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火刑台の薬剤師〜いや、それ呪いじゃなくて病気です〜  作者: 大棗ナツメ
第3章

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10 聖なる者1

「これで、よくなるでしょう」

 神官はそう告げると、跪く女性の頭から、そっと手を離した。


「ああ、ありがとうございます! 神官様!」

 女性の頬を、涙が伝う。それは差し込む光を受け、きらりと輝いた。


「神官様っ! どうか、私も」

「私にも、ご慈悲を……!」

 次々と人々が押し寄せ、震える声で手を差し伸べる。


 咳き込む老人、ぐったりとした子どもを抱く母親、腹部を押さえて歩く青年。

 皆が、祈るような眼差しで神官を見つめていた。


 神官はゆっくりと手を上げ、再びその頭に触れる。

「さあ、祈るのです」

 低く響く声に、ざわめきが止んだ。


 群衆の視線が一斉に、神官の手元へと集まる。誰もが息を呑み、次の奇跡を待ち望んでいた。


 神官は満足そうに口角を上げると、人々の頭に手を置き、祈りの言葉を響かせた。



 ***


 そのころ、領主の館では――。


「咳が、良くなりましたね」

 遥香は空になった薬杯を受け取り、微笑んだ。


 椅子に腰掛けているのは、ルーンヘルムの領主・ゲオルグである。

 以前とは違い、その顔色には血色が戻り、痩せ細っていた体にも、わずかに肉がついていた。


「ああ。夜も、眠れるようになった」

 ゲオルグはそう言って、ゆっくりと頷く。

 “神の病”の治療を始めて五か月。

 ついに領主は、寝台を離れ、椅子に座れるまでに回復していた。


「遥香、お前のおかげだ」

 傍らに立つレオニスが、静かに礼を述べる。

「い、いえ。そんな……」

 遥香は首を振り、少し照れたように答えた。


「本当に、よくぞここまで」

 ゲオルグも目を細めて続ける。

「お前の作った薬と、その手腕には、感謝してもしきれぬ」

 そう言って、領主は深く頭を下げた。


「……っ、や、やめてください……!」

 遥香も慌てて頭を下げる。

 顔を上げた彼女は、ほっとしたように微笑んだ。

(まだ完全ではないけど、本当によかった)


 そのとき――窓の外から、歓声のようなざわめきが聞こえてきた。


「……外が騒がしいな」

 レオニスが窓辺へ歩み寄る。

 城の前には、街の人々が集まり、騒然としていた。


「領主様の“神の病”が治ったらしいぞ!」

「ああ、騎士団の薬師が作った薬が効いたんだと!」

「本当か!?  神官様でも治せなかったのに!」

 どうやら、領主回復の噂は、瞬く間に街へ広がったらしい。


「なんでも、その薬を飲むと体が白く光るらしいぞ!」

「いや、黄金に光るって聞いたぞ!」

 噂は尾ひれに背びれまでつけ、止まることを知らない。

(……ひ、光る!?)

 遥香は、そのあまりの誇張に目を丸くした。


「せ、聖女だ」

 誰かが、呟くように言った。

「聖女だ……!」

「聖女様だ!!」

「もう神の病など怖くない!」

 興奮は瞬く間に広がっていく。


「ち、違います!」

 遥香は後ずさりし、必死に首を振った。

「私は、本当に普通の人間で……!」

 手のひらに、じんわりと汗が滲む。


 それでも、人々の視線は彼女から離れない。

 子どもを抱く母親、体を押さえる老人、足を引きずる青年。

 皆が希望を宿した瞳で、遥香を見つめていた。


「聖女様!」

「聖女!」

 白い花を掲げ、人々が声を張り上げる。


「ちょ、ちょっと待ってください……!」

 遥香は混乱し、言葉を失った。

 しかし、熱狂の中で、その声が届くことはなかった。


「聖女様!」

「どうか、我らをお救いください!」

 歓声と花吹雪の中、遥香は小さく息を吐いた。


(ああ、私ただの病院薬剤師なのに。なんで、こんなことに……)


 窓辺でその光景を見つめていたレオニスが、低く呟く。

「……これは、まずいな」

 名もなき薬師が、知らぬ間に街の中心人物になりつつある。善意の熱狂は、ときに刃よりも鋭い。


(このままでは、彼女に危険が及ぶ)



 城の窓から見下ろす、笑顔とざわめき。

 その中心に立たされた遥香は、まだ知らなかった。


 ――善意が、人を裁く刃へと変わる瞬間を。

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