15 死の舞踏9
遥香の魔女裁判の日は、あっという間にやってきた。
領主館の広間には、街人たちが円を描くように集まっている。石造りの冷たい壁に、群衆のざわめきが反響した。
(ついに、この日が来た)
遥香は胸に手を当て、必死に呼吸を整える。
「大丈夫だ。落ち着け」
隣でレオニスが、いつも通りの涼しい表情で言う。
「……はい」
心臓が飛び出しそうになるのを抑え、遥香は小さく頷いた。
正面には黒衣の異端審問官。
あの不気味な笑みを貼り付け、じっと彼女を見据えている。
一段高い席には司祭が座り、本来領主が座るべき高座は空席だった。
黒衣がゆらりと揺れ、低く重い声が広間に響く。
「これより裁判を開始する」
ざわめきがすっと静まった。
「ここにいる薬師“遥香”は、香薬を用いて街の女性たちを舞踏に追い込み、死者を出した魔女の疑いがある」
言葉が胸を突き刺す。
「この香薬は、当人の部屋から押収されたものだ。よって異端行為に関与した疑いが極めて濃厚である」
群衆が一斉にどよめき、罵声が飛ぶ。
「魔女だー!」
「殺せぇぇ!」
(よくも、そんな……っ!)
遥香は唇を噛み、拳を握りしめた。
そっとレオニスの手が重なる。
「大丈夫だ」
「証人尋問を始める。証人、前へ」
審問官の声で、一人の女性が前に出た。
小さく背を丸め、視線を落としている。
「名は?」
「エリーゼ・ウェストンです」
か細い声だ。
「この者が薬を渡すのを目撃したのだな?」
「はい」
エリーゼは頷く。
「黒いフードを被った黒髪の女性が現れ、香薬を渡していきました。名は“遥香”と名乗っていました……」
再び広間がざわつく。
「あいつが犯人だ!」
「魔女だ、火炙りにしろ!」
(……っ!)
遥香は目をぎゅっと閉じた。
その瞬間
「異議あり」
静かだが、通る声。レオニスだ。
「こちらにも証人がいる。証人、前へ」
進み出たのはアン。
「アン・ジェーン。あの夜、エリーゼと同席していた」
堂々と、はっきりした声で言う。
「薬師は足音もなく現れ、薬を渡して行った。その時、右肘に火傷の跡が見えた」
一斉に視線が遥香の右腕に集まる。
遥香は震える足を奮い立たせ、前に進んだ。
そして袖を捲る。
白い肘には、何の痕跡もなかった。
「見ての通りだ」
レオニスが淡々と言う。
「この者の右腕には傷も痕も、ない」
群衆のざわめきが変わった。
「ない?」
「人違いじゃ……?」
しかし異端審問官は微笑を崩さない。
「暗闇での見間違いでしょう。証言の信憑性は薄い」
(やっぱり……)
遥香は、悔しさに歯を食いしばった。
「ならば」
レオニスが一歩前に出る。
「その香薬が、本当に彼女の作ったものか。ここで確認すればいい」
軽く手を上げると、騎士が鉄製の小さなスプーンと、黄色い欠片を運んできた。
「これが、何かお分かりか」
レオニスは長い指でそれを掴むと、ゆっくり周囲に見せる。
「乳香……ですかな」
審査官は訝しげに眉を顰める。
「そうだ。乳香は教会専用の香。一般使用は禁止されている。間違いはないか?」
レオニスはゆっくりと、だが、はっきりした声で聞かせるように言う。
「……ええ」
審問官は、意図が読めないといった表情だ。
「そして、教会の香炉は青銅製だ」
「……その通り」
審問官の足が小さく踏み鳴らされる。苛立ちが見える。
レオニスが遥香を見る。
彼女は頷き、静かに声を上げた。
「この乳香は教会で保管されていた物。それを今から証明します」
そう言うと、乳香をスプーンに乗せた。
「青銅製の香炉は、銅粉が剥離します。銅は燃やすと、青緑色の炎を出す――」
説明し、火をつける。
――ボッ。
青緑色の炎が上がった。
広間からどよめきが漏れる。
「乳香は教会の物なんだから、当たり前だろ?」
「何がしたいんだ?」
そう。教会で保管されていた乳香から銅が検出されるのは当たり前のことだった。
「では、こちらはどうでしょう」
遥香は、例の香薬を手に取る。
審問官が「押収した」と言い張ったものだ。
レオニスと目が合うと、彼は、深く頷いた。
(どうか……っ!)
祈るような気持ちでそれに火を付けた。
ーーボッ
再び、青緑色の炎がはっきりと立ち上がった。
一瞬、広間から音が消えた。
「……え?」
誰かの間の抜けた声が、やけに大きく響いた。
「この香薬からも、銅が検出されました」
遥香は、青緑色にゆらゆら揺れるスプーンを、胸まで持ち上げて、はっきりと言った。
「つまり、これは教会の香炉で保管されていた物です!」
遥香は、異端審問官を真正面から見据えて告げた。
ざわっ、と空気がひっくり返った。
「教会の……?」
「じゃあ、あの女が作ったんじゃ……」
さっきまで遥香を睨みつけていた視線が、 一斉に異端審問官へと向きを変える。
異端審問官は、初めて明確に動揺した。
「ば、馬鹿な……! 偶然だ! 混入しただけだろう!」
「偶然?」
レオニスが、冷ややかに口を挟む。
「青銅の香炉を使えるのは、教会だけだ」
「……っ!」
異端審問官の喉が、ひくりと鳴った。
群衆がざわつく。
「あの香薬は捏造か……?」
「まさか、審問官が嘘を?」
「これは、間違いなく、教会に保管されていた香薬です!!」
遥香はもう一度、声高らかにそう告げた。
スプーンの上の青緑の炎は、気付くともう消えていた。
だが、その光は、確かに人々の目に焼き付いていた。
群衆の視線が遥香へ集まる中、
異端審問官は、ゆっくりと口元を歪めた。
(まだだ……裁判は、まだ終わっていない)




