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火刑台の薬剤師〜いや、それ呪いじゃなくて病気です〜  作者: 大棗ナツメ
第3章

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1 祈りの薬1

 その日、いつもは賑わっている筈のルーンヘルムの広場は、やけに静かだった。


「領主さまが、"神の病"でもう長くないらしいよ」 野菜籠を抱えた女が、小声でそう囁く。 


 その隣で、男が唇を歪めた。

「ああ、司祭様を投獄した罰だろ?」

 男は周りを気にしながらも、女に同調した。


「神に逆らえば、"神の病"に倒れる。昔から決まってることじゃないか」

 その言葉に、何人かが無言で頷いた。


 確かな証拠など、誰も持っていない。

 だが、どこからともなく湧き上がった噂は、まるで見えない瘴気のように街を包み込み、あっという間にルーンヘルムの隅々へと行き渡っていった。


 露店が並ぶ路地の隙間に、身を隠すように立つ女がいた。 

 黒いフードを目深に被り、群衆を横目で眺めている。


 その女は満足そうに、口角を吊り上げた。


「もう……ここまで広まっているのね」



 小さく呟いた声は、雑踏に溶けて消えた。



 *******



「あーあ」

 遥香は小屋のニ階、自室のベッドに寝転びながら、小瓶を眺めていた。

 小瓶の底には白い粉が入っている。

 抗菌薬になるはず、だったものだ。


 裁判の後、遥香はレオニスから二週間の休暇を与えられた。彼女はその貴重な時間のすべてを、抗菌薬の開発に注ぎ込んだ


 ーーにもかかわらず。

「……はあ」

 胸の奥から、深いため息がこぼれる。

「なんで、うまくいかないんだろ」

 完成まで、あと一歩のはずだった。

 だが、その一歩がどうしても越えられない。


 ベッドの上でゴロゴロと寝返りを打っていると

「遥香ー!」

 階下からエルダの声がした。

 遥香はのっそりと起き上がると、階段を降りた。


「遥香! これをアコニッムじいさんの所へ、届けてくれないかい?」

 そう言うと、エルダはカゴいっぱいに入った薬草を差し出した。

「アコニッム……じいさん?」

 初めて聞く名だ。


「ああ、独りで暮らしてるんだ! 家は酒場の向かいだから、すぐ分かると思うよ」

 遥香は場所を思い浮かべながら、カゴを受け取る。

 そこからは見覚えのある、木の皮が顔を覗かせていた。


「どこか、痛みがあるんですか?」

 ヤナギの樹皮だった。解熱、鎮痛に使われる。

「ああ、腰痛だよ。そろそろ薬がなくなる頃だ」

 エルダはそう言うと、ポン、と遥香の背を押した。

「じゃあ、行ってきます」

 遥香はそう言うと、扉を開けた。


「あ! アコニッムじいさんだけど……」

 エルダは唐突に何かを思い出し、慌てて外を覗いた。 だが、遥香の背中はすでに小さくなっていた。



「……まぁ、なんとかなるか」

 エルダはそう言うと、小屋に戻っていった。



 *******


 街の中心、広場に差しかかったところで、遥香は足を止めた。


(え、なにこれ……)

 露店の呼び声も、人々のざわめきも、今日は異様なほど少ない。

 首を傾げていると、市場の方から声が聞こえてきた。


「領主さまが、死にかけているらしいよ」


 (えっ)

 遥香は胸の奥がひやりと冷えた。


「知ってるよ、"神の病"だろう?」

「治すには、神官様に触れてもらうしかないけどね」

 露店の女と客は、囁くように言葉を交わしている。


 遥香は、思わず息を呑んだ。

 領主の病は、前の裁判で司祭を投獄したせいだという謂れのない噂が流れていた。


(まさか、私のせい……?)

