12 死の舞踏6
異端審問官はツカツカと、遥香に近寄って来た。
「事件は調査中だ。まだ、犯人は確定していない」
レオニスは遮るように、遥香の前に出た。
「証言があるのですよ。"遥香"と名乗ったとね」
審問官は、獲物を追い詰める獣のように目を細めた。その背後には、無言の部下が一人。まるで影のように気配を殺して立っている。
「名乗りなど、いくらでも偽れる」
レオニスは淡々と返す。
「現に、女性たちは犯人の顔を見ていないはずだ」
「はっ」
審問官は嘲るように短く笑った。
そして、今度は遥香へと視線を向けた。
「ムスクなど高級品、王族でもなかなかお目にかかれない。一介の薬師風情が知っているはずはない。おおかた、犯人だから知っていたのでしょう」
その視線に、遥香の背筋が冷たくなる。
「だが、それこそおかしな話だ」
レオニスの声は、ひどく冷ややかだった。
「街の外れの小屋に住まう一介の薬師が、そんな代物を用意できると思うか?」
審問官の表情が、わずかに歪んだ。
だがすぐに、あの粘ついた笑みを貼り付けると、ねっとりと遥香を見た。
「なぜ、そこまで庇われる? まさか、その薬師があなたにとって特別な理由でも?」
下卑た笑みだった。
遥香の肩が、思わず小さく震えた。
レオニスの目が鋭く細まる。
「くだらん挑発だな。ここは騎士団の領分だ。異端審問官といえど、勝手な連行は許さない」
声色一つ変えず、きっぱりと言い切る。
(この人、どうやっても私を連れて行くつもりなんだ)
遥香は息を潜めた。
「勝手、ですか?」
審問官の声が低く、冷たくなる。
「副団長。あなたは勘違いしておられる。我々には“異端の疑いがある者”を拘束する権限がある。この者には証言があり、そして――」
彼は懐から布に包まれた小瓶を取り出し、レオニスの前に掲げた。
「これが押収されたのですよ」
遥香の心臓が、跳ね上がる。
小瓶の中で、黒光りする丸薬が揺れていた。
「え!?」
取調室のテーブルに置かれているものと、まったく同じ形。見間違えようがない。
審問官は、その反応を見逃さなかった。
口元に、愉悦を滲ませた笑みが浮かんだ。
「驚かれたようですね、薬師殿。あなたの部屋から押収したのですよ」
「そんなはずは……私が預かっていた丸薬は、ここに――」
言いかけた、その時。
「やっぱり!」
後ろから、アンの怒鳴り声が飛んだ。
「あんたが犯人だろう!!」
「違います!!」
遥香の叫びが、石壁に反響する。
「……これは驚いたな」
レオニスが静かに口を開く。
「私が命じて旧劇場から掘り出した薬は、合計で五つ。そのうち一つは、この者に調査のために渡していた」
そう言って、テーブルの上のガラス瓶に視線を落とす。
「残り四つは、騎士団で厳重に保管している――にもかかわらず」
一歩、前へ。
「存在しないはずの六つ目が、なぜ審問官殿の手にある?」
冷たい眼差しが、まっすぐ突き刺さる。
審問官の笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。
「……事件の前に、試験的に作っていたのでしょうな」
わざとらしく頷き、再び口角を上げる。
(捏造だ!)
遥香は確信する。
「その証拠はあるのか?」
レオニスは一歩も引かない。背後の騎士たちが、緊張に背筋を伸ばす。
だが審問官は、余裕を崩さなかった。
「この薬師の部屋から見つかった――それが何よりの証拠でしょう」
ねっとりとした声。
そして、含みを持たせたかのように言う。
「……まさか、副団長殿。あなたもこの薬師の仲間なのでは?」
レオニスは微動だにしない。
ただ、ゆっくりと顎を上げ、真っ直ぐに見据える。
「不確かな証言と曖昧な証拠で、人を犯人と断じる。それを"歪曲"と言う」
「……我々が、事実を歪めていると?」
空気が、一気に張り詰める。
ギルバートが剣の柄に手を置いた。
一触即発の空気だ。
「まぁ、いいでしょう」
審問官が、ねっとりと笑った。
「副団長殿は、実に情が深い。ですが――我々を敵に回したこと、必ず後悔しますよ」
「ああ、覚えておこう」
レオニスは、涼しい顔で返す。
一瞬だけ、審問官の目が揺れた。
「今日は、引き下がりましょう」
一歩、後退する。
「ですが――そこの薬師」
視線が、遥香に突き刺さる。
「またすぐに会えますよ。次は“正式な場”でね……ふふっ」
審問官は部下を伴って踵を返し、重々しい足音を響かせながら廊下の奥へと消えていった。
扉が閉じた瞬間、張り詰めていた空気が、崩れ落ちた。 遥香は、震える指先を強く握りしめる。
「大丈夫か?」
振り向いたレオニスの声は、驚くほど柔らかかった。肩に置かれた手の温もりが、冷え切った身体に沁みる。
「心配するな。お前は無実だ。必ず、守る」
「ありがとう、ございます」
その小さな声が、静かな室内に響いた。
だが──嵐はまだ終わっていない。
レオニスは、鋭い眼差しで扉の向こうを見た。
「恐らく、あちらは魔女裁判に持ち込む気だろう」
「ま、魔女裁判……!?」
あまりの重々しい言葉に遥香は目眩がした。




