17 死の舞踏11
夜の帳が、ゆっくりと街を覆いはじめた頃。
領主館の最上階、風だけが通る静かな屋上に、遥香とレオニスは並んで立っていた。
小高いこの城から見る街は、落ち着いた灯りをぽつぽつと灯し、まるで遠くから見る星のように穏やかだ。
冷たい風が頬を撫でたが、不思議と寒さは感じなかった。
「本当に、終わったんですね」
遥香は街の灯りを見ながら、そうしみじみと呟いた。
レオニスは城砦に片手を置き、街を見下ろしたまま静かに答える。
「ああ、お前のおかげだ」
「わ、私……?」
「あの状況で、あれほど冷静に証拠を示せる者はいない」
穏やかな声だった。
その中には、先ほど裁判で見せた威圧的な“領主”の面影はもうない。
「はは、震えてばかりでしたよ」
そう言って笑ったが、胸の奥ではまだ鼓動が早い。
あの瞬間を思い出すだけで――足の力が抜けそうになる。
証拠を示しはしたが、レオニスが居なかったら審問官と司祭によって、理不尽にも有罪になっていたことだろう。
――もし、彼があの場にいなかったら。
そう思うだけで、背筋が冷えた。
「レオニスさんが、いてくれたからです」
遥香がぽつりと言った。
「……正直に言えば」
レオニスは視線を落とした。
「お前を失うかもしれないと――思った」
その声は、裁判のときよりもずっと低かった。
「……っ!」
遥香は目を見開いた。
沈黙がしばらく続いた。
街の灯りが揺れる。風が髪を揺らし、遠くで鐘の音が小さく響く。
やがて遥香がぽつりと尋ねた。
「……あの、司祭と審問官は、どうなったんですか?」
レオニスは短く息を吐き、視線を街へ戻す。
「騎士団が拘束して尋問した。だが、上からの指示だということしか、分からなかったらしい」
「分からない?」
「知らなかったようだ。おそらく、彼らも大きな権力の末端に過ぎない。利用されたのだろう」
遥香は胸の奥が少しだけ痛んだ。
「そう……なんですね」
レオニスは続ける。
「お前を騙った“黒髪の女”についても調べた。右肘に傷跡がある者を、修道院と教会で探させたが、痕跡すらない」
「逃げたんでしょうか?」
「逃げたか、最初から別の場所に潜んでいるのか……だが、必ず追う」
遥香は小さく頷くしかなかった。
また沈黙が続いた後、遥香はぽつりと呟いた。
「本当に、領主……なんですね」
その問いかけは、今さらながらの戸惑いを含んでいた。
今日一日、何度も胸の中で反芻した疑問だった。
レオニスは腕を組み、少し気まずそうに言う。
「厳密には領主代理だ。現領主は父だが、今は病の為、代理で権限を移されている」
「なるほど。だから、あの司祭も顔を知らなかったんですね」
遥香は納得するように頷いた。
審問官と司祭の驚いた顔が、頭に浮かぶ。
「それに……」
そこまで言うとレオニスは言い淀んだ。
珍しいこともあるものだ、と遥香はちらりとそのレオニスの横顔を見上げる。
「“領主”と名乗ると、どうしても距離を置かれるからな」
「距離?」
レオニスは遥香に向き直ると、じっと視線を合わせる。
そして、ぽつりと小さく呟いた。
「それが……嫌だった」
遥香の心臓が胸の奥で跳ねた。裁判のときとは違う、熱く苦しい鼓動だった。
「……わ、わ、私は、ただの一介の薬師ですけどね……っ!」
高鳴る胸を隠すように、わざと明るく声を張った。
「それが、どうした?」
レオニスは一歩近づいた。
「身分などは関係ない。俺は、遥香を一人の人として見ている」
そう言って、レオニスはそっと遥香の手を取った。
大きな掌の温もりが、逃げ場なく伝わる。
ほどこうと思えば、すぐにほどけるはずなのに――指は動かなかった。
遥香は、目を伏せた。
「……ありがとう、ございます」
こちらに来てから、遥香は嫌というほど身分の壁を見てきた。
だが今、彼女の前には、ただ一人の人として遥香を見てくれるレオニスが立っている。
(この人の隣に、立てる自分でいたい)
そんな願いが、胸の奥にそっと芽生えた。
レオニスはわずかに微笑むと、そっと彼女の横に立ち、同じ景色を見下ろす。
まるで、裁判の喧騒が遠い昔のことのようだ。
「これから、どうする?」
レオニスが尋ねる。
遥香はしばらく考え、微笑むと答えた。
「そうですね。また薬師として、街の役に立てたら嬉しいです。騎士団と、一緒に」
レオニスは小さく頷き、遥香の言葉を受け止めるように目を細めた。
「そうか」
そして、少しだけ真剣な表情になる。
「だが……もし、また危険が迫るなら、必ず頼れ」
レオニスの言葉に、遥香は胸の奥がキュッと締め付けられるような感覚を覚えた。
「……はい」
遠くで風が鳴り、夜の街の灯りが揺れた。
屋上から見える景色は、どこか新しい世界の入口のようにも思えた。
(ここで、生きていけるかもしれない)
遥香は、初めてそう思った。
そうして、二人はしばらく沈黙のまま、肩を並べて夜景を眺めていた。
言葉はなかったが、不思議と遥香の心は満たされていた。
静かで、温かな余韻だけが風に揺れていた。
しかし、遥香は知らない。
その夜。
城下の闇の中で、黒髪の女が静かに微笑んでいたことを。
「次は、逃さない」
第2章 終
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
第2章は、事件の解決だけでなく、遥香自身が疑われ、魔女裁判にかけられるという展開になりましたが、いかがでしたでしょうか。
そして、レオニスと遥香の距離も……少しは近づいたような……?
いや、まだまだですね。
第3章では、さらに物語が大きく動いていく予定ですので、引き続き見守っていただけたら嬉しいです!
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今後ともよろしくお願いします!




