1 罪深き浣腸1
キラキラと陽の光に透ける葉、優しく木々を揺らす風。
太陽が高く輝く、清々しい一日の始まりーー
……とは裏腹に。
遥香は、薄暗い小屋の自室に引きこもっていた。
「お願い……っ! 次こそは成功して!」
祈るように呟きながら、円形のガラストレイへ抗菌薬を垂らす。
――ポタッ。
がーー
「…………」
劇的な変化も、奇跡の発光も、もちろん爆発も起こらない。
「はぁ、またダメか」
肩を落とし、遥香は大きくため息をついた。
もう何度目の失敗かも、正直わからない。
――カタンッ。
背後で小さな音がして、遥香は振り返る。
ドアの隙間から、エルダがひょっこり首を出していた。
「遥香! 街に美味しい物でも食べに行かないか?」
もう五日も外に出ていない遥香を心配してか、エルダはなにかと理由をつけては外へ連れ出そうとしている。
「うーん……でも、これがーー」
断ろうと、遥香が口を開いた時
「こんにちはー!」
階下から、やけに元気な女性の声がした。客だろうか。
「はいよ!」
エルダは大きな声で返事をすると、階段を降りて行った。
入れ替わるように現れたのは、にこにこと笑う茶髪の女性だった。両腕には、やたらと大きな荷物を抱えている。
「……え、と?」
誰だろう、と遥香は首を傾げた。
「こんにちは! 最近、ハンス先生の医院で働くようになった、看護師のティナです」
そう言うと、ティナは両手で遥香に握手を求めた。
「あ、よろしくお願いします」
遥香がそろりと手を出すと、ティナはニコニコとその手を握った。
歳は遥香と同じ頃であろうか。
明るく人懐こい笑顔に、心が温かくなる。どこか親近感を感じる女性だった。
「あ、えっと……ティナさん、それ、どうしたんですか?」
遥香は、ティナの腕の中の大きな荷物を指差して尋ねる。
「あっ! これ、ハンス先生に持って行くよう言われまして!」
ティナは、荷物をドスンッと机の上に置く。
そして、いそいそと包んでいる布を解いた。
そこには、金属で出来た馬鹿でかい注射器のようなものが入っていた。
「こ、これは……?」
「浣腸ですよ! ハンス先生が商人に頼み込んで、今日だけ借りたんです!!」
ティナは両手を胸の前で組むと、えっへんと胸を張る。
「こ、これが、噂の浣腸」
遥香は、以前ハンスに“注射器代用計画”を話していたことを、思い出した。
まじまじと、それを見る。現代の浣腸とは形が全く違っていた。
「ええ!憧れますよねっ!」
ティナは目を輝かせて、浣腸を見つめている。
(そうだった)
ここでは、浣腸を持つことは最大のステータスであり、貴族達はこぞって毎日浣腸をしているのだ。
「……は、はは」
遥香は曖昧に笑いを返す。
「王様なんて、浣腸をしながら会議しているんですって! ああ、なんて優雅なのかしらっ!」
ティナは両手を合わせ、羨望の眼差しでうっとりと言う。
遥香はその言葉に吹き出しそうになった、
(か、浣腸しながら、会議……!?)
尻を出したまま、真面目な顔で話し合う高官達の姿を想像して、どこかいたたまれない気持ちになる。
「あれ? でも、それじゃ、これってすぐに返さないといけないんですよね?」
ティナが今日だけと言っていたことを思い出して、遥香はハッとした。
「ええ、しぶる商人から、なんとかもぎとったので……一般人には手が出ないほど高価なので、めったに目に出来ないんですよぉ」
「そうなんですか」
遥香は残念そうに言う。
注射器の代用に、と思っていたが、今回は見るだけになりそうだ。
「ああ、私も知り合いに貴族でも居れば、借りられるのにっ!」
ティナはそう言うと、名残惜しそうに浣腸を眺めている。
(ーー貴族、か)
(……待てよ、居るじゃないか!)
遥香はある人物の顔が思い浮かんだ。
******
こうして、遥香は丘の上の領主の居城に居た。
「……あのぉ」
そろりと、執務室のドアから顔を覗かせると、そこには書類の山に囲まれたレオニスが座っていた。
「何か、あったのか?」
レオニスは視線を上げ、遥香を見るとわずかに目を見開いた。
「あ、お忙しい所すみません」
遥香はドアの前に立ち、頭を下げる。
レオニスは立ち上がると、ソファに座るよう手で示した。
「ありがとう、ございます」
遥香はお礼を言い、ソファにちょこんと腰掛ける。
「それで、どうしたんだ?」
ソファは向かい合って二つあるのに、何故かレオニスは遥香の隣へ座る。
「えっ……あ、あの、その、ちょっと、お借りしたいものがありまして……」
美しい横顔にドキドキしながらも、遥香はなんとか言った。
「何を?」
レオニスは様子のおかしい遥香に眉をひそめ、顔を覗き込んでくる。
「あ、あの、その、あの……浣腸を貸してくださいっ!!」
一息に言った。
思ったより大きな声が出てしまい、顔にじわじわと熱が集まるのを感じる。
「……浣、腸……?」
レオニスは、驚いたように固まっている。
「いいい、いえ、決して使いたいワケではなく……参考に、というか、その……」
遥香は、しどろもどろに説明する。
レオニスはしばらく無言で遥香を見ていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……生憎だが、俺は持っていない」
その答えに、遥香はなぜかほっとした。
(良かった、持ってないんだ)
レオニスが浣腸している姿が、どうしても想像出来なかったからだ。
「必要ならば、商人から購入することも出来るが」
「えっ、いいんですか!?すっっごく高いって聞きましたけど」
嬉しさに思わず立ち上がって、レオニスを見る。
「ああ、まあな。だが、必要なんだろう?」
「はい! お願いします!!」
遥香がそう言うと、レオニスは訝しがりながらも商人を手配してくれた。
しばらくすると、ホクホク顔の商人が浣腸を持って、やって来た。
「ご注文頂いた浣腸です!! 最高級のものをご用意しました!」
こうして、遥香は念願の浣腸を手に入れることができたのだった。
*******
遥香は浣腸を片手にハンスの医院に向かった。
「ごめんください」
そっとドアを開けると、鞄を持ったハンスとぶつかりそうになった。
「わっ! ハンス先生、これからお出かけですか?」
「あ、ああ、遥香くんか。ちょっと往診にね、一緒に来るかい?」
遥香はこくり、と頷いた。
医院を出てハンスと並んで街を歩く。
「今日は男爵家に往診なんだ」
(へえ、珍しい)
普段は街人を診ているハンスが、貴族の家に呼ばれるのは稀だ。
「なんでも、男爵家のご令息が転けて怪我をしたらしくてね。急に呼ばれたんだよ」
「怪我、ですか?」
遥香は小首をかしげる。
子供の怪我ならよくあることだが、往診が必要なほど重いのだろうか。
こうして新たな事件は
浣腸と貴族と不穏な空気を引き連れて、静かに幕を開けたのだった。
第2章は浣腸から……というなんともいえないスタートですが、どうぞ宜しくお願いします!




