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火刑台の薬剤師〜いや、それ呪いじゃなくて病気です〜  作者: 大棗ナツメ
第3章

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9 祈りの薬9

 「……嘘」



 遥香は、目の前の人物を見つめたまま言葉を失った。


「ギルバート、さん……?」


 いつも明るく、騎士たちの輪の中心にいる小隊長。

 誰からも慕われ、冗談を飛ばして場を和ませる彼が

 、どうしてーー。


 レオニスも驚いているのか、何も言葉を発さない。


 月明かりの下、ギルバートはゆっくりとフードを外す。

 そこにあったのは、いつもの朗らかな笑顔ではない。疲労と迷い、そして深い苦悩を刻んだ顔だった。


「……すみません」

 ギルバートは絞り出すように、そう言った。


「なぜだ」

 レオニスの声は低く、静かだった。

 怒りよりも――信じた者に裏切られた理由を、確かめようとする響き。


 ギルバートは一瞬だけ目を伏せ、やがて観念したように口を開いた。

「俺が、盗みました」

 遥香の胸が、ぎゅっと締めつけられる。

「どうして、ギルバートさんが」

 信じられず、掠れた声が漏れた。

「娘が、肺の病で……」


 その一言に、遥香は思わず口元を押さえた。

 以前見せてもらった幼い娘の絵姿を思い出した。

「あの、娘さんが」

 ギルバートは、かすかに頷く。


「もう、長くは、ないんです……」

 月明かりの下でも分かるほど、その表情は痛々しかった。


「………っ!」

 遥香は息を呑む。

「最初は、馬鹿なことだと思いました。盗みを働くなんて……ありえない、と」

 ギルバートはそう言うと、自嘲するようにかすかに笑った。


「でも。娘の状態が日に日に酷くなって……ついには、血を吐くようになって」

 ギルバートは拳を強く握りしめる。


「耐えられなかったんです。もう、耐えられなかった」

 次の瞬間、ギルバートは頭を抱え、嗚咽を漏らした。

 遥香は唇を噛んだ。


 彼の行為は、決して正しくない。

 けれど――その理由が、痛いほど理解できてしまう。


 レオニスは一度、深く息を吐いた。

「事情は理解した。だが、許されることではない」

 その声は冷たくもなく、温かくもない。

 事実を淡々と告げるだけの響きだった。


 ギルバートは涙を拭い、静かに頷く。

「覚悟は、しています……副団長」


 レオニスは、肩を震わせるギルバートを見下ろし、静かに告げた。

「娘を、城へ連れて来い。容態を確認する」

 そして、遥香を見る。

 遥香は、迷いなく頷いた。


「ギルバートさん。大丈夫です」

 ギルバートへ視線を戻し、真っ直ぐに言う。

「娘さんが良くなるよう、全力を尽くします」


 ギルバートは驚いたように顔を上げ――次の瞬間、声を上げて泣いた。


 白い月明かりは、いつまでも彼の背中を照らしていた。


(時として、薬は人を狂わせる)

 その力は、人の理性や善意さえもーー容易に蝕む。



 遥香は、薬に携わる者として、その怖さを胸に刻んだ。


 ******



「苦いかな?」

 遥香は、ベッドの上で薬杯を両手に持つ女の子に尋ねた。


「けほっ、だいじょーぶ!」

 そう言って、幼い少女は懸命に薬を飲み干す。

 城で保護されたギルバートの娘は、医務室で治療を受けていた。


「本当に、申し訳ありませんでした」

 ベッド脇に立つ女性が、涙を浮かべて頭を下げる。

 ギルバートの妻だった。


「いえ、お気持ちはよく分かります」

 遥香はそっと肩に手を置き、顔を上げさせる。

「ママ……?」

 その様子を見ていた女の子が不思議そうに母親を見上げる。


「いいえ、何でもないわ」

 ギルバートの妻は涙を拭いながら、娘に笑顔を作ってみせた。


(辛いよね)

