3 祈りの薬3
遥香はアコニッムの家を後にし、城に戻ろうと方向を変えた。
(レオニスさん、怒ってないかな)
話の途中で飛び出してきてしまったことを、今さらのように思い出す。
歩みを早めた――その時だった。
「聞いたかい?」
通りの向こうから、ひそひそとした声が耳に入った。
「領主さまが、血を吐いたらしいよ」
「血を!? もう、駄目だろうね」
「これだから"神の病"は怖いんだ」
遥香は、はっと足を止めた。
(え、なんで……?)
噂は、いつの間にか具体性を帯びていた。
誰も現場を見ていないはずなのに、まるで目撃したかのように語られている。
(情報が早すぎる)
嫌な予感が背筋を伝っていった。
遥香は、そのまま城へ向かった。
*******
(早く、早く知らせないと!)
遥香はレオニスの執務室へ急いだ。
ーーコンコン
ノックをし、ドアを開ける。
そこには、窓辺に立つレオニスの後ろ姿があった。
レオニスは、ゆっくり振り向くと尋ねた。
「用事は終わったのか? 遥香」
「あ、はい、すみません」
遥香は慌てて頭を下げる。
レオニスはその様子に、ふっと小さく笑った。
「あの、さっき街でまた噂が」
遥香は言いにくそうに、切り出した。
「父が血を吐いたことが、知れ渡っていた、か?」
レオニスは遥香を見ると、淡々と言う。
「……っ! そうです」
遥香は一瞬目を見開き、頷いた。
「元々、父の病のことは、城のごく一部にしか知らされていなかった」
レオニスは窓の方を見ながら、腕を組む。
「父に関わる者は身元が確かな者だけだ。無論、口止めもしている」
そこまで言うと、一度短く息を吐いた。
「だが、病状まで街に出回った」
遥香は息を呑んだ。
「それって」
「教会側の内通者が、城内にいる可能性が高い」
「……やっぱり」
遥香は手で口を押さえる。嫌な予感が当たってしまった。
すると
「副団長!」
一人の騎士が駆け込んできた。
「領主さまが……っ!」
息を切らしながら言う。
ただごとじゃない様子に、レオニスは眉を顰めた。
「どうした」
騎士は一度唾を飲み込み、言った。
「先ほどから、咳が止まりません。血の量も、増えています」
「分かった」
レオニスは即座に踵を返した。
*******
「……ゴホッ……ゴホッ……!」
ベッドの上では、ゲオルグが胸を押さえ、苦しげに咳き込んでいた。白いシーツには、すでに赤い染みが広がっていた。
「父上」
レオニスはベッドの側まで寄り、父の背中を支える。
その脇で、若い侍女が水の入ったコップを持って立っていた。
入って来た遥香と一瞬目が合った。
その瞬間――
ガシャンッ。
コップが床に落ち、粉々に割れた。
「大丈夫ですか!?」
遥香は、コップを片付けようとしゃがんでいる侍女に声をかけた。
「……ひっ!」
遥香を見た侍女は青ざめ、震えている。
(……?)
侍女の視線はある一点で止まっていた。
——遥香の、長い黒髪だった。
その喉が、ひくりと鳴った。
そして、次の瞬間。
「――――っ!!」
侍女は声にならない息を漏らし、踵を返して部屋を飛び出していった。
「え、あの……っ?」
遥香が後を追おうと足を踏み出した
その時。
「……ガッ……!」
ゲオルグが、さらに大量の血を吐き出した。
苦しそうに咳を繰り返す。
「領主さまっ!」
「父上」
周りに詰めていた人々は、その様子に驚きゲオルグの側へ駆け寄った。
医師は慌てて脈を取っている。
(このままじゃ、死ぬ)
遥香は、無意識に拳を握りしめる。
(早く! 早く、抗菌薬を完成させないと!)
遥香は焦りで震える手を、もう片方の手で押さえつけた。




