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火刑台の薬剤師〜いや、それ呪いじゃなくて病気です〜  作者: 大棗ナツメ
第3章

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5 祈りの薬5

「……はぁっ……はぁっ」

 遥香は、城の長い廊下を走っていた。胸元でガラス瓶がカチャ、と小さく鳴る。

(間に合って!)


「――失礼します!」

 言葉と同時に、扉を叩き開けた。――バンッ。


 寝台の上で、ゲオルグは浅く、荒い呼吸を繰り返していた。

「遥香……」

 傍らにいたレオニスが、彼女を見る。

「できました! まだ完全じゃないけど、使えます!」

 遥香は、握り締めたガラス瓶を掲げた。

 その中の透明な液体に、レオニスの視線が吸い寄せられる。


 一瞬の沈黙の後、レオニスは遥香の目をまっすぐに見据えた。そこに、迷いはなかった。

「頼む」

 遥香は、強く頷いた。



 ********


 ゲオルグの呼吸は、さらに浅くなっていた。 

 胸が上下するたび、喉の奥で痰が絡む音がする。


「父上」

 レオニスは寝台の脇に膝をつき、ゲオルグの肩をそっと支えた。 

 遥香は、ガラス瓶の栓を外し、それをギュッと握った。

(もし、これで……治らなかったら)

 嫌な考えが頭をよぎったが、首を振り慎重に匙へ液体を注ぐ。

「少しずつ、いきます」 

 遥香は静かに言った。


 レオニスが、ゲオルグの上体を起こす。

「……ぐ……ぅ……ぅ」

 それだけで、ゲオルグの口から苦しげな声が漏れた。

 焦点の合わない視線が、しばらく宙を彷徨い―― やがて、遥香の顔で止まる。

「……ゔ……っ」

 一瞬、ゲオルグの唇がわずかに動いた。 

 それが笑みだったのか、ただの痙攣だったのかは分からない。


 遥香は匙を、そっと唇に当てた。

「ゆっくり、飲んでください」

 液体が、少しだけ口内に流れ込む。 ごく、と喉が鳴った。

(……よし)


 二口目。 

 三口目。

 途中で、激しい咳が起きる。


「っ……ごほっ……!」

「……っ! 大丈夫、大丈夫です」 

 遥香は即座に匙を引き、その背をさする。

「少しずつ。もう一度」


 咳が落ち着くのを待ち、再び匙を口に運ぶ。

 最後の一口が、喉を通ったのを確認してから、 遥香はようやく息を吐いた。


「終わりました」


 その言葉と同時に、 部屋の空気が、少し解けた。

 だが、すぐに何かが変わるわけではない。 それは、遥香が一番よく知っていた。


「これを、あと半年間続けなければいけません」

 遥香は静かに告げた。結核の治療は長期戦だ。


「半年、か」

 レオニスは、父の寝顔から目を離さずに言った。


 ゲオルグは、ゆっくりと息を吸い、そして――長く吐く。それだけだった。

 劇的な回復も、奇跡も起こらない。

 だが、この世界で初めて、抗菌薬が、人の命に使われた瞬間だった。


(どうか……)

 遥香は、祈るように、ゲオルグの寝顔を見つめ続けていた。



 *******


「わぁ」

 思わず声が漏れた。

 遥香は、城の薬剤室に立ち、そこを見渡していた。


「好きに使うといい」

 レオニスに促され、扉を開けた先にあったのは、驚くほど簡素で、それでいて整った空間だった。


 白いシーツが張られたベッドが一台。棚には乳鉢や乳棒、薬瓶が几帳面に並び、机の上には数冊の薬学書が積まれている。


「すごい! 全部揃ってますね」

 思わず感嘆の声が漏れる。

 自分が使っていた小屋の道具とは、まるで別世界だった。


「普段は使っていない。好きにしていい」

 形だけは整えられていたが、ここが実際に使われてきた形跡は薄い。

 遥香は騎士団の薬師として、この部屋を与えられたのだ。


(ああ。これで、もう)

 遥香は、銀色の乳棒を両手で持ち上げ、震える。

(あの木の棒とは、おさらばだ!)


 小屋にある木の棒では、薬を擦り潰すのにとても時間がかかるのだ。

 しまいには、木の棒が折れるか、遥香の手にマメが出来るのかのどちらかだった。


「半年間、よろしく頼む」

 薬棚の前で、まるで銀色の棒を崇めるかのように掲げている遥香を見て、レオニスは言った。


「はい。ただ、あの薬は、絶対に毎日飲まないといけません」

「飲まないと、どうなる?」

「耐性菌が出来て、薬が効かなくなります」

 遥香は、薬棚に置いた瓶を見つめながら答えた。


 レオニスは、鍵を握る手にわずかに力を込めた。

「半年間、必ず飲ませ続ける、か」

 その声に、遥香は小さく頷いた。


 レオニスはしばし黙った後、医務室の鍵を差し出した。

「いつでも使ってくれ」

「ありがとうございます」

 遥香は鍵を受け取ると、そっと鞄にしまった。



 ******


 ーードサッ


 その夜。

 城の上階から、何かが落ちたような音を聞いた者がいたという。


「今の、聞いた?」

「え? 風じゃないの?」

「いや、人の声みたいだった」

 誰かが、そう囁いた。


 ******


 翌朝。


(なんだろ?)

 登城した遥香は、城門前に人混みが出来ていることに気づいた。

 そっと近寄り、人垣の間から顔を出す。


 そこには、頭から血を流して伏せた女がいた。


「……っ!」

 遥香は息を呑んだ。

 それは、昨日コップを割った、あの侍女だった。


 後ろから、低い声が聞こえた。

「夜半に、城の屋上から落ちたらしい」

 その声にバッと振り向く。レオニスだった。


「殺されたのか、あるいは自死か」

「自死」

 遥香はその言葉を、ぽつりと繰り返す。昨日侍女が怯えた様子だったことを思い出す。


「何かを知っていた可能性は、否定できない」

 レオニスは城の屋上を見上げて、そう言った。


 その時。

 城の屋上を検分していた騎士が、小さく呟いた。

「……なんだ、これ?」

「どうした?」

「これだよ」

 騎士は、小さな金属の欠片を見せた。



 風が吹き抜け、遥香の黒髪が、音もなく揺れた。


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