 遥香は胸の奥が痛み、服をぎゅっと掴んだ。

 医務室の鍵は、ギルバートが守衛室に顔を出した隙に盗んだという。

 誰も疑わなかった――それほどに彼は信頼されていた。


「ねぇ、ママ!」

 少女は母の手を握り、元気付けようと懸命に話しかけている。


 遥香は静かに一礼し、医務室を後にした。



 ******


 城の屋上。


(今日も、寒いな)

 白い息を吐きながら、遥香は街を見下ろす。


「ここにいたのか」

 背後から声が掛かる。

「あ、レオニスさん」

「ギルバートの娘は?」

「はい。今日も、ちゃんと飲んでくれました」


 抗菌薬を飲み始めて、一月。

 最初は息も絶え絶えといった様子だったが、今では話すこともできるようになった。


「もし、大切な人を救える薬が、すぐそこにあったら」

 遥香は、ぽつりと呟く。

「私は、手を出さない自信がありません」

 俯いたその言葉に、レオニスは静かに答えた。

「……そうだな」


 しばしの沈黙が訪れる。


「あの、ギルバートさんは……」

 意を決して遥香は口を開いた。

「情状酌量の上、見習いへ降格処分となった」


 また一から始めることとなったようだ。

 名誉も地位も失い、それでも剣を取る道を選んだ。

(ギルバートさんらしい)


 風が吹き、遥香の髪が揺れた。

 それを見て、レオニスは一瞬だけ手を伸ばしかけ――

 何事もなかったかのように引っ込める。


(えっ、今のなに!?)


「そろそろ、行くか」

 レオニスがその空気を破るように言う。


「は、は、はい。次はお父様の薬の時間ですね」


 遥香はニワトリのようにギクシャクと歩き出した。


 ******


 ノックをすると、低く穏やかな声が返る。

「入れ」

 部屋に入ると、暖炉の火が静かに燃えていた。ベッドに腰掛けるゲオルグの顔色は、初めて会った時より明らかに良い。


「今日のお薬です」

 遥香は盆の上の薬杯を差し出す。

「ありがとう」

 受け取ると、ゆっくりと口をつける。

「近頃、呼吸が少し、楽になった……」

「本当ですか!?」

 遥香は思わず顔を上げる。

 ゲオルグは、ゆっくり頷く。

「良かった!」

 遥香の顔が、ぱっと明るくなる。


 その瞬間――足元が、ふらりと揺れた。

「……わっ」

「気をつけろ」

 レオニスが即座に腕を伸ばす。


 支えられた遥香は、顔を赤くする。

「す、すみません。躓いてしまって……」

 そう言い、慌てて体勢を立て直そうとする。


「大丈夫か」

 レオニスの低く、だが優しい声が上から降ってくる。

「は、はい、大丈夫です」

 遥香は薬杯をぎゅっと握り締めて、小さな声で返した。


「近頃、色々あった。疲れているのだろう」

 そう言うと、レオニスは遥香の額に手をやる。

「い、い、いえ!本当に、躓いただけですから!」

 遥香はそう言うと、後ろへ一歩二歩と下がる。


「いや、少し休んだ方がいい」

 そう言うと、レオニスも一歩二歩と遥香に近付く。

 その顔はいつもの冷静な顔だったが、どこか楽しそうだった。


(ほう……これは、珍しい)

 レオニスの父ーーゲオルグはその光景に目を丸くした。


 二人の距離が、近づいていることを、当人たちはまだはっきりと自覚していない。

 だが、寝台の上の父だけは、その淡い想いが確かに育ち始めていることに、とうに気づいていた。




 だが、人の心は、ほんの小さな出来事で揺らぐ。

 淡い想いも、不安も、疑いも――気づかぬうちに芽を出す。

 黒髪の女は、一石を投じただけ。だが、それだけで十分だった。


 疑惑の芽は、人の心の中で、あまりにも簡単に芽吹くのだから。

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