4 祈りの薬4
遥香は、城を飛び出すように後にした。
(もう、時間がない)
血を吐く量が増えている。 それは、病が確実に進行している証拠だった。
きっと今夜が峠だ。
間に合わなければーー考えたくもない言葉が頭をよぎる。
抗菌薬の完成まで、あと一歩。
だが、その一歩が致命的に遠い。
「はぁっ、はぁっ」
息を切らしながら、遥香は小高い丘を駆け降りる。
視界が揺れ、足がもつれた。
(立ち止まるなっ!)
膝を叩き、自分に言い聞かせる。
止まったら、終わる。
*******
「アコニッムさん!!」
――ドンッ!ドンッ!
扉を叩き、遥香は叫んでいた。
次の瞬間、扉が内側から乱暴に開いた。
「うるさい! 今何時だと――」
怒鳴りかけたアコニッムは、遥香の顔を見るなり言葉を切った。
「……城か」
「はいっ」
遥香は息も整えられず、必死に頷いた。
「喀血が増えてます! もう今夜が……!」
アコニッムは、舌打ちをした。
「思ったより早いな」
そう言って、背を向けた。
「立っておる暇はない、早よ入れ」
作業台の上には、器具と瓶がすでに並んでいた。 乾燥させた培地に、すり潰された薬草、散乱しているが、まだ温かかった。
「前に失敗したのは、どこじゃ」
アコニッムは、作業台の器具を手で雑にどかしながら、尋ねた。
「精製です」
遥香は即答した。
「有効成分が安定しないんです。時間が経つと、どうしても分解して」
アコニッムは鼻を鳴らす。
「ふむ……では、問題は温度じゃな」
アコニッムは、火鉢の位置をずらした。
遥香ははっと息を呑む。
(そうか! 冷却が、足りなかったんだ)
「水を持ってこい。冷やす」
「はい!」
遥香は走った。手がカタカタと震える。
焦るな、焦るな、と自分に言い聞かせながら、トレイを掴む。
失敗は許されない。 次は、もう、ない。
(お願いだから、成功して!)
遥香は、指が白くなるほど握った。
*******
「……よし」
遥香は、手に持つガラス瓶の底を下から見上げて頷いた。中には、きめ細かな白い粉末が残っていた。
(あとは、効果を確かめるだけ)
遥香は、二つある培地の一つにだけ、ゆっくりそれを落とした。菌を育てるための培地だ。
もう一つには、何も加えない。比較のためだ。
(これで、菌の増殖を抑えられたら)
遥香は、それを見下ろしながら、喉を鳴らした。
そっと蓋を閉め、二つを並べる。
あとは――待つしかない。
(どうか、効いて)
拳を握りしめ、ただ祈った。
やがて。
遥香は、無言で培地を手に取った。 光に透かし、じっと見つめる。
何も加えていない培地は、わずかに濁りが増していた。 だが―― 抗菌薬を加えた方は、ほとんど変化がない。
「……効い、てる……」
ぽつりと遥香は呟く。
「……っ! 効いてる! 効いてますよ!」
遥香は円形のガラストレイを手に、アコニッムを振り返る。
後ろで羊皮紙と睨めっこしたいたアコニッムは、ぱっと顔をあげた。
「ほう」
アコニッムはガラストレイを覗き込み、しばらく黙った。
そして、
「効いとるな」
アコニッムは、はっきりと頷いた。
「や、やったー!! やりました! アコニッムさん!」
ガラストレイを手に遥香は喜んだ。
しかし、それを制するようにアコニッムは低い声を出した。
「……いいか」
遥香をじっと見据えて、言う。
「この薬を使ったら……もう、戻れないぞ」
アコニッムは釘をさすように言った。
遥香は、その言葉に唾を飲んだ。
そして、はっきりと頷いた。
「それでもっ!」
その目には決意が刻まれていた。
アコニムは、目を閉じ深く息を吐く。
そして、ゆっくり目を開けると、遥香の背を押した。
「よし! 行け!」
「はい!!」
遥香は、瓶を胸に抱いて走り出した。
その背に、アコニムの言葉が重く追いすがる。
――戻れなくなる。
その本当の意味を、遥香はまだ知らない。