 嫌な予感が、背筋を伝って落ちた。

 遥香は無意識のうちに、カゴを持つ手に力を込めていた。


(しかも、レオニスさんのお父さんが危ない?確認しないと)

 考えるより先に、足が動いた。 向かう先は一つ――領主の城だ。



 *******


 城門前には、普段より明らかに多い兵が立っていた。交差する視線は鋭く、空気は張り詰めている。


「……あの」

 槍を持って立つ、衛兵に声をかける。

 門番はジロリと遥香を見ると、槍の柄をトンッと地面に叩きつけて言った。


「関係者以外、立ち入り禁止だ!」

「いえ、騎士団の薬師です」

 そう言い、以前レオニスに渡されていた木札を見せる。

 門番は、遥香の頭から足先まで見て、やっと中に入れてくれた。


 遥香はレオニスの執務室目指して、殺風景な長い廊下を歩く。

「……遥香」

 後ろから低い声で呼ばれ、振り向く。 そこに立っていたのは、レオニスだった。


「レオニスさん!」

 遥香はレオニスに駆け寄った。

「さっき、街で噂を聞きました」


「知っていたのか」

 そう言ったレオニス顔は、いつものように無表情だったが、その目には隠しきれない疲労が見えた。

「領主さ……いえ、お父様の具合は?」

「ああ、昨夜急に悪化してな」

 そう言うと、レオニスは遥香に歩くよう促した。


 長い廊下を、無言のまま並んで歩く。

 遥香は申し訳なさそうに、切り出した。

「あの、街の噂って……もしかして、私のせいで」

「違う」

 レオニスは、遮るように言い切った。


 そして、レオニスは足を止め、遥香を見た。

 その眼差しは冷静で、揺るぎがない。

「遥香、お前は何も間違っていない」

「でも……」

「誰が何と言おうと、関係ない」

 低い声が、石造りの廊下に静かに響いた。

「責められる理由も、負うべき罪も、一つもない」

 遥香は、言葉を失った。

 レオニスは再び前を向く。

「それだけは、忘れるな」

 そう言うと、何事もなかったかのようにまた歩き出した。


 遥香はその背中を見つめながら、胸の奥が、じんと熱くなるのを感じた。


 やがて。

「ここだ」

 レオニスが奥の扉の前に立った。

 そして、ゆっくりと扉を開いた。


 レオニスに続いて、遥香も部屋に足を踏み入れる。

 ベッドには、白髪に覆われ、目が落ちくぼんだレオニスの父ーーゲオルグの姿があった。

 鎖骨がくっきりと浮き出た体は、白い寝巻に包まれ、その呼吸は乱れていた。


「父上」

 レオニスが声を掛けると、ゲオルグは薄く目を開いた。目の下には青黒い隈が浮かんでいる。

「……レオニス、か」

 掠れた声で、やっと言う。


 レオニスが一歩、ベッドへ近づいた。


 その瞬間だった。

「――――っ、が……ッ!!」

 ゲオルグの喉がひくりと引き攣れ、次の瞬間、激しい咳が部屋に響いた。


「父上」 

 レオニスが早足で駆け寄る。


 ――ゴホッ、ゴホッ!!

 ゲオルグは胸を押さえ、何かを吐き出すように口元を歪めた。


 次の瞬間。

 真っ赤な血が、寝具に飛び散った。


「……っ!」 

 遥香は息を呑んだ。

 白いシーツに、はっきりと広がる血痕。

 咳と共に吐き出されたそれは、明らかにただの血ではない。


(これ……喀血かっけつ!?)

 遥香の脳裏に、瞬時に医学的な単語が浮かぶ。


 レオニスがゲオルグの肩を支える。

「……だ、だいじょう……ぶ……だ……」

 そう言いかけて、再び。


「ゴホッ――ッ!!」

 今度は、さらに大量の血が口からあふれ出た。 床が、シーツが、みるみる赤に染まっていく。


 部屋の空気が凍りつく。誰もが領主の死を覚悟した。


(これは)

 遥香は、無意識に一歩、前へ出ていた。


(早くしないと!)

 赤く染まる視界の中で、遥香はギュッと手を握りしめた。


 街で囁かれている“神の病”の正体が、遥香には分かった。


 この病を、治せるのはーー "あれ"だけだ。

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