6 祈りの薬6
レオニスの執務室は、朝の光が差し込むとはいえ、どこか冷えた空気が漂っていた。
「侍女の名は、エレーナ•クライン」
調査書を片手に、騎士団副団長付き補佐官のクリスは告げた。
「その勤務態度は至って真面目です。勤務年数は6年……いわゆる中堅の侍女ですね」
クリスは紙をめくり終えると、ふと顔を上げて続けた。
「あの夜、彼女と同室の侍女によると、エレーナは突然、慌てるように部屋を出たそうです」
「突然、か」
レオニスは、眉をひそめて窓の外に目をやった。
(あの人、昨日……)
遥香の脳裏に、あの時の光景がよみがえった。
エレーナが怯えたように震え、コップを手から落として割った瞬間。
彼女は何を見て、何に怯えたのだろう。
「父の病気のこともあり、父の周りは身許が確かな者で固めている。あの娘も、その母の代からここへ勤めていた」
そう言うと、レオニスは再び書類に目を落とした。
「いずれにせよ、偶然ではないな」
低く呟いたその言葉は、室内に静かに響いた。
*******
その夜。城の薬剤室には、遅くまで灯りがともっていた。
カリ、カリ、カリ
室内には羽ペンを動かす音だけが響いている。
遥香だった。
服薬記録表に、日付、時間、体調、咳の有無、副作用の有無を一つずつ書き込んでいく。
「……よし」
最後の行を書き終え、ペンを置いた。
(まだまだ、これからだ。でも)
――必ず治す。
そう決意して、顔を上げた時扉が開いた。
「おっ、遥香。遅くまで頑張ってるな」
振り向くと、小隊長のギルバートが立っていた。
「ギルバートさん、お疲れさまです。今日は巡回当番ですか?」
ギルバートはにこやかに頷き、穏やかな声で答えた。
「ああ、そうだ。 遥香もまだ残っていたんだな……あんまり根を詰めすぎるなよ」
「ありがとうございます。ギルバートさんも巡回、大変でしょう」
「ああ、仕事が終わったら今夜も一杯やるつもりだ」
「もう。また飲み過ぎちゃ、ダメですよ」
遥香は笑いながらそう返した。
「そうなったら、また薬を頼むよ」
ギルバートはウインクしながら言った。
そして、手をひらひらさせながら、部屋を出て行った。
(相変わらずだな、ギルバートさんは)
遥香は自然とほっこりした気持ちになった。
ーーコン、コン
また扉がノックされた。
「入るぞ」
レオニスだった。
「終わったか?」
短くそう言いながら、遥香の所へ歩いてくる。
「はい」
「夜も更けた。送ろう」
「ありがとうございます」
遥香は礼を言い椅子から立ち上がると、棚に抗菌薬の瓶を置いた。
「鍵は……と、あった」
鞄から銀色の鍵を取り出し、薬剤室に鍵をかけた。
城下へ続く夜道を、二人は並んで歩いていた。
石畳に月明かりが落ち、二人の影が細く長く伸びていた。
「ふぅ、寒いですね」
ぽつりと呟いた瞬間、肩に温もりが落ちた。
「……っ!?」
レオニスの外套だった。
「い、いえ、あの、決してそういう意味ではなく……っ!」
慌てる遥香に、レオニスは静かに言った。
「今日は、助かった」
「え?」
「父のことだ。打つ手もなく、途方にくれていた」
その声は、昼間よりも少しだけ弱々しく聞こえた。
遥香は歩みを止め、レオニスを見上げる。
「いいえ、私で良ければ、いくらでも力になりますよ」
そう言って、遥香は少しだけ微笑んだ。
「感謝する」
レオニスは目を細めて遥香を見る。
しばらく無言が続く。
だが、不思議と気まずさはなかった。むしろ、胸の奥がじんわりと温かかった。
*******
翌朝
城の医務室に入った瞬間、遥香は違和感を覚えた。
「……あれ?」
棚の前で立ち止まる。
器具の配置が、微妙に違う。
そして――
置いたはずの小瓶が、消えていた。
「ない……?」
胸の奥が、ひやりと冷えた。確かに、昨日ここに置いたはずなのに。
「なんで?」
ーー盗まれた?
遥香は震える手で鞄の中を漁ると、医務室の鍵を取り出す。
(来た時、鍵は閉まっていた)
それだけは、はっきり覚えている。
確認するようにギュッと鍵を握る。
(どこから……? 窓?)
窓の方に目をやる。
だが、医務室は城の三階に位置しており、外部から侵入するのは不可能だった。
「と、とりえず……レオニスさんっ」
遥香は廊下へ飛び出した。




