの遥香には質素な朝食だったが、毎朝エルダが早起きして作ってくれるそれは、何よりも温かいものだった。
「遥香、レオニスさん元気になって良かったね」
エルダは少しからかうように、ニヤニヤと笑って言った。
「もう、エルダさん、レオニスさんとは本当にそんなんじゃ……」
遥香は顔を赤くしながら、小さく抗議する。
「にしても、遥香。本当に頑張ったね」
エルダは、机に鍋を置きながらしみじみと言う。
「トリカブトを飲んで生きて帰った者は、見たことがないよ」
エルダはそう言うと、労うように優しく遥香の背を撫でた。
その手の温もりに、遥香の胸がじんわりと熱くなった。
「……エルダさんって、お母さんみたい」
ぽつりとこぼれた言葉に、
「やだねぇ、私はこんなに朝が弱い娘を持った覚えはないよ!」
エルダはガハハと笑いながら、遥香の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
ボサボサの頭で遥香は、考えた。
(最初に会ったのが、エルダさんで本当に良かった)
この世界に来てから、家族も知り合いもいなかった遥香にとって、エルダは唯一の、かけがえのない家族だった。
「ほら! モタモタしてたら、患者が来ちまうよ!」そう言うと、エルダは遥香の背中をバンッと叩いた。
「……うっ」
遥香は衝撃でスープを吹き出しそうになった。
すると扉の外から、かすかに足音と声が聞こえてきた。
「おはようございます、聖女様」
「今日も来ました」
小屋の前には、少しずつ人が集まり始めていた。神の病の患者たちだ。
「さあ、今日も開店だ!」
エルダがそう声を出し、元気よく扉を開ける。
一列に並んだ患者たちは、順番に小屋に入り抗菌薬を受け取る。
すると、一人の老女が少し不安げにぽつりと言った。
「あの、聖女様。本当にこの薬、効くんでしょうか?」
「ええ、治るまでに時間はかかりますが、効きます」遥香は笑顔で答えた。
「でも……」
老女が言いかけたが、隣に並んでいた若者が肩をすくめた。
「聖女様の言う通りにしてたら、大丈夫だ」
「そうだ、間違いない」
他の患者達も同調して頷いている。
「…………ええ、そうね」
老女は少し考えた後、小さく頷いた。
「お待たせ!」
エルダが厨房から大きな鍋を持って現れた。
「今日は寒いからね! スープでも飲んで行きな!」
そう言うと、エルダは器に豪快にスープを注いでいく。
「熱いから気をつけなよ! 火傷の薬は、うちにはないよ!」
腰に手を当てエルダがそう言うと、患者たちは思わず笑った。
豪快で優しいエルダの声は、まるで緊張を和らげる魔法のようだった。
小屋の中は、朝の光と温かい人々の笑顔で満たされていた。
遥香はふっと息をつき、エルダに向かって小さく微笑んだ。
「……やっぱり、ここは温かいですね」
エルダはにこりと笑った。
「そうかい。ここはもう、遥香の家だからね」
その言葉に、遥香は少しだけ泣きそうになった。
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教会の奥、石壁に囲まれた聖堂は重苦しい沈黙に包まれていた。
「暗殺は、失敗だ」
低く告げられた一言に、聖職者たちの顔が歪む。
「なぜ生きている……あの女は、今や民衆の“聖女”だ」
その声には、苛立ちと焦りが滲んでいた。だが誰も手を出せない。
遥香は民衆の支持を一身に集めており、下手に動けば暴動すら招きかねない。
教会の権威もまた、揺らぐ危険があった。
年嵩の聖職者が静かに口を開く。
「なんでも良い。罪を着せるのだ。“民を欺いた”“神を冒涜した”――罪はいくらでも作れるだろう」
「いや、待て。下手に手を出すな。まずは疑念を植え付け、孤立させたところで一気に叩けば良い」
「だが、このまま放置も出来んだろう!!」
怒号が聖堂に響き、蝋燭の炎が大きく揺れる。
薄暗い部屋には、怒りと焦燥が渦巻いていた。
それでも教会は、“聖女”と崇められる存在を前に、なす術はない。
ゆえに、陰で策を巡らせるしかなかった。
やがて、年嵩の聖職者が机を叩きつけて言った。
「必ず、引きずり下ろしてやる」
第4章スタートです!
よろしくお願いします!




